5-7月に読んだ本
5月
- 奥村隆 (2014)『社会学の歴史I: 社会という謎の系譜』有斐閣アルマ。
- 原武史 (2019)『平成の終焉』岩波新書。
- 山内志朗 (2003)『ライプニッツ: なぜ私は世界にひとりしかいないのか』NHK出版。
- 日本歴史学会 (2019)『日本歴史』第853号。
- G. W. ライプニッツ (2013)『形而上学叙説・ライプニッツ-アルノー往復書簡』橋本由美子監訳,秋保亘・大矢宗太朗訳,平凡社。
- 日本哲学会 (2019)『哲学』第70号。
- 隈研吾 (2013)『建築家,走る』新潮文庫。
6月
記録なし。
7月
原書は Minds, Brains and Science, Harvard UP, 1986. いわゆる「中国語の部屋」問題についてレポートを書く機会があって読んだが,あまり面白いとは思わなかった。併せて嚆矢をなす "Minds, Brains and Programs" (1984) やより近年の文献も見てみたが,当該アポリアーは誤った問題の切り分け方に基づくものでしかなく,およそ不毛である印象を受けている。(ただし本書そのものはより広範なトピックを扱っている。また何はさておき論述のぬきんでた明快さはーーたとえ平板さと紙一重のそれであったとしてもーー称賛に値しよう。)
- 劉慈欣『三体』早川書房,2019年。
SF は読みつけないがこれはまあ楽しめた。
- 『丸山眞男集』第一巻,1996年。
1936-1940年。種々の時評のほか「近世儒教の発展における徂徠学の特質並にその国学との関連」(1940) を収める。「1936-37年の英米および独逸政治学界」(1938) は当時の両地域における対照的な研究環境をよく示す。「現代は政治化の時代といわれる。……英米の政治学界がイデオロギーの多彩な葛藤を比較的忠実に反映しているに対し,独逸のそれはただ一色である。そのため我々は哲学的基礎にまで沈降してせめてここに学問的論述を求めようとした。しかもそこに於てすらいかに政治的色彩が強烈なことか」(82頁)。その他「新刊短評」に出ている H. C. Wolfe, The German Octopus, 1938 なる書の紹介において「……一見奇想天外の様な独・露協調の蓋然性を測定している個所などは,所論の当否は別として極東の国民が一応考慮に入れてよい考え方である」(110頁) などとあるのも面白い (丸山は1939年7月に同書の抄訳を発表している)。素朴な印象として読書量の厖大さに圧倒される (まさか全てを通読したわけではないだろうが)。「近世儒教の発展における……」は丸山の有名な助手論文で,徳川期の日本儒教史を「内部発展を通じて儒教思想自体が分解して行き,まさに全く異質的な要素を自己の中から芽ぐんで行く過程」として捉え,古学派および益軒における朱子学解体の徴候を論じ (第二節),封建社会が動揺を経験した元禄年間に儒教を「政治化」し公私の断絶を強調する徂徠を自己分解過程の画期とし (第三節),以後に関しては徂徠学以後の儒学の退嬰を横目に,むしろ宣長学との積極的関連を見出す (第四節)。こうした単線的な発展史観そのものに関する専門的評価は今日では凡そ否定的に定まっているようであり,また公/私,存在/当為,合理/非合理主義,近代/非近代といった二分法でザクザクと単純明快に整理していくやり方は素人目にも疑問なしとしないが,八十年前の論文であることは割り引いて考えるべきだろう。ともあれ大変おもしろかったのは確かだ。
著者の専門は通常の分類で言えば解剖学に属するだろうが,著者自身は自らの営みを特に「遺体科学」と呼ぶ。遺体科学は動物「遺体」ーーこれは「死体」の負のイメージを避けた言葉えらびであるーーそのものを発見・解明されるべき謎の源泉と見さだめ,人類共有の財産として保存・継承する,という理念に基づくとされ,著者の眼には「基本的に遺体に科学的好奇心を抱かず,それが捨てられる事態に対して何らの積極的働きかけをもとうとしな」いものと映る (24頁) 現代解剖学ひいては生物学の全般的風潮との対立が意識されている。したがって遺体科学の本質は「無制限無目的」で「枚挙的」な遺体収集であると言う。そのように集めた遺体を良い状態で保存し研究するための技術と工夫は,第1-2章で惜しみなく語られる。もとよりこうした理念と緊張関係に立つ「分析的」「還元的」な方法論があった/ありうることは否定しないものの*1,現実にナチュラルヒストリーを脅かす「拝金合理主義」的な学術施策に対する批判は激越である。この点で著者は「比較解剖学もドイツ文学もギリシア哲学も,テクノロジーに貢献できないという属性では,社会的弱者と寸分違わない」(68頁) と述べ,「遺体科学」と人文学との類比的連帯関係を見て取る。第4章・第5章は遺体科学の具体的な営みを著者自身の成果をもとに語り明かす。第4章「パンダが残した知」は上野動物園のパンダ,フェイフェイとホアンホアンの遺体の調査の結果明らかになったパンダの手のタケ把握機構についての新発見が,20世紀の学説史の振り返りとともに解りやすく紹介される。第5章では,マレー半島に生息するツパイという小型哺乳類の分布とそれの持つ意味を,各国の博物館の標本の地道な調査を通じて解明していく道筋が語られる。著者の論に諸手を挙げて賛同するわけではないにせよ,「ギリシア哲学」をする一読者として,拙速な目標設定を避けトータルな科学的営為を目指す著者の学問的態度に感銘を受けたほか,そこに前提されている知的態度の識別の仕方についても学ぶところがあった。