モミリアーノ『伝記文学の誕生』

  • A. モミリアーノ (1982)『伝記文学の誕生』柳沼重剛訳,東海大学出版会。[Arnaldo Momigliano (1971) The Development of Greek Biography, Harvard University Press.]

古代ギリシアにおける伝記の誕生と発展をテーマにした講義録。前5世紀に伝記・自伝の起源を探り,前4世紀のクセノフォンやプラトンらを経て,ヘレニズム期,ローマに至る系譜を辿る。

ただ後代に関する議論になると自分の知識が乏しいためにあまり議論を追えない箇所が多かった (以下では古典期を扱う第III章までの内容について少しメモしておく)。いずれにせよ何度か読み返すべき本だと思う。とくにソクラテス文学やペリパトス学派に関する叙述は哲学史研究にも直接間接に参考になる。

第I章で提起される問題が本書の視角をある程度明らかにしている:「(1)ギリシア最古の伝記および自伝はいつ書かれたか。(2) 古典世界においては歴史と伝記の関係はどうであったか。(3) Bios という概念はどのようにしてヘレニズム時代に概念として固まったか。(4) 自伝は伝記とどう関り合いつつ発展したのか。(5) 個人の bios と集団の bios の関係如何。(6) 伝記はどういう条件のもとで歴史よりはむしろ好古的研究の領域に属するか」(26頁)。

モミリアーノによれば,伝記,つまり「一人の人間が生まれてから死ぬまでの話」(19頁),の完全なものが現れるのはヘレニズム期であるが,その起源は前5世紀に求められる。詩人に関するもの (『ホメロスとヘシオドスの競演』),政治家の伝記風の作品,あるいは自伝風の作品があった。DL はクサントスがエンペドクレスの伝記を書いたと伝えるが,これは事実の可能性もある。なお伝記的事実への関心はギリシア本土よりイオニアにおいて盛んであり,ギリシア人がオリエントの先例に刺激された可能性はあるという (ユダヤエズラやネヘミヤについても同様のことが言える)。なお前5世紀は歴史記述が生まれた時代でもあるが,歴史と伝記の関係は微妙である。僭主時代の反動で,前5世紀には個人よりは集団組織に遥かに大きな関心が向けられ,歴史家も国家を専ら題材とした。他方で歴史が人間に関することを理解するということへの関心を高めた面もあるという。

ところが,前4世紀になると,伝記や自伝への関心は大きく高まった。この時代には前時代に比べ政治家が個人として大きな役割を果たすようになり,哲学や修辞学も個人の修養へと向かった。この時代には伝記を書く実験が色々行われたが,主要な役割を果たしたのはソクラテスの弟子たちであった。就中重要なのがクセノフォンである。『思い出』*1はおそらく形式において独創的である。また意識的に虚実を曖昧にしている点では,他のソクラテスの弟子たちやイソクラテスの影響があった。他方,同時代の自伝としては,『アナバシス』やデモステネス『王冠について』,イソクラテス『アンティドシス』(これは虚構の自伝である『ソクラテスの弁明』を手本にした本当の自伝である),またプラトンの『第七書簡』が挙げられる。こうした伝記叙述の実験の重要性は,テオポンポス『ピリッピカ』が伝記と歴史記述を交互に織りなしたものであることからも確認される。

*1:86頁以降に「アポムネウマタ」とあるのは「アポムネモネウマタ」の誤植?