ビアード『SPQR』
邦訳の副題は「ローマ帝国史」だけれども,実際は建国神話の時代からの通史になっている (下限はカラカラ帝期)。原題は SPQR: A History of Ancient Rome.
良書だと思う。第一に,著作家たちが伝える様々なバージョン*1を明示して,事実を選り出しつつ著作家たち自身の思考を浮かび上がらせる作業を読者の目の前で実演している。例えばサビニの女たちの略奪という出来事を,リウィウス,サルスティウス,オウィディウスはどのように解釈し,語ったか (上巻,第2章)。第二に,偉人伝的な単純化を排し,あくまで全体的状況を掘り下げている。カエサル暗殺のような象徴的な事件も脈絡に相対化し*2,帝政期の数々の逸話を彩る皇帝たちの性格は「ローマ史の基本構造やそのおおまかな流れにも,たいして影響がなかった」(下巻,146頁) と断じる*3。むしろ正当にも,様々な陰謀や犯罪の背後にある,皇帝権力そのものの性質――元老院との緊張関係,帝位継承の原理的困難等々――に注意を促している。そうした手数をかけつつ,同時に一般書のリーダビリティも確保している。
また下巻には近年のものまでカヴァーした文献案内も付いており,これもありがたい。
*1:これは術語?
*2:「シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』の中で描かれたこともあって,“自由” の名のもとにおこなわれたこのローマ独裁者の暗殺は,専制政治への最後の抵抗手段,大義ある殺人の雛形と考えられてきた。〔…〕だが,古代ローマの歴史を振り返ってみると,これは前一三三年のティベリウス・グラックスの集団暴行に始まる,人気の高さが高じて,いささか力を蓄えすぎた,革新的な政治家の連続殺人の最後を飾る事件だったことがわかる。」(上巻,350頁)
*3:ビアードは,古代の伝記作家等々がそうした逸話に着目しすぎることに苦言を呈し,「〔スエトニウスより〕もっと知的な歴史家プブリウス・コルネリウス・タキトゥスでさえこの手の個人的逸話を喜んで書き並べている」(下巻,140頁) などと書いている。もっとも,そうした断り書きを添えつつ,結局のところ本書もふんだんにそうした逸話を紹介してくれているのだけれど。