アリストテレスの説明要因 (αἰτία) の理論 Moravcsik, "Aristotle on Adequate Explanations"

  • Moravcsik, Julius M. E. (1974) "Aristotle on Adequate Explanations" Synthese 28, 3-17.

Ar. の αἰτία 論を「説明要因 (explanatory factor)」の理論と捉え,解釈の叩き台を提示している。ごく粗描的でテクスト解釈にも紙幅を割いていないのは恐らく発表媒体のゆえだろう。


αἰτίαι は「「なぜ」の問い ('why'-question)」に答えるものであると Ar. は述べる (Phys B7)。「なぜ」の問いの答えは説明 (explanation) なのだから,αἰτία は何であれ説明要因と捉えるのが適当と思われる。3章および7章の例証を通じてこの解釈を確証する。同時に αἰτίαι の理論を「原因 (causes)」の教説と呼ぶことが誤解を招くものであることも分かる。

Ar. が因果性の理論より広い説明の理論を立てようと試みたことは,彼が Pl. 同様「諸学の統一性 (unity of science)」原理を有していたことから理解できる。Pl. Phd. 96a-102a との対比は,Ar. が Pl. の問いを受け継いでいることを示唆する。(他方で問いへの回答においては,Ar. は Pl. より多元論的である。) また「原因」同様,「自然変化の条件」も Ar. の αἰτία 把握としては狭すぎる。

αἰτίαι が実体の諸側面を拾い上げているとすれば,四原因の分類も実体の本性についての省察から出てくると考えるのは妥当である。Ar. の (範例的な) 実体は次の特徴づけを満たす。「諸要素の集合であり,固定的な構造を有しており,自ずと決まった目標に向かって自ら動く。」鍵となる要因は要素・構造・運動作用・目標であり,これらが大まかに所謂「四原因」に対応する。

四種の αἰτία は 194b23ff. で論じられる。「説明要因」という呼称は,言語的・認識論的であることを意味しない。諸要因はむしろ実在の要素,ないしはそれが果たす役割である。

  • 第一は所謂「質料因」だが,この呼称は誤解を招く。本質的に質料でも原因でもないからだ。Ar. の意図としては「構成要素」が基本義であり,従って「構成要因 (constitutive factor)」と呼ばれるべきである。綴りにおける字母,結論における前提,等々の例がここから説明できる。これはまた ὑποκείμενον と混同されてはならない。
  • 第二は本質規定だが,これも非言語的実在の要素である。Ar. は Pl. 同様,「本質」理解において綴り-字母アナロジーが基礎的だと考えている (Meta Z7 1041b5ff.)。本質とは構成要素を特定の仕方に結合するものである。従って,事物の構造 (structure) と解されるべきである。
  • 第三の「始動因」はしばしば誤って (Ar. の枠組みに存在しない) 機械論的原因と同一視される。とりわけ Ar. は出来事の観念を有しない (最も近いのは κίνησις (process) である)。運動始動・制止要因 (motion-initiating or arresting factor) というのが最良の特徴づけと思われる。κίνησις も実体も (3章の例),また技術 (skills) も (cf. Meta. 1044a30) これを担いうる。
  • 第四の原因は機能要因 (functional factor) と言いうる。近代的語彙では目的 (end),ねらい (aim),目標 (aim),機能 (function) などによって説明される。

Ar. は実在の同一の要素が同時に構成要因・機能要因・運動始動要因でありうると述べる。つまり実在の諸要素自体のカテゴリー的区別ではない。事柄の最良の説明となる αἰτία は当の事柄に最も近接しているとは限らない。また諸原因の重要性の順位は学問に相対的である。

以上で説明要因の本性と位置づけを概観したので,説明の構造そのものの検討に移ることができる。Ar. の例を用いると (195a33ff.):

  • ポリュクレイトスが,この鋳像が生成した原因である。

これは Ar. の観点からは不完全な説明である。まず,次のように分析されなければならない:

  • ポリュクレイトスが,この鋳像が生成したことの運動始動要因 (MI) である。

これは既に内包的な述定である。さらに,ポリュクレイトスがこの役割を果たしたことが付帯的か否かが説明されなくてはならない。従って:

  • ポリュクレイトスが,この鋳像が生成したことの付帯的な MI である。
  • ある鋳像作製家が,この鋳像が生成したことの本質的な MI である。

従って Ar. にとって説明の内容は内包的である。同様の説明は他の要因についても可能である。*1

従って,説明について,少なくとも説明要因の四種類と本質的 / 付帯的の区別による分類がなされることになる。Ar. はこれに加えて個別的 / 類的,単純 / 複雑の区別を立てる。Ar. はさらに各要因は現勢的 / 潜勢的のどちらかであるとする。従って単純計算で 64 通りあることになるが,実際にはここに幾つか制約が掛かる。どの区別も実在の要素の役割の区別,あるいは直接的に存在論的な区別であることは強調されてよい。

Ar. の自然哲学・科学哲学は三つの要素からなる。(1) 『分析論』の科学的推論の理論,(2) 決定論と非決定論に関する見解,(3) αἰτία の理論。本論考は第三の要素の解釈を通じて Ar. の自然に関する見解の再検討の控えめな始点たることを企図している。

*1:特に構成の説明について少しややこしい議論がなされているが (pp.13-15),あまり理解できていない。