『トピカ』におけるプラトニズム Elders, "The Topics and the Platonic Theory of Principles of Being"

  • L. Elders (1968) "The Topics and the Platonic Theory of Principles of Being" in G. E. L. Owen (ed.) Aristotle on Dialectic: The Topics. Proceedings of the Third Symposium Aristotelicum. Oxford: Clarendon Press. 126-137.

"Aristotle and Plato" をテーマにする同シンポジウムの他の英語論文が総じてプラトンアリストテレスの構図を強調していたのに対し,この論文はポジティヴな影響関係に焦点を合わせる。


後年のプラトンは独特の存在論を展開した。この存在論は,(a) 哲学についての特有の捉え方,(b) 万物を一と不定とに分ける実在の図式,(c) いくつかの論理的方法,を含む。ヘルモドロスの有名な断片によれば,プラトンは一と大小 (the More and Less) とを分け,また自体存在 (beings per se) と他のものに関わる存在とに再分割し,さらに後者を相関的なものと対立するものとに分割した。アリストテレスはこれに初めは同意していたと推定できるかもしれない。この理論はイデア論の完成形だからだ (cf. Metaph. A 990b18-20)。

本論考はこうした理論を『トピカ』において跡づける。

I. 哲学概念

『トピカ』においてディアレクティケーは臆見 (opinions) に関わるとされ,プラトンのそれから大きく格下げされる。『メタフュシカ』Γ2 も同様のことを述べている。このことは一見アリストテレスプラトンからの乖離を示すように見える。だが,プラトン自身が後期において,事実の一般的・予備的な吟味と厳密な哲学的分析 (原理の発見,現実の還元,分割法) とを区別するようになった,というのはありうることだ。だから,この主張は必ずしもプラトニズムからの離反を含意しない。

『トピカ』で哲学はどのように捉えられているか。105b19ff. における学問の三分類は第一哲学に言及していない。これは単なる見落としではない: アカデメイアでは学問についての議論は事物の原理についての議論を含んでいたし,『トピカ』101a36-b2 も原理の探究を強調している。ディアレクティケーは諸学の原理についての endoxa を吟味するものであった――つまり原理についての真理を探究するのは哲学の仕事である。それゆえ,105bff. では,哲学は「自然」の原理を吟味するものであると考えられているように思われる。cf.『天体論』i.1. また『メタフュシカ』1026a27 は,「自然によって形成されたものの他にいかなる実体もないなら,自然学が第一の学となりうる*1」と述べる。第一哲学が現に不在である『トピカ』においても,この見解は当てはまる。

II. 『トピカ』における存在の図式

105b31-37 は用語法や図解 (diagrams) の点でプラトンを想起させる。135b7-8, b17 は存在するものの ta kath'auta と ta antikeimena への分割について述べ,後者を ta enantia と ta pros ti に分割する。また 127a26ff.121b4ff.における「一」や「存在」への言及にもプラトン存在論への影響が伺える。「大小」「同」「他」「先立つ (prior)」「似た」等々のプラトン的概念は存在するものの分類に重要な役割を果たす。「他」について i.5, 15,「同/異」について vii.1 (cf. Metaph Γ2, I3),「似た」について i.17,「大小」について例えば 107b13, 114b37, 127b17, 137b14, 146a3. 「先立つ」について 141b5, 150a35.

プラトン存在論は存在するもののカテゴリーを有した。『トピカ』にも同様の区別が見られる。cf. iv.1, 121b17, 124b32-34, 125b15ff.

自然の元素について,プラトンは分割法によって四元素の区分が得られると考えたが,『トピカ』に同種の見解は見られない。四元素自体は数多く言及される。

III. トピカの学問的方法とプラトンの諸原理の理論

次いで『トピカ』が用いる / 言及する方法論について論じる。

分割法は『トピカ』全体を通じて見られる。頻出する tauton e heteron の問いは対立の理論 (theory of dichotomy) との繋がりで考えられねばならない (i.17-18, vii.1-2. cf. 『分析論後書』ii.13 で粗描されるスペウシッポスの理論)。分割法に直接関わるのは以下の箇所である: 109b15, 120a34, 122a26, 132b35, 142a7, 143a36.

著作群の他の箇所,なかんずく『動物部分論』において,アリストテレスは分割法に極めて批判的である。*2それゆえ『トピカ』はアリストテレス自然思想の (プラトンに近い) 初期段階を示していると見るべきである。また類の位置付けも異なる (ousia であるか否か)。これとの関係で,さらに 107a10ff. の to metrion という『ポリティコス』を連想させる術語法にも注意を要する。

以上のように,『トピカ』のテクストは後期プラトニズムの空気を吸っている。おそらくアカデメイアにいた時期に書かれたものと思われる。他方,アカデメイアの論理的道具を用いていることから,アリストテレスプラトン存在論的図式を受け入れていた,と確言することはできない。とはいえ,『トピカ』の多くの章はプラトン存在論の文脈のなかで説明されることが自然であると,本論考はあえて主張する。*3

*1:"εἰ μὲν οὖν μὴ ἔστι τις ἑτέρα οὐσία παρὰ τὰς φύσει συνεστηκυίας, ἡ φυσικὴ ἂν εἴη πρώτη ἐπιστήμη[.]" 反実仮想の含みはない。

*2:PA 執筆時のアリストテレスが分割法一般に批判的かどうかは微妙ではないか。

*3:同シンポジウムの Solmsen の主張がこれに真っ向から対立する。『トピカ』が (概してプラトンの教説を受け入れていた) アカデメイアの徒に向けて書かれたと想定するなら,用語法や方法論をもとに,それに加えてアリストテレス自身の「受け入れ」を想定すべき理由はないように思う。