Evans, Aristotle's Concept of Dialectic #1

  • J. D. G. Evans (1977) Aristotle's Concept of Dialectic. Cambridge: Cambridge University Press. 1-6.

エヴァンズ『アリストテレスのディアレクティケー概念』序論。*1とにかくアリストテレス哲学の中でのディアレクティケーの地位を向上させようという意気込みが感じられる。


歴史的背景

昔の人々,とりわけアレクサンドロスとパキウスは『トピカ』の良い注解を作った。近代の完全なものとしては Waitz のものが最新である*2。だが Waitz の『トピカ』注解は例えば『分析論後書』のそれに比べても薄く,近代における関心の低下を示している。

今日では『トピカ』への関心はむしろ歴史的な設問へと移行している。一般的傾向としては,アリストテレス論理学の比較的早い段階を示すものとされる (Solmsen)。(もっともこれに反対する論者もいる (Maier, Stocks, Ross)。) 特に Hambruch 1904 による Divisiones Aristotelicae との主張の類似性の研究が大きな影響を持っている。要するに『トピカ』はプラトン的ディアレクティケーとアリストテレス的推論術 (syllogistics) の移行期に位置づけられるのである。他方いくつかの研究は,この全体的傾向の例外をなす (Le Blond, E. Weil, G. E. L. Owen, Braun, Brunschwig, etc.)。

本書のねらいと議論

『トピカ』にはそれ自体として研究される価値がある。本書のねらいは,ディアレクティケーの (実践ではなく) 理論 が,知的探究の諸形式についてのアリストテレスの理論において占める位置の探究である。表現の制限的 / 非制限的 (qualified and unqualified) 形式の区別,およびそれによる哲学的中心概念の分析が,この議論において重要な位置を占める。さらに,『トピカ』のディアレクティケー観はこの分析に基づいているとも論じる。結果として,『トピカ』がアリストテレス哲学の中で枢要な位置づけを得ることになる。

本書は相対的な時系列の問題には立ち入らない。教説内容の吟味がそれに先立つべきだからである。とはいえ,本研究の結果は,間接的に,上述の「移行期」説に再考を促すものとなる。

第二章では『形而上学』におけるディアレクティケーへの言及,またディアレクティケーと諸学 (なかんずく普遍学としての存在論) との結びつきの説明を分析する。第三章では,この分析が依拠する哲学的前提として,人間の能力 (faculty) とその対象についてのアリストテレスの見解を諸テクストから取り出す。ここからまた,アリストテレスにおけるディアレクティケーの役割の重要性が論じられ,プラトンのそれと鋭く区別される。最終章では,『トピカ』の定義論が吟味され,『トピカ』の内容がそれまでのディアレクティケーの理論についての説明と符合することが確認される。

ディアレクティケーは,現実についてのいかなる見解も含まないことによって,諸学問 (個別学問および存在論) と区別される。こうした関係は人間の能力とその対象についての形而上学的教説の観点から説明できる。熟練者の能力の対象は実際にそうである事物であるが,非熟練者の能力の対象は単にそのように現れる (seem to be) 事物である。能力の対象は,人や集団によって制限される (qualified) か,絶対的で無制限かである。後者においてのみ普遍性が担保され,それが学問の条件である。知識 (understanding) の基礎づけの観念は両者の区別を必要とする。他方で,非熟練者の能力の使用を調整する知的活動もあり,ディアレクティケーはその一つである。ディアレクティケーは能力の非学問的使用から学問的使用の橋渡しをする。――本書では以上のように論じられる。

*1:"Dialectic" 概念の闡明を期する研究書であるから,現時点では単なる音写に留めておく。一応自分では「問答法」と訳すことにしているが,ここでは現実の会話の技術という含みのある問答法という訳語よりも「弁証法」「弁証術」などの方があるいは著者の意図に沿うかもしれない。今後もなるべく同様の考慮のもとで訳語を決めることにしたい。

*2:現在ではブランシュヴィックのものが完成している。