今週読んだ本

古代ローマを知る事典』

ローマ史の学習の手はじめに手に取った。一種の「読む事典」で,第一部「『古代ローマ帝国』入門」,第二部「古代ローマの社会と生活」の二部に分かたれ,それぞれ政治史と社会史を教科書風に叙述している。図版が豊富。

『賄賂とアテナイ民主政』

ギリシア人,なかんずくアテナイ民主政が,賄賂に対して取った社会的態度の変遷を描く。以下に概要を記す。

ポリス民主政において賄賂は当然批難の対象となったが,本書によれば,賄賂はギリシア社会において初めから悪とみなされ,厳しく断罪されたわけではなかった。そもそもアルカイック期においては贈与交換が社会全体を組織化する基本的原理であり,*1とくにクセニアと呼ばれる財やサービスの交換を伴う賓客関係は国際政治における連合関係の形成に重要な役割を果たした。*2ヘシオドスの賄賂批判も,貴族が正当な返礼を行わないことへの批難であって,結局はこうした互酬性の規範に根ざしたものであった。

このアルカイックな態度が変質し,前5世紀末に賄賂が犯罪として認識されるに至るまでには,複数の段階を経る必要があった。一つの転機はペルシア戦争で,1. ギリシア連合軍の一員が収賄によってペルシアと内通するという認識が生じる。この転換は異民族をめぐるイデオロギーの成立と連動するが,2. 同時に自民族にぞくする他国からの将軍の収賄に警戒心を抱くことにもつながる。やがて 3. デロス同盟の貢租をめぐる同盟国からの政治家の収賄,4. 市民権の不法取得のための外国人の民会・評議会への贈賄,5. 法廷買収,といった賄賂類型の認識が成り立つ。*3

前4世紀後半には,贈収賄罪に関して以下の法および訴訟手続きが存在した。1. 役人の収賄――執務審査(エウテュナイ)。刑は収賄額の10倍の罰金。2. 評議会や民会における動議提案者の収賄――贈収賄に対する公訴(グラーフェー・ドーローン)。刑は収賄額の10倍の罰金。3. 国事犯級の収賄――弾劾裁判(エイサンゲリア),刑は死刑,4. あるいはアレオパゴス評議会による捜査報告(アポファシス),刑はやはり死刑。このほか 5. 「法廷買収罪関連法」と 6. 「一般贈収賄関連法」が存在した。*4 なお 6 の成立を「法の保護停止 ἄτιμος」の一語から前6世紀に遡らせるマクダウェルの議論*5を著者は支持せず,法の前半は前5世紀半ば以後に,後半はペルシア戦争末期あるいは直後に作られたものと推論する。

なお,賄賂「認識」に焦点を合わせる本書の問題設定は,実際の賄賂横行の程度を論じることは不可能であり不毛である,という認識にもとづいている。近代の古代史家は,アテナイペロポネソス戦争をさかいに衆愚政に堕した,という古典的盛衰史観を背景として,アテナイにおける賄賂の横行を論じたが,1980年代以降の実証研究はもはやこれを許さない。第一に,賄賂横行説の論拠として公的弁論における賄賂批判が挙げられてきたが,前5世紀末に登場したこの文学ジャンルに事実の客観的報告を期待することはできない。*6さらに,収賄はその性質上史料に残りにくく,また賄賂と贈り物の区別が曖昧であった*7ことも賄賂の事実認定を難しくする。歴史研究のこうした方針転換には,社会人類学における贈与論の進展とその歴史学への波及が与って力あった。

ギリシア・ローマの盛衰』

1967年に文藝春秋の「大世界史」シリーズの一巻として出たものの改訂版。旧版の表題を受けて副題に「古典古代の市民たち」とあるが,実際の内容は先史時代から西ローマ帝国の滅亡までのギリシア・ローマの通史であり,前146年,後235年を一応の画期として三人の著者が分担して叙述している。エーゲ,ミケーネ時代から初期キリスト教史までをカヴァーして計350ページほどに収めていると思うとなかなかすごい。

ともかくこれで西洋古代史は通覧できたことにして,今後は研究書なども読んでいきたい。

アリストテレース詩学』・ホラーティウス『詩論』』

授業の教科書なので読んだ。授業の教科書なのに読んでいない本がまだいくつかある。

『詩論』に関する訳者解説は両テクストの関係について触れている。曰く,ホラティウスアリストテレス詩学』を読んでいたとは考えにくく,影響関係があるとしてもヘレニズム時代の文学理論をつうじた間接的なものに留まる。それにも関わらず,16世紀に入ってアリストテレス詩学』が読まれるようになったとき,すでにギリシア・ローマ由来の弁論術の伝統があったために,これがしばしばホラティウス『詩論』にもとづいて解釈され,誤解された,ということがあるようだ。

*1:cf. フィンリー『オデュッセウスの世界』。

*2:cf. G. Herman, Ritualised friendship and the Greek city, 1987.

*3:133頁の整理にもとづく。

*4:136頁の整理にもとづく。

*5:D. M. MacDowell, "Athenian laws about bribery", 1983.

*6:たとえばデモステネスは収賄を批判するある弁論でカリアスの和約を引証するが,この和約の史実性自体,現在では疑われている。

*7:そもそもいずれもギリシア語では δῶρον の一語で表現される。