アリストテレスの同名異義性概念 Shields, Order in Multiplicity #1

  • Christopher Shields (1999) Order in Multiplicity: Homonymy in the Philosophy of Aristotle. Oxford: Oxford University Press. 9-42.
    1. The Varieties of Homonymy.

アリストテレスの同名異義性 (homonymy) 概念の研究書を第1章から読む。

本書全体は homonymy as such を論じた後 homonymy at work を調べる,という手筈になっている。序論によれば,「存在の同名異義性の議論だけは上手くいっていないが,身体や善についての同名異義性の議論は成功しており,総じて同名異義性概念には enduring value がある」という結論になるらしい。いわば同時代人としてアリストテレスを遇する論じ方と言えるだろう。

本章はトピックは面白いが論証については不明な点が多かった。それと造語が多く読みづらい。


同名異義性概念の特徴付けを行う。最初は「ある」「善」の同名異義性についての込み入った議論に立ち入ることはしない。(i) 概念の明確化,(ii) その適用の理論的基盤の解明,(iii) その理論の評価,に集中する。

1. アリストテレスの同名異義性の導入

Cat. 冒頭の同名異義性の特徴付けは,二様に解釈できる。

  • 分離的同名異義性 (Discrete Homonymy, DH): x と y は同名同義的に F である iff. (i) 両者は共通の名前を持つが (ii) 定義は一切共通しない。
  • 包括的同名異義性 (Comprehensive Homonymy, CH): x と y は同名同義的に F である iff. (i) 両者は共通の名前を持つが (ii) 定義は完全には重なり合わない。

CH によれば同名異義性と同名同義性は全体を尽くす。DH によればそうではない。どちらが正しい定式か,ということが問題になる。

なお以上の定式は,「語が同名異義的である」という事態を排除している。だが実際にはそうした語り方をしている箇所もある (e.g. GC 322b29-32)。だからこの段階では CH ないし DH は公式見解と見なしえない。*1

2. 分離的 / 包括的同名同義性

アリストテレス解釈として DH は誤りであり CH が正しい。cf. Top. i15, SE 33, NE i6.

またそもそも,Cat. が冒頭で「同名異義性」概念を提示するのは,次のようなbe の諸カテゴリー間の非一義性 (non-univocity)*2 に読者を慣らすためである:

  1. Speusippus is.
  2. The colour blue is.

1 と 2 の 'is' は区別されるが,それでも連関している。これも CH を採る根拠となる。*3

3. 非同名異義的である多義的なもの

Corpus には CH を脅かすように見える箇所が幾つかある。それらの箇所では同名異義者 (homonym) と多義的なもの (multivocals) が対比されている。第三項があるか,同名異義性が多義性とは別の特徴づけを必要とするのか。これもどちらでもなく,同名異義的ということで分離的同名異義性が念頭に置かれているだけである。よって CH が正しい。*4

4. 偶然でない分離的同名異義者

定義に共通点があるか否かで同名異義性は二種類に分けられる。共通点がなければ分離的同名異義性であり,あれば連合的同名異義性 (associated homonymy) である。アリストテレスは幾つかの箇所で分離的同名異義者を明白,単純で馬鹿げている (εὐήθης) と示唆する。*5だが,分離的同名異義性が重要な箇所もある。De An. 412b10-15 (壊れた斧の例),412b18-22 (視力を失った眼の例)。例えば「τὸ πελέκει εἶναι はものを叩き切る道具であることだから,壊れた斧は斧ではない――ただし同名異義的な仕方を除いて (πλὴν ὁμωνύμως)」とされる。だが,ここに同名異義性があるということ自体,論拠を要するだろう。そしてアリストテレスはそうした論拠を与えている。

5. 偶然でない分離的同名異義性と機能的規定

それは次のテーゼである。(Pol. 1253a19-25, Meteor. 390a10-15; cf. GA 734b24-31.)

機能的規定テーゼ (functional determination, FD): x が類ないしクラス F に属する iff. x はその類ないしクラスの機能を果たす。

FD は広範囲の人工物 (artefacts) について正しいように思われる。他方ある種の科学的本質主義からは乖離する (e.g. H2O)。しかしともあれ,FD は同名異義的なものの区別を要求する。

6. 連合的同名異義性

より興味深いのは連合的同名異義性であり,この場合,観念の間の区別と両者の連合の仕方を捉えることが難しい。e.g. EN 1129a26ff., δικαιοσύνη の同名異義性。またこの例とは別に,中核依存的 (core-dependent) 連合の例もある。e.g. Meta. 1003a34-b1, ὑγιής の同名異義性。「ソクラテスは健康的である」「ソクラテスの顔色は健康的である」「ソクラテスの養生法は健康的である」という文のうち,後ろ二つは最初の説明に還元できる。言い換えれば多数性における秩序 (order in multiplicity) を有する。

7. 蠱惑的 / 非蠱惑的同名異義性

蠱惑的同名異義性 (seductive homonymy, SH): x と y は蠱惑的同名異義者である iff. (i) 両者は共通の名前を持つが (ii) 定義は (a) 一切共通しないか,(b) 完全には重なり合わない。そして (iii) 観察者に対して,(ii-a) が正しければそれを偽だと思い込ませ,(ii-b) が正しければそれを偽だと思い込ませる傾向にある。

蠱惑的同名異義性か否かはある程度主観的であり程度問題だが,偶然でない分離的同名異義性や連合的同名異義性の多くはそうである。

8. 同名異義性の諸タイプ: 概観

結局以下の4種類の同名異義者があることになる。

  1. 非蠱惑的・分離的同名異義者: 〔EN 1129a26ff. の〕「鍵」や Top. i15 の地口。
  2. 蠱惑的・分離的同名異義者: 偶然でない分離的同名異義者,e.g. 有機的 / 非有機的身体。
  3. 非蠱惑的・連合的同名異義者: おそらく健康がここに入る。アリストテレスは健康を用いて他の例を説明するから。
  4. 蠱惑的・連合的同名異義者: 存在,善,正義,etc.

9. 結論

  • 同名同義性と同名異義性の間に tertium quid はない。多義性は同名異義性に他ならない。
  • 分離的同名異義性と連合的同名異義性が区別される。分離的だが蠱惑的な同名異義性があり,それは FD を用いて弁別される。
  • だが FD だけでは多義性を論じるのに十分ではない。そのため中核依存性が導入された。

*1:「そもそも Cat. の同名異義性は οὐσία に関するそれである」と考えれば解釈上ここはクリアーできるように思う。

*2:なお Shields は「πολλαχῶς λεγόμενον であること」の翻訳表現として 'multivocity' を用いる。簡単に「多義性」と訳すことにする。

*3:ここの解釈は面白いが,少なくともこの時点では充分な根拠があるとは言えないし,CH の傍証にもならないだろう。

*4:特に Top. 110b16ff. (p.26ff.) ここも奇妙な行論で,もしそうなら 'ὁμώνυμος' 自体に広狭両義あり「CH か DH か」は一概に言えないことになるはずだが,Shields はそうは言わない。(素直に読めばそもそも ὁμώνυμος と πολλαχῶς λέγεται の同一視がまずいということになると思う。)

*5:典拠不明。