術語的 πρός τί πως ἔχον とその初期アカデメイア起源 Sedley (2002) "Aristotelian Relatives"

  • David Sedley (2002) "Aristotelian Relatives" in Monique Canto-Sperber et Pierre Pellegrin (éd.) Le style de la pensée, Les Belles Lettres, 324-352.

Cat. の関係項の第二定義は,第一定義から「ソフトな」関係項を除外し,「ハードな」(当の関係項であることが専らその関係に存する) 関係項だけを残したものになっている,とする解釈.さらに後者の起源を初期アカデメイア派に求める.


Cat. 7 の関係項の定義 (6a36-b8) について,章末に (8b13ff.),一部の実体 (実体の有機的部分) が関係的にならないかという懸念が提起される.実際,5章では実体の部分が実体だとされるが,7章 6b36-7a22 では「翼」「頭」「舵」が関係項とされる.

これが問題である理由は,明確に述べられてはいないが,推測はできる: 一部の実体が関係項だとすると,「実体はそれ自体内在的本性をもつものだ」という根本的な見方に違反することになる.

一般にそう思われているように,いかなる実体も関係項に属すると語られないか,それともこれが第二実体のあるものについて許容されるか,という難問がある.すなわち,一方で,第一実体については〔前者は〕真である.というのも,全体も部分も関係的に語られないから.というのも,或る人間は何かの或る人間であるとは語られないし,また或る牛も何かの或る牛であるとは語られないから.部分も同様である.というのも,或る手は何かの或る手として語られはせず,むしろ何かの手として語られるのであり,或る頭も何かの或る頭として語られはせず,むしろ何かの頭として語られるから.

第二実体についても,少なくとも大多数については,同様である.例えば人間は何かの人間としては語られず,牛も何かの動物としては語られず,木材も何かの木材としては語られず,むしろ誰かの財産であると語られる.さて,こうしたものどもについては,関係項に属さないことは明らかである.他方,第二実体のうち若干のものについては,論争がある.例えば,頭は何かの頭であると語られ,また手は何かの手であると語られ,そして各々がそうしたものに属するのであり,したがってこれらは関係項に属すると思われるかもしれない.(8a13-28)

この議論はギリシア語の性質に訴えてはいない (実際 "τινός τις χείρ" が言葉として許容不可能かどうかは定かでない).論点はむしろ形而上学的である: ある手が,その手の持ち主の関係項であるなら,それはこの特定の手であるがゆえではなく,であるがゆえなのである.つまり,個体性ではなく,種に根拠がある.

ここから関係項の定義自体が問い直される.

さて,関係項の定義が充分に説明されたのであれば,いかなる実体も関係項について語られないと解決するのは,かなりの困難ないしは不可能事に属する.充分でなく,むしろ関係項とは,それにとっての〈あること〉が,或るものと何らかの仕方で関係することと同一であるとすれば,それらについて何ごとかが言われうるだろう.以前の定義は全ての関係項に付随しているが,しかしこのことが,それらにとっての関係項であることではない.すなわち,他のものに属する限りのものどもと語られることが.これらのことから,もし或る人が関係項のうちの何かを確定的に知っているなら,それが関係するところのものも確定的に知っているのは明らかである.

それはそれ自体からも明らかである.すなわち,或る人が関係項に属する或るこれを知っており,関係項にとっての〈あること〉が何かに関係して何らかの仕方であることと同一なのであれば,これが関係してあるところのものも知っている.というのも,これが何らかの仕方で関係してあるところのものを全く知らないなら,何らかの仕方で関係してあるかどうかも知らないだろうから.(8a28-b3)

ここで改訂版の定義が登場する.この定義のもとでだけ,「確定的に」関係項を知ることが「確定的に」相関項を知ることを含意する.これを「認知的対称性の原理」と呼ぼう.

次にアリストテレスは同じ原理を,特定の関係的述語の例から例証する.

個別的な事柄の場合にもこうしたことは明らかである.例えば,或るこれは,もし確定的な仕方で二倍であると知っているなら,何の二倍であるかも直ちに非確定的に知っている.というのも,それが確定的なもののうち何の二倍であるとも知らなければ,二倍であったとしても,全く知らないのである.同様に,或るこれがより立派であると知っているとき,そのことからして,直ちに,何より立派であるかを確定的に知っていることが必然である.これがより劣ったものより立派であるということを,不確定的に知ることはないだろう.というのも,そうしたものは判断となり,知識とはならないから.というのも,より劣ったものより立派であると正確に知っていることには,もはやならないだろうから.というのも,そうだとすれば,何ものもそれより劣ったものにならないから.したがって,関係項のうち或る人が確定的に知っているようなものは,〔当の関係項がそれと〕関係的に語られるところのものも確定的に知られることが必然であることは明らかである.(8b13-15)

ここで「確定的」知識ということの意味が説明される: x がより F であると確定的に知るためには,x が (ある確定的な) y より F であると確定的に知る必要があり,x が x より F でないあらゆるものより F であると知っているだけではいけない.

これを用いてアリストテレスは解決を提示する.

頭や手や,実体であるそうしたものの各々は,まさにそれであるものが確定的に知られるが,それと関係して語られるもの〔が確定的に知られること〕は必然的ではない.というのも,この頭が何の頭であるか,手が何の手かは,確定的には知られえないから (τίνος γὰρ αὕτη ἡ κεφαλὴ ἢ τίνος ἡ χεὶρ οὐκ ἔστιν εἰδέναι ὡρισμένως).したがって,それらが関係項に属することはありえない.関係的なものに属さないなら,いかなる実体も関係項に属さないと述べるのは真であるだろう.

下線部が主張する認知的非対称性は疑わしい.そこで Ackrill は ἀναγκαῖον を補う.だがこの提案は,議論の対象が第二実体であること (8a24-28),および「手」の相関項が「ソクラテス」などではないこと (6b36-7a18) を見落としている.

むしろ気息記号とアクセントを変えて,αὕτη を αὐτή にすればよい (「手や頭そのものが」).この言葉づかいの眼目は,以前の例において関係項が述語的だったのに対し,ここでは主語の位置にあることを示すことにある.

この場合,認知的非対称性の理由は,例えば頭が主語に来る際に,その相関項を確定的に理解することができないからである: 頭が「感覚や食物摂取の機能を持つ体の部分」などと確定的に知ることができるのに対し,その相関項は「頭をもつもの」というだけである.したがって改訂版の定義の場合,実体の部分は関係項にならない.

では,改訂版の定義は何を意味し,もとの定義とどう違うのだろうか.

  • 元の定義 (6a36-7): Πρός τι δὲ τὰ τοιαῦτα λέγεται, ὅσα αὐτὰ ἅπερ ἐστὶν ἑτέρων εἶναι λέγεται ἢ ὁπωσοῦν ἄλλως πρὸς ἕτερον.
  • 改訂版の定義 (8a31-2): ἔστι τὰ πρός τι οἷς τὸ εἶναι ταὐτόν ἐστι τῷ πρός τί πως ἔχειν.

古来解釈者たちは,前者が語り方,後者があり方に焦点を合わせていると考えてきたが,この想定は間違っている.前者だけが認知的対称性を含意しないと言うには,前者が純粋に名目的定義で事象と対応しないと言う必要がある.だがその直後の議論はむしろ形而上学的である.かつ Cat. の他の箇所では語られ方とあり方は完全に共外延的である.

アリストテレスの区別はむしろ,「ソフトな」関係性と「ハードな」関係性の区別である:

  • ソフトな関係性: F が関係項 iff. x is F が補完を必要とする (i.e., x is F of y, than y, for y etc.).
  • ハードな関係性: F が関係項 iff. x が F であることが,単に何らかの y との関係を含意するのみならず,むしろその関係に存する (consists in).

7章冒頭では関係項が二種類に区別されるが (τὸ μεῖζον, τὸ διπλάσιον / ἕξις, διάθεσις, αἴσθησις, ἐπιστήμη, θέσις),違いは明記されない.だが振り返ってみれば,前者はハード,後者はソフトだと言える.(奴隷もハードである: 奴隷が人間であることは単に付帯的である (7a31-b1).)

ハードな関係性は認知的対称性を十分に基礎づける.何かの二倍性がそれに存するところの関係と,何かの半分性がそれに存するところの関係は同一である.ゆえに一方が二倍であると確定的に知るとは,他方が半分であると確定的に知ることと同じである.

ソフトな関係性は認知的対称性に十分でない.例えば ἐπιστήμη が何かは確定的に知ることができるが,ἐπιστητόν はそうではない.なぜなら,ἐπιστήμη のようなソフトな関係項は,第一義的には内在的条件 (intrinsic condition) によって (例えば ἐπιστημῶν の心的状態として) 特徴づけられる限りで,単なる相関項の関数ではないからだ.

ただしハードな関係項への制限は試行的解決にすぎない (8b21-4).事実,第一定義や ἐπιστήμη の例は後にも用いられている.

以上の解釈の区別は,シンプリキオスのストア派解釈 (166.15-29) の区別と全く同じである.もっとも現在では,アリストテレスの特徴づけより単純なテストが使える: ハードな関係項であるとは,ケンブリッジ変化を被りうることである.

ハード/ソフトの区別はシンプリキオス自身のものではなく,アリストテレスに帰属されているわけでもない.それゆえストア派の立場の正統な報告として使える.甘い・苦いというソフトな関係項の例も同様である.(甘さがソフトなのは,知覚者に相対的である一方,甘さは単に知覚者と知覚対象の関係に存するのではなく,むしろ帰属するものの物理的状態であるからだ.)

「関係的様態」はストア派の四カテゴリーの第四である.学派内にこれを用いる内的動機があったと思われるが (例: クリュシッポスによるアリストンの徳論批判),この点は追求しない.むしろ,アリストテレスの概念とストア派の概念の関係を問うてみたい.

ストア派の呼称は "πρός τί πως ἔχον" であり,アリストテレスのとよく似ている.アリストテレスと違うのは,ストア派の場合にはこの句自体にハードさを含む術語的意味があることだ: 第三カテゴリーの "πως ἔχον" が比較的変動しやすい状態を指し,それゆえ "πρός τί πως ἔχον" も (甘さなどとは異なる) 変動しやすい・付帯的な関係性を指す.

ストア派アリストテレスから概念を借りてきたとするのは尤もらしくない.まず著作が読めたか・現に読んだかという問題がある (cf. Sandbach 1985).Cat. は少なくとも前1世紀半ばまでは埋もれていたように思われる.加えて,古代の注解が揃って誤解してきた箇所がストア派の着想源となったというのは尤もらしくない.

語句 "πρός τί πως ἔχειν" の若干の用例を見よう.

  • まず EN I.12 (1101b10ff.) に登場する.物事が称賛に値するのは (a) 内在的性質と (b) 外的基準による.後者が "τῷ πρός τί πως ἔχειν" と言い表される.論点は,外的基準が存在しないため,厳密に言えば神や幸福は称賛すべきではない,という点にある.(a) と (b) の区別が重要であり,Cat. 7 の厳密な用法が念頭にあると言える.
  • Phys. VII.3 (24b3-20) では,心身の卓越性や欠陥は ἔστι τῷ πρός τί πως ἔχειν であるがゆえに真の ἀλλοιώσεις ではないとされる.議論は難解だが概念自体は明快である.
  • Top. VI.4 (142a26-31) では,ταὐτὸν τὸ εἶναι τῷ πρός τί πως ἔχειν なものが「定義項は被定義項に先立つ語を用いる必要がある」という規則の例外とされる.VI.8 (146a36-b4) でも同様の言葉づかいがなされる.

他方 Met. N1 (1088a29-35) は,ハードな関係性に言及する一方,ケンブリッジ変化によって特徴づけており,この語句は登場しない.Δ15 はソフトな関係性の説明を採っており,やはりこの語句は登場しない.

よって,(i) アリストテレスは (時に自覚的に) ハード・ソフト二つの捉え方を揺れ動いており,(ii) 時にはハードな関係性を πρός τί πως ἔχειν で指しており,(iii) しかし毎度説明を加えていることからわかるように,それが自分の術語の不可欠な要素だとは見なしていない.

では,アリストテレスはどこからこの概念を得たのか.初期アカデメイア起源であると示す証拠がある.シンプリキオスの Cat. 注解は,質が「所持可能な ἑκτά」ものだというテーゼの支持者として「アカデメイア派」を挙げる (209.10-14, 212.7-11, 369.19-24).シンプリキオスいわく,彼らはイデア (εἴδη) が諸事物によって「所持される」とするが,この主張は "χωριστά" という特徴づけと不整合である.そして彼らはまた "πρός τί πως ἔχον" を用いた (217.13-25).――ここの叙述はハードな関係性と合致する.

これはアカデメイア派の誰か.ヘレニズム期の人々ではありそうにない.(a) スペウシッポスからポレモスまでの初期アカデメイア派,(b) アンティオコスの追随者,(c) エウドロスの追随者,のいずれかだと思われる.ただしアンティオコスは形而上学にほぼ関心を示していないし,エウドロスをシンプリキオスは通常ここと違って現在形で顕名で言及する.ゆえに,エウドロスが批判対象としたアカデメイア派の人々だと推測される.

時代はいつか.前1世紀のエウドロス以前にプラトン形而上学を採用したアカデメイア派は存在しない.ゆえにエウドロスは初期アカデメイアから素材を得たものと思われる.

4世紀アカデメイアにおいてはカテゴリー論への興味がはっきりと存在した.クセノクラテスは καθ᾽ αὑτό / πρός τι 二カテゴリー図式を採用したと言われ,ヘルモドロスはより精緻な関係項分類を生んだ.なるほどヘルモドロスの図式にハード/ソフトな関係項はないが,こうした関心が存在し,初期アカデメイア派が大きく多様である以上,シンプリキオスが言及する無名のアカデメイア派を初期アカデメイアに位置づけるのは適切である.

またハードな関係項を区別する動機もある.二カテゴリー図式だと πρός τι が非実体すべてを含む広範なカテゴリーになってしまう.それゆえ Tht. 154-155 が論じるような狭義の相対性を取り出す術語を作るのは自然である.

ペリパトス派外部でも二カテゴリー図式は支配的だった.それから前1世紀半ばに Cat. が再登場した.以来前1世紀のあいだ,あるいはその少し後に,少なくともアカデメイア派のエウドロスとペリパトス派のアンドロニコスが多カテゴリー図式を採用した.ゆえにこの間 "πρός τί πως ἔχον" が単純な "πρός τι" と区別されてアリストテレスの関係カテゴリーを指すのに用いられたのは重要である.二カテゴリー図式が消滅すると,これら二つの表現は同義語として用いられるようになる.こうしたことは,二カテゴリー図式こそが両者の区別を生み出し支えていたのだという印象を強める.アリストテレスが通常二カテゴリー図式を避けていることは,彼にs大抵の場合 "πρός τί πως ἔχον" が不要だったことを説明する.

先述の通りこの教説はストア派のそれに似るが,πρός τί πως ἔχον を πως ἔχον と並置せず,πως ἔχον の一部としている点で異なる.アカデメイア派の教説がストア主義の背景にあると想定するのは容易である.ゼノン自身アカデメイアで訓練を受けている.またシンプリキオスの報告によれば,ποιόν もアカデメイア派のカテゴリー図式に含まれる.そして内在的 ποιότης はアカデメイア派の自然学において中心的役割を果たしたとアンティオコスは報告している.

前半で論じたアリストテレスの用法自体,アカデメイア派起源の証拠となる.さらに Cat. の第一定義自体,Sph. 255d の言葉づかいを響かせている.