Lee (2005) Epistemology after Protagoras, Ch.5 秘密の教説の論証構造
- Mi-Kyoung Lee (2005) Epistemology after Protagoras: Responses to Relativism in Plato, Aristotle, and Democritus Oxford University Press.
- Chap.5. The Secret-Doctrine in Plato's Theaetetus. 77-117.
5.1 序論
- (P) 尺度説は (T)「知識 = 感覚」説の代わりとして導入される.
- 両者の関係は詳論されない.
- (T) は様々に解釈できる:
- 「どちらも成功動詞 (success verb) だから同一である」という解釈.
- だが know や perceive が成功動詞であることは虚偽の現れ・判断の可能性と両立する.したがって尺度説へのコミットメントは出てこない.
- (T2)「知っている事柄は感覚している」と (T3)「感覚する事柄は知っている」の連言だという解釈.
- この場合 (P) との繋がりは確保しやすい.だが (T2) がもっともらしくない (147d-148b).
- αἴσθησις をより広く 'awareness' と理解する (cf. Burkert 1972).
- もっともらしいが同語反復的であり,また (P) へのコミットメントを確保できない.
- 「どちらも成功動詞 (success verb) だから同一である」という解釈.
- ソクラテスは (T) ⇔ (P) だと言っているわけではなく,含意のより明瞭な (P) を仮設して (T) の言わんとすることを明らかにしている,と理解できる.(Cf. Meno 86d.) (P) が直接帰結するわけではないので,追加の同意が得られる:
- あると A に現れていることは,A にとってある.
- 「現れている」とは「感覚している」ということである.
- ∴ ものは感覚される通りにある.
- (虚偽でなく真であることは知識にとって十分である.)
- ∴ 感覚はつねに知識である (T3).
- ソクラテスは,感覚の領域に限れば,プロタゴラスは正しいかもしれず (Tht. 171d9-e3),論駁不可能でさえあるかもしれない (179c2-7) と述べる.
- 感覚的現れの場合には,他の場合 (正義,美,恥 etc.) にはない信頼性・権威性が自分自身にあると考えやすい.この意味で人間が「尺度」だという主張がもっともらしくなる.
5.2 プロタゴラスと秘密の教説
- 尺度説が以下のいずれかは問題である.
- (P1) A に x が F だと現れる ⇒ x は (A にとって) F である.
- (P2) A に x が F だと現れる ⇔ x は (A にとって) F である.
- プロタゴラス断片に決め手は存在しない: 歴史的プロタゴラスが (⇐) を認めていない可能性はある (Aristocles in Eusebius, Praep. ev. XVI, 20, cf. DK 80 B4).
- だが Tht. 152b1-9 では (P2) が主張されている.その上で「秘密の教説」が導入される.
- 秘密の教説は尺度説の明確化を意図したものではあるが,いっそう論争的で不明瞭である.
- 本書の解釈: 秘密の教説は尺度説を双条件文 (P2) として理解するための補助材料を提供する (cf. McDowell 1973: 131, Matthen 1985: 37, Burnyeat 1976b: 181-2, Denyer 1991, Ketchum 1992: 83).
- 流動説は秘密の教説の一要素に過ぎない.もう一つの重要なテーゼは「何ものもそれ自身では何ものかではない」(万物の感覚者への相対化).
5.3 秘密の教説: 粗描
- 秘密の教説はゆるく結びついた一連のスローガンからなる:
- 何ものもそれ自体で一つではない: つねに反対の性質で修飾される (152d2-6).
- 何ものもそれ自体では何ものかではない: 何かに関して (πρὸς ἄλληλα) 何かになる.
- 何ものもそれ自体で何ものかでありはしない: むしろ全てが「なる」 (152e1).
- 以上は様々に解釈できる.例えば 1 は,全てが対立する現れをもたらすとも,対立する属性をもちうるとも,対立する属性を現にもつとも解釈できる.3 は,ある観点からは変化しているとも,全ての観点で変化しているとも取れる.
- 〈ある〉と〈なる〉は運動の産物,〈ありはしない〉・〈消滅する〉は静止の産物である.(153a5-7)
- よいものは運動,悪いものは静止である.(153c4-5)
- 万物が運動である.(156a5)
- どれが中核となる考えで,他とどう結びついているのか,は解釈を通じてしか言えない.
- したがって「ヘラクレイトス的」理論だとラベリングするのもやめたほうがよい.
- 影響力ある解釈の一つに「秘密の教説 (= 流動説,(H)) ⇔ テアイテトスの定義 (T) ⇔ 尺度説 (P)」解釈がある (Burnyeat 1982).これによれば,まず三者の同値性が確保され,次いで (P), (H), (T) が順番に論駁される.
- (T) (P) (H) の解釈は同値性に制約される.
- (P) ⇒ (H) は,「尺度説が含意する訂正不可能性を保証するために,流動説が必要とされる」と解釈される.(i.e., 安定性は客観性を含意してしまう).
- だが,(1) 「万物が全観点で流動する」という主張に相対主義者が与するか,(2) 不安定性の導入によりものの感覚者依存性を説明できるか,は不明瞭である.
- 三者の同値性を明示する文言は Tht. にない.したがって解釈上前提とすべきではない.
5.4 秘密の教説を構築する (『テアイテトス』153-160)
- 秘密の教説で最重要なのは「相対性」原理である: 何ものもそれ自体でありはせず,むしろ感覚者に相対的.
- これによって上記 (P2) を確保する.
- 流動説はむしろ副次的である.
- 秘密の教説の議論には色々奇妙な点がある.
- 言葉づかいが誇大かつ不明瞭.しらふの言葉づかいに直すとどうなるのか必ずしも明確でない.
- また構成も複雑で全容がつかみにくい.
- 秘密の教説の目玉になるのは「より高い」などの関係的性質との類比.ただその内実も明瞭とは言えない.
- プラトンの探求の中心的な問い:「テアイテトスにとって冷たい」とはどういう意味か.
5.5 第1段階 (153d8-154b6)
- 「何ものもありはせず,むしろなる」原理から,色は眼にも対象にも留まらないことが帰結する (153d8-e2).
- では色は何なのか.「何ものもそれ自体で一つのものではない」原理から,対象と感覚者の間で生まれるものだということになる (153e4-154a3).
- これは第3段階で詳論される.
- 混乱すべきでない点:「白さが石のうちにありはしない」は「石は白くありはしない」と同義 (cf. Cat. 2).色の位置づけと色の帰属は緊密に結びついている.
- したがって,ここでの主張は,眼も対象も色づけられてはいないということ.
- ここでソクラテスは「F と現れるものは何であれ ¬F とも現れる」という原理に訴える (154a3-9): 色は感覚者に相対的.
- 色 (など) は (1) 感覚対象も (2) 感覚者ももっていない (154b1-6).
- 対象が大きい・白い・熱いとすると,変化しなければ別様にならない.だが,実際は変化せずに別様になる.
- 感覚器官が大きい・白い・熱いとすると,他のものが接近し作用を被るか,いま接近しているものに何かが起きなければ,別様にならない.だが,実際は作用を被ることなしに別様になる.
- かりに (P) が流動説を含意すると理解すると,「感覚者と対象が変化しない」という想定はおかしい.
5.6 第2段階 (154b6-155d5)
- 以上の議論で「感覚対象と感覚者は変化することなく別様になる」ことは前提されている.
- だが,なぜ変化していないと言えるのか.−−この問いに次の段階で答えられる.
- 第2段階で,色を感覚対象と感覚者の間以外に位置づける誤りに陥る原因が説明される.第3段階では,誤りを避けるための要件が述べられる.答えは「色は関係的属性である」というものだ.
- ソクラテスの例: 骰子,テアイテトスの成長.
- 3つの φάσματα によってテアイテトスが逡巡する:
- 何ものも自身に等しいままより大きくなったりより小さくなったりしない.
- 何ものも何かが付け加わったり引き去られたりしなければ増加も減少もしない.
- 「なる」ことなしに以前とは異なるあり方をすることはない.
- これらは多義的であり,相対化の修飾句によって多義性を解消できる.
- 眼目は,感覚的属性も「より大きい」といった関係的性質と同様の非内在的性質だということ.
- 3つの φάσματα によってテアイテトスが逡巡する:
5.7 第3段階 (155d5-157c3)
- ソクラテスは感覚理論に立ち戻る.
- パズルを解消しないままテアイテトスに理論の受け入れを無理強いしている (cf. Dancy 1987) わけではない.
- むしろ,関係的性質と感覚的性質の並行性をより詳しく説明している (Cornford, Ross).
- 「能動的/受動的変化の交流が感覚的質とその感覚を生み出す」という μῦθος が導入される (156a5-b2).
- その λόγος は: 生み出す運動は遅く,生み出される運動は速い (156c7-d3).
- 「遅い」κίνησις のなかみは解釈が分かれる: (A) 遅い回転運動,(B) 性質変化.
- (A) は 181c7 に,(B) は 181c9-d1 に並行的表現がある.後者の方がぴったり重なるので,多くの人は (B) を採る.
- だが,どちらも決定的とは言えない.
- 「遅い」κίνησις のなかみは解釈が分かれる: (A) 遅い回転運動,(B) 性質変化.
- その λόγος は: 生み出す運動は遅く,生み出される運動は速い (156c7-d3).
- 知覚的な出会いが起こると,子供は「間で動き」,親も変化する: 眼が視覚で満たされ,対象も白さに満たされる (156d3-e7).
- そして,親にとってさえ,変化が起きるのは,相手との関係においてである (156e7-157b1).
- つまり μῦθος が第2段階のパズルに依存する仕方がここで説明されている.
- 第1段階から第3段階までの議論は連続的.第1段階で白さや熱が感覚者にも対象にも位置づけられるべきでないと論じられ,そうしない場合の混乱が第2段階の骰子の例で示される.第3段階でソクラテスは第2段階の議論を感覚的属性に適用する.
- 第3段階までの結論: 感覚的属性と感覚は内在的性質ではなく,特定の関係が成り立つ限りで存立する.例えば石は変化することなく白くなったり黒くなったりするが,そのとき起きているのは「遅い変化」(i.e. ギーチの Cambridge changes) である.
5.8 第4段階 (157c4-160e5)
- 最後に秘密の教説が尺度説を支持する仕方が説明される.
- いまや秘密の教説からプロタゴラス説とテアイテトスの定義がともに支持される.
- 感覚と感覚的属性は必然的に結びついている (「双子」); ミスマッチは起こりえない.
- 感覚的性質は感覚者に相対的である.(秘密の教説の眼目は流動説ではなく属性の非内在性にある.)
5.9 秘密の教説はうまくいっているのか
- 本書の解釈では,秘密の教説はプロタゴラスを擁護するための形而上学的テーゼの非統一的な寄せ集めだった.
- 尺度説を批判した後,プラトンはこの教説に立ち戻る: 「無制限の相対主義 (P) は間違っていても,感覚的性質に関する・狭い相対主義 (NP) は正しいかもしれない」(179c1-e2).
- ここで「運動する実有 (τὴν φερομένην ταύτην οὐσίαν) の吟味」が提案される.
- かりに NP が流動説を含意するなら,流動説批判によって尺度説は完全に論駁されることになる.
- だが,本書の理解では,プロタゴラスは流動説に与していない.秘密の教説は尺度説のありうる支持論拠にすぎない.したがって「吟味」によって NP が虚偽だと決まるわけでもない.
- ソクラテスは「全流動」説を適用することで秘密の教説を吟味する.
- 「全てがあらゆる観点で変化する」という原理を尺度説に適用するなら,そもそも色を同定することが不可能になり,白色を見るということが見ないことと区別できなくなる (182d1-e6).
- さらに,秘密の教説は (T) と not-(T) をともに含意してしまう (183a2-8).
- したがって,「全てが変化する」説は (T) (P) いずれの支持根拠にも使えない.
- 問題: なぜ全流動説にこだわるのか.
- 以上の解釈の批判としてありうる最大のものは,「プロタゴラスが流動説に与する理由は想像できる」というものだ.