津上英輔『「危険」な美学』

美の追求という一見して有益・無害に思われる行為のうちに,知性 (知) と理性 (意) の働きを停止させるはたらきがある,と指摘し,これを幾つかの例によって証示しつつ,これを説明する枠組みを提示する.すなわち,まず著者は,高村光太郎の戦争賛美詩,宮崎駿の『風立ちぬ』の close reading をつうじて,悪を覆い隠す「美の幻惑作用」を取り出す (1-2章).次いで「散華」の比喩や〈同期の桜〉を引きつつ,ソンタグの「隠喩」理論や伝統美学の「美的カテゴリー」の理論等々と比較検討しながら,〈プラスの要素とマイナスの要素の統合によって,マイナスの要素が一挙にプラスに転じる〉という「感性の統合反転作用」をあらたに提唱する (3-4章).

特に「必死の時」と『風立ちぬ』から「美」のあやうさを取り出す前半の議論においては,「高村光太郎はおろか,凡そ近代日本文学に疎い私」(63頁)「私は作品論や作家論,あるいは航空機の歴史を語る能力も野望もない」(74頁) という慎重な前置きのもとで,しかし鋭い批評がなされていると感じる.『風立ちぬ』は未見なのだけれど,今からでも観てみたいと感じさせられた.

なお本書は一般書だが,内容としては前著 (2010)『あじわいの構造』(未読) の議論も土台になっているようだ.この著作から通底するという「美学の社会性」の論点は,もちろん一定の伝統を有する視点でもあるのだろうが,昨今の世相に鑑みても重要な示唆を与えるものだろう.