ティマイオスのデザイン論証 Johansen, “Why the Cosmos Needs a Craftsman”

  • Thomas Kjeller Johansen (2014) "Why the Cosmos Needs a Craftsman: Plato, Timaeus 27d5-29b1" Phronesis 59, 297-320.

1. 導入

「宇宙は永遠の範型を見つめる製作者 (craftsman) の産物だと理解すべきである」と結論するティマイオスの論証は,省略的で結構が明瞭でない。本論考はこれを再構成し,「美しいものが生成するためには製作技術 (craftsmanship) が必要である」というのが省かれている主要な前提であると論じる。これは Tim. の他の箇所やその他の対話篇にも見られる主張であり,ティマイオスの内輪の聴衆に明示されずとも不思議ではない〔と論じていく〕。

2. 論証構造

Tim. 27d5-29b2 (T1) の論証は,次のような構造をなしている (文章を A-G に分けている。詳細は省略)。

  • 第1段階:
    • A. あるものは生成するものと異なる。
    • B. 全ての生成するものは原因を有する。
    • C. 製作者が永遠の範型を見ながら何かを生成させた結果は,必ず美しい。生成された範型を見ている場合は,必ず美しくない。
  • 第2段階:
    • D. A より,宇宙は生成するものの一つである。知覚可能だから。
    • E. B より,宇宙は原因を有する。
    • F. C より,宇宙は永遠の範型を見つめる製作者を原因とする (宇宙は美しく,製作者は善いから)。
    • G. 永遠の範型は A における〈あるもの〉と同じ仕方で説明される。宇宙は似姿である。

問題は,どのようにして第1段階の議論が第2段階の結論を支持するか,ということである。次の二点に留意すべきである。

  • C は (A, B に基づき) 生成するものの原因についてのみ言われている。Resp. VI-VII が論じるようなイデアの原因については何も述べられていない。
  • ここで γένεσις は「何か新しいものが生じる」の意味 (もっとも非実体的変化を排除はしない)。

論証構造としては,直接には B が C (「生成は範型を見ている製作者という原因を有する」) の理由を与えている。しかし,C の意味は (C1) 全ての (all) 生成について述べているか,(C2) 或る (some) 生成について述べているかで異なる。そして,B が全称文であるにも拘らず,テクスト (28a6) は解釈 C2 を支持する。

3. デザイン論証としての T1

C, F で産物の美しさに重点が置かれていることに鑑みれば,これが宇宙製作説の論拠となっているように思われる。すると,以下のようなデザイン論証だと思われるかもしれない:

  1. 世界は或る仕方で美しいものとして生成した。
  2. そうした仕方で美しいものは,製作技術の産物として最もよく説明できる。
  3. それゆえ,世界は製作技術の産物として最もよく説明できる。

すると,ティマイオスの議論は IBE にすぎないことになる。だが問題は,ティマイオスが自身の議論を,それより強いもの,論証の身分を有するものとみなしていることである。

4. 美の原因としての製作

したがって,以下のようなより強いデザイン論証だと考えなければならない。

  1. 世界は或る仕方で美しいものとして生成した。
  2. そうした仕方で美しいものは,全て製作技術の産物である。
  3. それゆえ,世界は製作者の産物である。

問題は C が「全ての美しい結果は製作技術の産物である」ではなく「永遠なる範型を見る製作者の産物は全て美しい」としか述べていないことだが,それでも,これから論じるように,上記 2 にティマイオスがコミットしていると考えるのは尤もらしい。

C は A の区別を B に直接に適用して二種の原因を特徴付けるのではなく,むしろモデルの種類に適用している。実際,範型が美しさを決める唯一の要因であるかのように論じられている。〈あるもの〉それ自体が美を作り出す (beauty-making) 特徴であり,〈生成するもの〉それ自体は美しくないものを作り出す (non-beauty-making) 特徴である。そして,製作者が〈あるもの〉から〈生成するもの〉への,美に関する情報の搬送者 (conveyor of information) であると考えると,C の言葉づかいがよく理解できる。こうした製作技術観は Gorg., Resp. X に見られる (また cf. Leg. X 903c-d, Phlb. 26d7-9)。

幾つかの点を明確化しておく。

  • A によれば,美しさは,イデアそのものが有する諸性質の一側面である。主要な特徴は〔むしろ〕「同一である」ことであり,変化しないという点でイデアに似ることによって,世界は美しくなるのだ。
  • A における対比は,〈あるもの〉と〈生成するもの〉の,そうしたものとしての (as such) 諸性質の対立であって,〈生成するもの〉が或る仕方で〈あるもの〉に似ることを妨げない。実際これが製作者を C で導入する理由である。
    • この点で製作者はアリストテレスの始動因を予期している。始動因は形相が質料に伝達される (tansferred) のに必要な外的原因である。他方で,ティマイオスが製作者を宇宙生成の原因と考えたのは,〈生成するもの〉それ自体 (as such) のうちにイデアを与える原理はないと考えたからである。
  • ティマイオスの論証に欠けている前提は,「生成するものがイデアに似た美と秩序を得るのに製作者の介入が必要である」ということである。

このように再構成するなら,ティマイオスの議論は IBE でもアナロジーに基づく議論でもなく演繹的に理解できる。

なお,ヒューム以来のデザイン論証批判はこの議論には当たらない: 偶然により宇宙全体が生成したという可能性は,前宇宙的段階の完全な無秩序の想定から斥けられる。

5. αἴτιος に αἰτία を付け加える

以上の議論は,「製作者は善い」という F での主張を余分なものとはしない。製作者は (製作技術を有した上でなお) 永遠なる範型と生成した範型の間で選択を行いうるからである。T1 に続く箇所である 29d7-30a7 (T2) は F の議論の続きとして読める。製作者という αἴτιος (結果について responsible なもの) について,それが行った創造の αἰτία (αἴτιος がその結果をもたらしたことの理由・説明) が T2 で論じられている (cf. Frede (1987))。

6. 知性的原因としての製作者

では,製作者が唯一〈生成するもの〉の領域における美しい結果の原因であると言えるのはなぜか? これへの回答は他の箇所に見いだせる (46c-e, T3)。その理由とは,「イデアの美しい似姿を作るために,推論が必要であり,したがって知性的原因が必要である」というものだ。もっとも,これと別個に必然的原因が立てられるので (68e1-69a8, T4),解釈 C1 を避けるのは正しい。ただしこちらは美の原因ではない。

7. 製作技術の必要性

「唯一」に対する反論は他にもありうる。語 δημιουργός は必ずしも知性的存在を指すものではなく比喩的でありうる。したがって C でイデアそのものがこれによって名指されていた可能性もある。–– だが,やはりここでは知性的原因のことが考えられていると思われる。第一に範型間の選択が語られている。第二に,イデアそれ自体についての思考と宇宙論的思考は異なる実践である (29b-c, 59c-d)。知性が製作者として思考しなければならないのは,単に〈あるもの〉のみに関わる原因とは別の仕方で,善に配慮しなければならないからである。つまり,イデア的範型を把握するだけでなく,根本的に性質を異にする媒体のうちにその似姿を作る最善の方法を理解している必要がある。

このようにして T1 のうちにデザイン論証を再構成できる。これは第一義的にはプラトン主義的な聴衆が内輪で消費するための論証であり,ティマイオスが製作技術についてのプラトニックな見方を前提していても不思議ではない。外野の我々からすると,この見方は Tim. の続きを読んで初めて明らかになる事柄である。プラトンによくあることだが,最初の部分を理解するためには全体を読む必要があるのだ。