『後書』の定義と基礎措定の概念 (I) Landor, "Definitions and Hypotheses"

  • Landor, Blake (1981) "Definitions and Hypotheses in Posterior Analytics 72a19-25 and 76b35-77a4" Phronesis 26, 308-318.

『後書』A巻の基礎措定 (ὑπόθεσις) と定義 (ὅρος/ὁρισμός) の内容確定を目指す論考。


便宜上,はじめに関連箇所を挙げ (OCT版),番号を割り振る。(Landor によるものではない。)

2-α A2 72a7-11. 前提命題とは,一つのことを一つのことについて〔述定する〕,言明の一方の構成部分であり,問答法は等しくどちらか一方を受け入れるが,論証的議論は,定まった一方を,〔それが〕真であるために〔受け入れる〕。

2-β: A2 72a15-18. 無中項の推論的な原理のうち,「措定」とは「証示されないが,何かを学ぼうとする人がそれを持つ必要はない」〔原理〕のことである。他方,何であれ学ぼうとする人が持つ必要がある〔原理〕は公理である。というのも,こうしたものはいくつかあるから。というのも,とりわけこうしたものをこの名前で我々は呼んできたからである。

2-γ: A2 72a18-24. 措定のうちで,矛盾言明の構成部分のいずれか一方を受け入れる措定は,οἷον τὸ εἶναί τι ἢ τὸ μὴ εἶναί τι,基礎措定であり,それがない措定は ὁρισμός である。というのも ὁρισμός は措定であるから。というのも,算術家は単位が量において不可分であると措定するから。基礎措定はそうではない。というのも,τί ἐστι μονὰς ということは,τὸ εἶναι μονάδα と同じではないから。

10: A10 76b35-39. さて,ὅροι は基礎措定ではない (というのも,何ものも εἶναι ἢ μὴ と言われていないから)。むしろ ὅροι は前提命題のうちにあり,ὅροι は理解することだけが必要である。これ〔理解すること〕は基礎措定ではなく (もし聞くことが基礎措定であるとひとが主張するのでなければ),むしろ〔基礎措定とは〕,ὅσων ὄντων τῷ ἐκεῖνα εἶναι に結論が生じるところのものである。


I

措定 (θέσις) は証示不可能な前提命題であり [2-β],定義と基礎措定の二種類がある。基礎措定は 'τὸ εἶναί τι ἢ τὸ μὴ εἶναί τι' を受け入れる (仮定する) が,定義 (ὁρισμός) はそうはしない,という点で対比される。従ってこの表現の意味が問題になる。対比の解釈として二つの候補がある:

  1. 基礎措定は真理値を持つ言明をなすが,定義はそうではない。
  2. 基礎措定は科学的探究の基体 (subjects) の実在を言明する。

10 の οἱ ὅροι を定義と取るほとんどの注釈者は a 解釈に沿って解釈する。a 解釈には A2 と A10 を整合的に解釈できるという見かけ上の美点がある。――しかし実際のところ,A2 は a 解釈に整合しない。というのも,(1) 定義は措定 [2-γ],措定は原理*1 [2-β],原理は前提命題,前提命題は命題である [2-α] から。また,(2)「οἱ ὅροι は一般的でも特殊的でもない」[10-β] を定義に関する主張と解すると,例えば 90b4-5 と矛盾する。またそもそも定義は学問的論証に使えないということになり,不合理。

これに対する Hintikka の解決案は,οἱ ὅροι を名目的定義 (nominal definition) と解して,A10 における基礎措定と ὅροι の区別を,前提命題の一方を肯定する定義とそうでない定義の区別と捉えるものである。「基礎措定は主張力を有する定義である」という考えは,三点から支持される。すなわち,(I) 「原理は定義である」とも*2「原理は基礎措定である」とも*3しばしば述べられること,(II) 「「何であるか (what-it-is)」を基礎措定する」という言い方がなされること,(III) 基礎措定が ὅροι と異なり学問的前提に現れること。

―― だが,いずれも強い論拠ではない。(I) 「基礎措定」の方に広狭両義あるという別解釈も同様に可能であり,「原理は定義である」は包含関係として解釈できる。*4 (II) 「あること (that-it-is)」と「何であるか」の基礎措定を Ar. は区別する。事物あるいは「あること」の基礎措定は実在の基礎措定であり,2-γ の「基礎措定」もその意味である。(III) Hintikka らは ὁρισμός も名目的定義と解するが,すると 2-γ で措定に含まれていることが説明できない。またこれらの反論に加えて,「主張力を欠く」という考えが Ar. 的でない。例えば B10 の定義の区別には一方が主張力を欠くという含意はない。

II

Landor 解釈は三要素からなる。第一に Ar. が ὄρος, ὁρισμός, τὸ τί ἐστι でふつう指示するのは定義項 (definiens) であり*5,真でも偽でもない述語 (ῥῆμα) である (cf. De Int.)。第二に,A2 で定義を措定に含めるのは定義項を完全な定義 (i.e. 命題) に変える手続を前提している (これが「何であるか」の基礎措定)。第三に,2-γ における「基礎措定」の「術語的」用法は実在の措定である。――従って,A2 の「定義」は探究の対象がどういうものかの措定であり,「基礎措定」は対象の実在の措定である。他方 A10 の ὅροι は定義項,「基礎措定」は広義のそれである。〔従って対立軸が異なる。〕

そして 2-γ の τὸ εἶναί τι ἢ τὸ μὴ εἶναί τι も,"A is B or A is not B" ではなく,"A is something or A is not something" という実在言明と解されるべきである。この εἶναί τι の用例は他の文献にも見られる。*6 付言すれば,直後の三つの「というのも (γὰρ)」の二つ目は,ὁρισμός が「定義項」という通常の意味を外れていることの説明になっている。*7三つ目の「というのも」も existence と essence の区別の例解である。

III

以上の解釈に対し,2-γ と 10 に基づく異論がありうる。すなわち τὸ εἶναί τι ἢ τὸ μὴ εἶναί τι と οὐδὲν γὰρ εἶναι ἢ μὴ λέγεται の形の相似は対立軸の共通性を示唆している。だが (i) Ar. の術語は完全に固定的であるわけではない。(ii) 可能な解釈の選択肢が他に存在しない。2-γ の解釈は動かせないし,他方 10 を実在的に読むこともできない。*8

*1:Landor は「始点 (starting point)」と訳す。

*2:90b24; 99a22-23; 75b31.

*3:81b15; 76b37; APr. 24b1.

*4:ここは個別の検討が必要。

*5:要確認。

*6:e.g. Il. XXIII 103-4, Pl. Phd. 74a11-12, Hp. mai. 287c1-d2, Ar. Phys. 186b15ff.

*7:ここの解釈は結構すっきりする。

*8:これは λέγεται を λέγονται で読んでも同じだろう。