『後書』の定義と基礎措定の概念 (II) 酒井「基礎措定と定義について」
T: A2 72a18-24. 措定のうちの或るものは矛盾対立のどちらか一方を容認するものであり (つまり (οἷον) 私は「或るものがある (τὸ εἶναί τι)」とか「或るものがあらぬ (τὸ μὴ εἶναί τι)」を意味している),それは基礎措定である。他方,措定のうちのこうしたことのない別のものは定義である。つまり,定義は基礎措定であるが (というのも,数学者は「単位」を「量において分割を許さぬもの」と措定するからである),基礎措定ではない。というのも,「単位は何であるか (τί ἐστι μονὰς)」ということと「単位がある (τὸ εἶναι μονάδα)」ということは同じことではないからである。*1
1. 基礎措定と定義についてのテクスト――72a18-24
先行研究はどれも,
- 基礎措定と定義が共に論証の前提命題 (πρότασις) である,とする。だが T は明示的にはそう述べていない。
- T の「単位」と論証の関係如何を十分追究していない。
他方,先行研究は以下の点で分かれている。
- T の τὸ εἶναί τι は述定命題か,存在命題か。
- τὸ εἶναι μονάδα は前者の場合「これが単位である」,後者の場合「単位が存在する」。
- T の ὁρισμός は名目的定義 (nominal definition) か,完全な定義か,意味表示か。
- 名目的定義なら,前提命題ではない。基礎措定「S が P である」が前提命題である。
- 完全な定義「Q は T である」なら,前提命題になる。
- 意味表示なら,前提命題ではない。基礎措定「S が存在する」の S の意味を表示する。
2. 「基礎に置かれる類」の措定
Gómez-Lobo は,以下のように主張する。
- τὸ εἶναί τι は存在命題ではありえない。存在命題は一つの項しか含まず,前提命題として機能しないから。
- 反論: τὸ εἶναί τι は前提命題とは限らない。*2
- τὸ εἶναί τι は述定命題である。「これを1プースとしよう」(76b39-77a3) がその例であり,『原論』の提示 (ἔκθεσις) に当たる。
- 反論1: 「これを1プースとしよう」は基礎措定ではない例である。
- 反論2: τὸ εἶναί τι を述定と解しうるか明らかでない。(cf. Landor, 312.)
単位は基礎に置かれる類 (τὸ γένος τὸ ὑποκείμενον) であり (cf. A7, A10),基礎に置かれる類は前提命題の述語となる (cf. 73a34-37)。そのゆえに,「単位が存在する」という基礎措定は論証の原理となるのである。
3. 意味了解としての定義
- Hintikka は基礎措定の述定的解釈に依拠し,T の ὁρισμός を名目的定義と解する。
- 反論1: 名目的定義が論証でいかなる役割を果たすのか不明である。
- 反論2: T は τί σημαίνει ではなく τί ἐστι を用いている。
- Landor は基礎措定の存在的解釈に依拠し,T の ὁρισμός を (論証の前提として機能する) 完全な定義と解する。
- 反論1:「単位は量において分割を許さぬものである」が論証の前提命題となることはテクスト上の根拠がない。
- 反論2: この定義は単位の「何であるか」を正しく示さない (「位置を持たない」が必要*3,cf. Meta. 1016b24-31)。
- 反論3: この定義は存在を含む (cf. Charles 74, n.25)。
むしろ,T の ὁρισμός は,基礎措定 (基礎に置かれる類 S の存在の措定) を踏まえて,S の「何であるか」を措定するものである。この解釈は,意味表示と「それがある」を共に認めねばならない (71a15-16, 76a31-36, 93b24-25)「単位」の例によく適合する。他方で,これは「何であるか」を論証を通じて示すという厳密な意味での定義ではなく (cf. 93b15-20),意味了解としての定義である。
結び
基礎措定なくしては定義は原理として機能できない。他方,定義の共通了解無くしては,基礎に置かれる類が前提命題に効力ある仕方で登場できない。この意味で両者は相補的である。