今週読んだ本

先週は一冊も読了しなかったため更新しなかった。このところブログが大雑把な読書記録に終始していて望ましくない。論文を詳しく要約する記事を書く方向にふたたびシフトさせたい。

J. L. ボルヘス『語るボルヘス

ボルヘス,オラル』(1991)を文庫化したもの。本書の元になったのは1978年の講演で,後に『七つの夜』と題された前年の連続講演と同様,馴染み深いいくつかのテーマが一つづつ取り上げられている――今回は「書物」「不死性」「エマヌエル・スヴェーデンボリ」「探偵小説」そして「時間」である。内容はかならずしも新奇なものではないけれど,そのことはむしろ,ボルヘスがそれらの観念に生涯かわらず魅了され続けてきたことを示しているとも言える。*1そしてまた,平常の凝縮された文体に比してはるかに伸びやかな語り口は,ボルヘスそのひとの息づかいをよく伝えている。

劈頭にスヴェーデンボリを「史上最も非凡な人物」と評する第三講演は目を惹く。彼の救済に関する特異な思想と,他の神秘家と一線を画する平静で明晰な文体とについて述べたのち,読者の意表を突く最初の評価にボルヘスは簡潔な但し書きをつけている。「スカンディナヴィアの人々の運命はどれも,夢とガラスの球体の出来事のように思えますし,彼の試みもそのひとつだと言えなくはないでしょう。スヴェーデンボリの場合も例外ではありません。」*2ヴァイキングのアメリカ発見,サガという文芸形式,カール12世の軍事的功績――これらと同様に,スヴェーデンボリの偉大な計画も世界史的な達成とはなりえなかった,と。*3

マルセル・モース『贈与論』

原論文は1923-24年に発表されたもの。序論は論考全体の基本的視角を導入する。第一・二章では「全体的給付」の体系(クラン,部族,家族といった集団間で,財貨のみならずあらゆるものが交換されるシステム),および特に「競覇的な」全体的給付,すなわちポトラッチの体系について論じられる。第三章においては,全体的給付の段階を越えてはいるがその痕跡を留めている法制度(最初期のローマ法,古典ヒンドゥー法,ゲルマン法)が分析され,第四章は以上の行論で得られた展望をもとに社会一般についての所見が述べられる。この章はまた倫理的色彩がもっとも強い。

全く不案内な事柄についての記述が頻出し,大変苦労しながら読んだ。4章1節および3節において述べられる倫理上の結論(conclusions de morale)は現代社会へのひとつの視角として興味深いけれども,モースはごく簡潔にしか述べておらず,また先立つ諸章における分析がそれを支持し深化せしめうるものかは一読しただけではやや不明瞭である。

アリストテレス『カテゴリー論 命題論』

当然ながら問題が多すぎるので,通読したむね記録するにとどめておく。『命題論』は必要もあってただちに Ackrill, Whitaker と突き合わせながら再度じっくり読むつもりではある。なお本訳書は Minio-Paulello 1949 を底本としているが,『命題論』については Weidemann による新たなテクストが2014年にトイプナーから出ている。

熊野純彦『西洋哲学史:近代から現代へ』

前巻に引き続きデカルトからレヴィナスまでを扱う。所謂大陸合理論と19世紀ドイツに哲学史的知識の大きな穴があることを読んで自覚した。それにしても整理の手際の良さには舌を巻く。思想内容とそれを生み出した人物とを一体として巧みに描き出しており,とくに経験論者を扱う諸章において大きく成功しているように思われるが,これはあるいは元々それらの哲学者が際立った人間的魅力を備えているからなのかもしれない。*4

*1:例えば,第一講演の前半は「書物崇拝について」の論述をなぞっているし,その結語は「ピエール・メナール」とほぼ正確に呼応している,等々。

*2:本書,77頁。

*3:ボルヘスとスヴェーデンボリの関係については研究書まで出ているようだ。https://www.peterlang.com/view/product/44916

*4:例えば第四章の末尾には次のように記されている(56頁)。「ロックの哲学は,平易なそのおもだちにも似ず,かなり複合的で,起伏に富んだ走行である。ホッブズとはことなり,自然状態を平和状態ととらえたロックは,父に宛てた,1658年春の書簡では,人間を「とうてい信頼できない被造物の群れ」とみなしている。」云々。