Primavesi, Die Aristotelische Topik #1

  • Oliver Primavesi (1996) Die Aristotelische Topik: Ein Interpretationsmodell und seine Erprobung am Beispiel von Topik B. München: C.H.Beck. 17-28.

トピカ研究書の序論を読む。『アリストテレスのトピカ: 解釈モデルと『トピカ』B巻の実例によるその試行』という表題が示唆するように,本書は解釈モデルを (特にA, Θ巻に依拠して) 組み立てる部門と,B巻の個別トポスについてモデルを実証する部門とに分かれる。「訓練」という目的の強調は目を引くが,基本的には堅実な指針が打ち出されていると思われる。


0.1 問題: 対話と哲学の間のアリストテレス問答法

  • アリストテレスの問答法は20世紀後半から研究が盛んになる。一方で,問答法をアリストテレス哲学の方法の中心に置く解釈もなされてきた。とはいえ他方,『トピカ』の論題は生身の人間の対話であり,アリストテレス哲学の方法とは乖離する。それゆえ,非学問的な対話学科 (Gesprächsdisziplin) にすぎないという解釈も出た。
  • 研究者は A1 を後景に退け,さらに A2 の目的規定において,「訓練」より「大衆との交流」と「哲学」とを重視してきた。上述のジレンマは『トピカ』に内在している。
  • だが『トピカ』のしばしば哲学的な内容に鑑みて,大衆との対話は,その主題ではありえない。
  • それゆえ,ひとは,『トピカ』を,哲学のための「弁証術的思考」の,対話と事実上無関係な方法と見なす。〈対話的-非哲学的〉問答法と〈非対話的-哲学的〉問答法の二つの術であるとする最近の解釈はこのジレンマの帰結である。Kapp はこれに反対して『トピカ』の方法が哲学的な訓練的対話 (philosophischen Übungsgespräch) という単一の技術に役立つとするが,そこから解釈が深められてはいない。この Kapp のテーゼが本研究の起点となる。

0.2 目標設定

  • 「哲学的な訓練的対話」に資するという目的規定が,証明されねばならない。A1 によればトピカは「問答法的推論の方法」であり,それは「訓練における説得的な議論」にほかならない。従ってまた,訓練は三つの効用のうち第一のものでなければならない。
  • この規定はジレンマを解決する。訓練は,そして訓練のみが,対話形式と哲学的内容という二つの契機を兼備するから。
  • それゆえ,解釈の鍵は A2 より A1,就中「問答法的推論」概念にある。
  • だがこの時,問答法的推論はどういう意味で推論 (Syllogismos) なのか,という問題が前景化する。
  • また,A と Θ から導かれたトピカの規定は,主要部 (B-H) で立証されねばならない。それゆえ,第一部で問答法的トポスの理念型的モデルを粗描し,第二部でこれを立証する。

0.3 本論考の構造について

0.3.1 体系部について

体系部の目標は「問答法的推論」概念の闡明である。 1. 『トピカ』が扱う推論はどういう意味で問答法的なのか。 2. それはどういう意味で推論なのか。 3. 『トピカ』主要部のトポスの集積は,どの程度「方法 (Methode)」とみなしうるか。 各々の問いに一章が充てられる。そうして,「訓練」「問答法」「推論」「トポス」といった概念を判明にする。

0.3.1.1 問答法的推論と訓練的対話

  • プラトンは哲学と口頭性 (Mündlichkeit) を結びつけたのに対し,アリストテレスは両者を切り離した。従って問答法も口頭性を失っていった」というのは実情と正反対である。実際には,プラトンにあって魂の自分自身との対話というイメージが通底するのに対し,アリストテレスでは「問答法」は厳密に対話を意味し,哲学と対立させられる。最近の研究は,このことを見逃しているために,問答法を普遍的・基礎的方法のように扱っている。
  • 他方,問答法は任意の対話の方法ではない。アリストテレスの立てた規則は訓練の場においてのみ妥当する。もっともこの制度は,アレクサンドロスの時代 (200年頃) には既に説明を要するものになっていた。*1
  • この歴史的懸隔に鑑みれば,問答法実践の委細を記したΘ巻が重要になる。A2 の「訓練が第一の利益である」という主張を理解するためには,ここの記述を考慮に入れねばなない。*2
  • さらに,Θ5 で言われる訓練に固有の規則に注意を払わねばならない。すなわち,通念を基準にすること,換言すればどちらの前提命題が広く認められうるものかが問われること。アリストテレスにおける問答法的議論とエンドクサの結びつきはある種の Spielregel に基づいている。

0.3.1.2 推論としての問答法的推論

  • 問答法的推論は,『分析論前書』におけるような「もし〜ならば〜文 (Wenn-Dann-Sätze)」,e.g. 「全ての B が A であり,全ての Γ が B であれば,全ての Γ は A である」ではない。
  • 実際のところ, 『分析論前書』 においても「もし〜ならば文」は「推論」ではなく,推論についてのメタ言語的な文である。『分析論前書』 でも syllogismos とは独立の行為によって先立って措定された前提から結論を導く議論であり,また変数を含む議論の図式 (Agrumentations-Schema) ではなく,具体的概念からなる議論である。
  • この訂正により 『分析論前書』 と『トピカ』の距離は目に見えて縮まる。むろん『分析論前書』の推論はより形式的で,より進歩している。だが推論の定義の,この発展史に無関係な核を『トピカ』も『分析論前書』も共有している。すなわち,一般にアリストテレスの推論とはある前提-結論-議論 (Prämisen-Conclusio-Argumentation) であって,それによってある人 A が別の人 B に,所定の結論に同意させ (問答法の場合),あるいは理解させる (論証の場合) のである。

0.3.1.3 トポスと問答法的推論

  • B-H巻には約300のトポスがある。形式的観点からはトポスは異種混合的である。すなわち,議論の仕方の助言,言語や事実の法則性の確認,両者が複合したもの,が混じっている。だが本質的にはどれも同じ目的を有する。すなわち,質問者が,ある命題 p から始めて,q を確認するのを助けること。当の qp十分条件を示す場合,p を確立するのに使える。qp の必要条件を示す場合,q の否定は p を破棄するのに使える。
  • なるほどトポスはそこから結論を導きうるところの文ではあるが,確認される文がエンドクソンであることは保証しない。トポスは前提命題と結論の関係にのみ関わる。エンドクソンはトポスの構造そのものについていかなる役割も果たさない。
  • 問題は,トポスがどのように前提命題を推論する能力を調達するかである。我々の答えは次のようになるだろう: トポスからは,議論の対象となる命題 p 自体がどのように変形され,前提 q を手に入れることになるか,ということが読み取られる。B巻の分析で,変形タイプ (Umformungstypen) が分類されることになる。

0.3.2 個別的分析

0.3.2.1 個別的分析の目的

  • 以上の理論は個別トポスによる実証を要する。
  • トポスは前提命題がエンドクソンであることを保証しないが,まさにそれゆえに,問答法以外での使用が可能になる。とりわけアリストテレス自身による他の著作への転用いかんを問いうる。だが,短絡的思考に陥らないためにも,諸トポスはまずは問答法的トポスとして解釈されねばならない。

0.3.2.2 トポイの個別的分析を第二巻に制限することについて

  • トポスはある命題を棄却ないし確立するが,その命題のうちなる二つの概念 (述語 A と主語 B) の間で,4つの関係が生み出されることになる。すなわち,述語 A は B の定義であるか,固有性であるか,類であるか,偶有性であるか。Z巻,E巻,Δ巻,B巻がこれら各々を扱う。後に研究を進めることを考えれば,4つの述語様式のどれかを選びまとめて考察するのが望ましい。ここではB巻を選ぶ。
  • B巻で問題とされるのは,A が B に偶有性としてふさわしいか否かではなく,単に総じて A が B にふさわしい (zukommen)*3 か否かである。したがってこれらは全体の中でも基本的トポイである。また,B巻において単にふさわしいものを分離したこと (die Isoierung des broßen Zukommens) は,『分析論前書』における量化されたふさわしいものの論述の前提をなす。
  • 加えて,単にふさわしいものは,ド・パテル以来,研究の死角となっている。定義述定がもっぱら注目されてきたことに理由がないではないが,偶有性述定もまた,独立に興味を引く主題である。

*1:Alex. Aphr. 27, 12-16.: "ἦν δὲ σύνηθες τὸ τοιοῦτον εἶδος τῶν λόγων τοῖς ἀρχαίοις, καὶ τὰς συνουσίας τοῦτον ἐποιοῦντο τὸν τρόπον, οὐκ ἐπὶ βιβλίων ὥσπερ νῦν (οὐ γὰρ ἦν πω τότε τοιαῦτα βιβλία), ἀλλὰ - θέσεώς τινος τεθείσης - εἰς ταύτην (γυμνάζοντες αὑτῶν τὸ πρὸς τὰς ἐπιχειρήσεις εὑρετικὸν) ἐπεχείρουν, κατασκευάζοντές τε καὶ ἀνασκευάζοντες δι᾽ ἐνδόξων τὸ κείμενον." (S.23)

*2:アリストテレスはたしかに訓練を最初に挙げてはいるが,"第一の利益" (primäre Nutzen) であるとは言っていない。この箇所の説明はミスリーディングだろう。

*3:いまいち意味不明。huparchein?