加藤信朗「ホドスとメトドス」
古代哲学における「方法」ないし「道」の概念を表題の二つの語から跡付け、また哲学における実際の方法を論じた論文。とりわけアリストテレス・プラトン・パルメニデスが中心的に取り上げられる。以下はその要約。ただし最終節(IV)――加藤自身の「哲学の道」観を走り書き的に記したもの――はまだ理解が追いついていないため省略する。
近代の méthode と古代の μέθοδος の違いは、大きく言えば「原理からの道」と「原理への道」の違いである。すなわちメトドスは「次第に明らかになりゆく根源への道」と特徴づけられる。
I メトドスという語とホドスという語
一 メトドスの新しさ
「メトドス」は比較的新しく、前5-4cになって一般化した語である。文献語として導入したのはおそらくプラトンであり、アリストテレスの用法もプラトンのそれにもとづく。プラトンにおいて「メトドス」は(特にディアレクティケーにおける)論究の道筋を意味する一方で、とりわけ後期対話篇の用例においては「追求してゆく(μετιέναι)」という動詞的意義を強く留めている(Soph. 218d, 235c, Plt. 266d, 286de)。他方アリストテレスにおいて「メトドス」の語は一定の主題に関する論証法、およびそれにもとづく論究を指す。
アリストテレスのメトドスは原因(αἴτιον)ないし原理(ἀρχή)探究の道筋である。つまり、「BがAである」ことが「BがCである」ことにもとづくとき、そのC(ABの中項)の探究の道筋である。一般にこの探究はC1,C2, … に遡りうるが、無限に遡ることはできず、どこかでAであることの特定の究極原因Cnを得る。ここでCないしCnは「BがAである」ことのうちに・その根拠としてすでに内含されている(所謂イデア論批判、vid. An. post. 終章)。かくしてメトドスは、「われわれにとっていっそうよく知られうるもの(τὰ γνωριμώτερα ἡμῖν)」から「そのもの自体の成り立ちにおいていっそうよく知られうるもの(τὰ γνωριμώτερα τῇ φύσει)」への道になる。
こうしたメトドスにおいて、そのもの自体として「知られうることの度合」が上昇する。このことは結果の存在が原因の存在に一方的に依存することから説明される(結果が知られなくとも原因は知られうる)。また、原因は単一なもので、結果は合成されたものであり、単一なもののほうがより明確である(ἀκριβέστερον)。こうした点は近代哲学と全く異なる。
一定の述語が表す事象が特定のものである以上、その原因もなにか特定のものである。かくして論証の体系は「基礎定立(ὑπόθεσις)」の上に成立する特殊科学となる。だが他方でアリストテレスは、すべての存在事象に共通の第一原因をも求めた。これが知慧(σοφία)としての第一哲学の構想だが、『形而上学』におけるそのメトドスは今日に至るまで未だ解明されていない。
二 ホドスの古さ
「ホドス」の語はきわめて古く、「道」「歩み」を原義として「やり方」「生き方」等々の転義を含む。アリストテレスは「過程」「道程」の意味のほかはメトドスの同義語として用いる。他方、プラトンにおけるホドスはメトドスと微妙なニュアンスの相違があり、本来あるべき道、ないし事物の本性にそなわる道を指す。例えば「洞窟の比喩」における光とは「上昇の道(ἐπάνω ὁδός)」の存在にほかならない。「ホドスはメトドスの存在根拠であり、メトドスはホドスの認識根拠である。」(17-18頁)
II プラトンの哲学の道
プラトン哲学は「アポリアー」「ミュートス」「ディアレクティケー」の三つのモメントからなる全体として理解されうる。
一 アポリアー
アポリアーとは「存在とは何か」等々の、それに答え切ることのできない問(ἐρώτησις)である。エロースとはそうした問の内に置かれているものの状態である。哲学とは問の外に出るのではなく問の内に留まる術を心得る道であり、エロースがペニアー(貧困=困窮、アポリアー)とポロス(術策)の性を共に稟けている(Symp. 203b-e)とはその謂いにほかならない。しかしてその術策とはミュートスとディアレクティケーである。
二 ミュートス
ミュートスとは、「問の内に置かれてあるという自己の状況を、形象として、自己の外に宇宙論的な規模で枠取り、投影したもの」(20頁)である。それゆえプラトンの多彩なミュートスはプシューケーのミュートスに収斂する。ミュートスは一つの言葉の「彼処(ἐκεῖ)」と「此処(τῇδε)」での区別を通じて、何が問われているのか定かでないことを表すが、それと同時に区別された両義に比例関係を与えることで究明の手掛かりを与える(e.g. 線分の比喩)。だがもとよりこの区別は想像力の働き(ドクサ)が措定するものである。この区別を消去し「何であるか(τί ἐστιν)」を端的に問うのがディアレクティケーである。
三 ディアレクティケー
ミュートスにおいては日常の主語述語形式による存在把握が成立するのに対し、ディアレクティケーの方法は主語の存在を括弧に入れ、述語の定義を求める(vid. Phdr. 266b, Soph. 253d)。ディアレクティケーにおいて答えた言葉そのものによって、ひとは問の含みもつ一定の問題(πρόβλημα)に面する。それに対する答えは sic et non の判断であり、判断を下すことが哲学の歩みを作る。そこで「歩みそのものがいつも同じ道の上にあることが顧みられる時、歩むものは背後から光に刺し貫かれる。光の内に視るもの、それがイデアである。」(26頁)
III パルメニデスの道
(本節で加藤は fr. 1. 11 を中心に序歌の解釈を問題にする。まず門および夜の道(B)と昼の道(C)の位置関係について三つの選択肢を論じるが、この議論は省略する。結論として、二つの道は、門を挟んで、夜の館から光への道(A)の向かい側に位置する。ただし……)
「門」は「これまで辿って来た道とこれから向かう道の間にあってこれらを分かつのではない」(32頁)。両者のコントラストはあくまで一つの道を構成するコントラストである。他方夜の道と昼の道においては明暗のコントラストが二つの道を生む。つまりAとBCは同じ一つの道のいわばアスペクトの違いにすぎない。したがって「そこに(ἔνθα)」も道の特定の地点を指すのではない。門はたんなる「道」のクリシスの形象化、女神やアナンケはクリシスの personificatio である。
かくてすでにパルメニデスにおいて、一なる哲学の道は、未だ萌芽としてではあるが――そこには例えばプラトン的メトドスへの意識はない――鮮明に表現されている。
感想
をひといきに論じる濃密な論文で多くを学べた。ただし第3節のパルメニデス読解は独特であり、今日なお*1支持しうる解釈なのかよく分からない。例えば Coxon にしたがって “ἔνθα πύλαι […]” をホメロスの allusion と見なし、そこに “the remoteness of the gateway and its opening on a region of light with a reference of Tartarus” (The Fragments of Parmenides, p.162) の含意を認めるのが正当であれば、門による二領域の分断を認めない加藤の議論は説得力を削がれるように思う。
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*1:本稿の元になった講演は1971年に行われた。