今週読んだ本

『進化』

VSI シリーズの進化生物学の入門書。高校生物+αくらいの内容。進化という視点が細胞機能のようなミクロな現象から化石記録や空間分布といったマクロな現象までをどのように良く説明するかを示し (3-4章),また適応がなぜ・どのようにして起こるか (5章),種の多様性が進化の過程でどのようにして生じるか (6章),といった問題にも触れる。簡潔で明快。

フロイト全集 4』

『夢解釈』の前半部。第1章が先行研究の紹介,第2章以降が本論。「夢は欲望の成就である」という主要テーゼを具体的な夢によってひたすら例証していく。論証は全然成り立ってないが,*1さすがに閃きに満ちていて面白い。「何か使える部分あるんじゃないの?」と思ってしまう感じもわかる。

又聞きの「フロイトの学説」の答え合わせ的な側面のある読書だったが,その他に意外なものの元ネタらしき話も発見した: 後味の悪い話 その6。小学生くらいの頃に同級生のあいだで流行っていた「心理テスト」の一つだが,ディテールの相違を除けば本書に登場する症例そのものだ (203-6頁)。

*1:特に「夢の歪曲」という要素の導入 (第4章),「成就される欲望は現在のものでなくてもよい」という留保 (第5章D-β),解釈上の度々のこじつけめいた連想が,議論の健全さを損なっている。またテーゼ自体についても,そもそも我々は多くの矛盾した欲望を抱いており,大抵のイメジャリーは欲望の成就として解釈できる,等々,いくらでも突っ込みどころはある。

トラシュマコスは正義について指令的主張をしていない Chappell, "The Virtues of Thrasymachus"

  • T. D. J. Chappell (1993) "The Virtues of Thrasymachus", Phronesis 38, 1-17.

Θ. は正義そのものについては指令的な (prescriptive) 主張を何らしておらず,単に記述的な (descriptive) 主張をしているだけである,と論じる。*1「言われてみれば当然」というくらいにごく素直な解釈だと思う。第2節の「指令的でない」ことの論証はあまり robust でないが,結論そのものには異論はない。

*1:英米系の倫理学の言葉づかいや概念枠組みに慣れていないと,テクスト解釈のいわばメタ言語のレベルでニュアンスを拾いそこねる可能性がある,と感じた。勉強が必要。

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今週読んだ本

『知への賛歌』

17世紀後半のメキシコの詩人ソル・フアナの詩と書簡の短い選集。詩人のプロフィールや収録されたテクストの性質については訳者解説にくわしい。書簡はとくに面白く,被った批難に対する弁明を主旨とするはずが,脱線に脱線を重ね,半ばは社会批判や学問論,半ばは自伝の性格を帯びる。かつ自伝の内容はそれこそ詩人か小説家の空想に登場するたぐいの天才像を地で行く。「ある機会に,おなかのひどい事故があったせいで,お医者さんたちに勉強を禁止されたことがあり,私は数日間その通りにして過ごしたあとで,彼らにこう言ったほどです――私に勉強を許してくれたほうがまだ害は少ない,なぜなら,私の思弁はあまりに強力で激しいため,四分の一時間ほどのうちに,四時間かけて本で勉強するよりももっと鋭気をすりへらしてしまうのだから,と。」(126頁)

『ガブリエラ・ミストラル詩集』

チリの詩人ガブリエラ・ミストラル (1889-1957) の詩とエッセイの選集。

『この世の王国』

テンポ良く巧妙な叙述。ハイチ史の織り込み方を含めて,死せるシュルレアリスムの対立項として序文で掲げられた〈現実の驚異的なもの〉の理念の概ね明快な例証となっている。但し凡庸さというよりはおそらくは方法論そのものの未成熟のゆえに,特に終盤の描写は当の理念を裏切っているように思われる。

トラシュマコスの混乱 Everson, "The incoherence of Thrasymachus"

  • Stephen Everson (1998) "The incoherence of Thrasymachus", Oxford Studies in Ancient Philosophy 16, 99-131.

Θ. の立場は矛盾・混乱していると論じる論文。「最初の立場は conventionalist であり,後の立場は immoralist であって,間に立場の変更がある」というところまでは自分の読解と一致しており,これを示す5-7節の論証もうまく行っている。少なくとも Θ. の立場が全体として完璧に整合的であるとは言えないと思う。

とはいえ「Θ. は単純に混乱しており,彼の議論は無価値である」という結論には同意できない。Incoherence は議論を部分的に救う余地がないことを意味しないから。また第8節の作劇上の理由付けもあまり納得行くものではない。

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トラシュマコスの慣例主義的解釈の擁護 Hourani, "Thrasymachus' Definition of Justice in Plato's Republic"

  • George F. Hourani (1962) "Thrasymachus' Definition of Justice in Plato's Republic", Phronesis 7 (1), 110-120.

Θ. の正義の定義として,「強者の利益」がそれであるという解釈を退け,「法律への服従」がそれであるという解釈を支持する。

前半には説得力があるが,後半は怪しい。思うに「どちらが Θ. の真の定義か」という問いは一種の擬似問題ではないだろうか。Hourani 自身次のように的確に指摘している: "Like many other antagonists of Socrates in the dialogues, Thrasymachus is either ignorant or careless about the difference between definition and description." (p.112) そしてこれはソフィストとしての基本的性格を勘案すれば驚くべきことでもない。そうであってみれば,「定義」とは別の枠組みで Θ. の議論を捉える必要があると考えるのが自然と思う。

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