名詞繋辞 Kahn (1973) The Verb 'Be' in Ancient Greek, Ch.4 #2

  • Charles H. Kahn (1973/2003) The Verb 'Be' in Ancient Greek. D. Reidel.
    • Chap.4. Description of the copula uses. 85-183. [here 102-118.]

§8. 名詞と形容詞の区別

N is N と N is A の区別は難しい.古代の文法学で名詞と形容詞が体系的に区別されなかったことは偶然ではない.最も有用な形態論的基準は比較級・最上級の存在だが,十分条件とは言えない: ホメロスにも βασιλεύτερος, κύντερος といった例外がある.また必要条件と見なしても,定型句的にしか用いられない語の分類には役立たない: ἐπιτάρροθος ἐστι が N is A か N is N かはわからない.

統語論的基準はより深い: 別の名詞形の述語や修飾語として解釈される形式が形容詞であり,反対にこれ (や属格) を取るのが名詞である.この基準によれば φίλος πιστός は形容詞の実詞的用法であり,他に証拠がない以上,それゆえ名詞として分類できる.同じ基準で ἐπιτάρροθος も名詞として記述できる (τοῖος ἐπιτάρροθος という形で Il. に出現するため).

§9. 実詞的繫辞 (cop N)

N is N もまずは主語に応じて分類する.Cop N 文でも人称名詞が多数を占める (Hom., Lys., X.).非人称・抽象名詞は cop N ではいっそう少なく,ことにホメロスでは稀である.結果,人称名詞が主語でない N is N 文はほとんどつねに文主語を取る.つまり実質的には人称名詞の N is N と文主語の N* is N の場合だけ考えれば良い.

人称名詞 N is N の例は以下の通り.

  • 22 Il. 1.338 τὼ δ᾽ αὐτὼ μάρτυροι ἔστων
  • 23 Il. 2.26 (=63) Διὸς δέ τοι ἄγγελός εἰμι
  • 24 Il. 2.246 λιγύς περ ἐὼν ἀγορητής
  • 25 Il. 2.485 ὑμεῖς γὰρ θεαί ἐστε
  • 26 Il. 2.760 οὗτοι ἄρ᾽ ἡγεμόνες Δαναῶν καὶ κοίρανοι ἦσαν
  • 27 Il. 3.229 οὗτος δ᾽ Αἴας ἐστὶ πελώριος ἕρκος Ἀχαιῶν:
  • 28 Il. 3.429 ὃς ἐμὸς πρότερος πόσις ἦεν
  • 29 Il. 4.266 μάλα μέν τοι ἐγὼν ἐρίηρος ἑταῖρος
  • 30 Lys. 13.1 κηδεστὴς γάρ μοι ἦν Διονυσόδωρος καὶ ἀνεψιός
  • 31 Ibid. 33 ἔστι φονεὺς ἐκείνων
  • 32 X. An. 1.2.25 ἦσαν δ᾽ οὖν οὗτοι ἑκατὸν ὁπλῖται
  • 33 Ibid. 1.3.6 νομίζω γὰρ ὑμᾶς ἐμοὶ εἶναι καὶ πατρίδα καὶ φίλους καὶ συμμάχους

これらは以下のように分類される.

  • A. 分類辞名詞 (classifier nouns, sortals)
    1. 内在的基準による分類 (自然種): 25 の θεαί
    2. 外在的基準による分類 (人工種): 32 の ὁπλῖται
  • B. 関係的名詞 (N is N of N という基底的文形式の)
    1. 生まれの関係: 30 の ἀνεψιός
    2. 結婚でできた関係: 28 の πόσις, 30 の κηδεστὴς
    3. 政治的・軍事的支配: 26 の ἡγεμόνες, κοίρανοι
    4. その他の社会的紐帯: 29 の ἑταῖρος, 33 の φίλοι, σύμμαχοι
  • C. 対応する動詞と関係する行為者名詞
    • 22 の μάρτυροι, 23 の ἄγγελος, 24 の ἀγορητής, 31 の φονεύς
  • D. 固有名
    • 27 の Αἴας
  • E. 非人称名詞の人称述語としての比喩的用法
    • 33 の πατρίδα, 27 の ἕρκος

これら諸事例の多くで N is N は別の形式から変形的に導出される.どれが be 動詞のない核文から導出されえないかを見るのは興味深い (例えば φονεὺς ἐκείνων の核文は be 動詞を含まない).ハリスの英語についての核文形式からは二種類が示唆される: N is Nrel of N と N is Ncl (cl: classifier). これらは大まかに上記 A と B に対応する (ただし A, B が全て基本的であるわけではない).また以上に加え,27 の「彼はアイアースだ」も非派生的だとしたい.「呼ぶ・呼ばれる」からの派生とすると固有名が述語の位置に来るのでよくない.

非人称名詞の人称述語としての比喩的用法については,変形的導出の構築は容易である.例:「アイアースはアカイア人たちを壁のごとくに守った」.また以下は別種の比喩となる例である:

  • 34 Il. 3.41 καί κεν πολὺ κέρδιον ἦεν / ἢ οὕτω λώβην τ᾽ ἔμεναι καὶ ὑπόψιον ἄλλων

この λώβη はパリス自身に述語づけられる.こうしたカテゴリーを超えた述定はあらゆる時代の詩的な・表現力ある言語に見られる.人称名詞でない主語の有名な例としては:

  • 35 Thuc. 2.41.1 ‘ξυνελών τε λέγω τήν τε πᾶσαν πόλιν τῆς Ἑλλάδος παίδευσιν εἶναι

行為者名詞 παιδευτής や διδάσκαλος が期待されるところで παίδευσις と言うところに常ならぬ修辞的効果がある.

§10 抽象的 N を述語に取る繫辞: 抽象的主語と文主語

「鱒は魚だ」のような非人称の一階名詞の例を列挙しても意味がない.ここでは抽象名詞を主語に取る N is N を扱う.これはホメロスには極めて稀であり,哲学的文脈以外ではどの時代でも多くはない:

  • 36 Il. 9.39 ἀλκὴν δ᾽ οὔ τοι δῶκεν, ὅ τε κράτος ἐστὶ μέγιστον
  • 37 Lys. 13.681 καὶ τούτου θάνατος ἡ ζημία ἐστίν

36 の後半が κράτος が主語の N is A 構文の変種であることも,構文の希少さを示唆する.

抽象名詞が述語になる場合は,文主語がより普通である.

  • 38 Il. 4.322 ἀλλὰ καὶ ὧς ἱππεῦσι μετέσσομαι ἠδὲ κελεύσω / βουλῇ καὶ μύθοισι: τὸ γὰρ γέρας ἐστὶ γερόντων
  • 39 Il. 7.97 ἦ μὲν δὴ λώβη τάδε γ᾽ ἔσσεται αἰνόθεν αἰνῶς / εἰ μή τις Δαναῶν νῦν Ἕκτορος ἀντίος εἶσιν

ἔργα はしばしば文主語の一般分類辞やダミー述語として機能する.

  • 40 Il. 1.573 ἦ δὴ λοίγια ἔργα τάδ᾽ ἔσσεται οὐδ᾽ ἔτ᾽ ἀνεκτά, / εἰ δὴ σφὼ ἕνεκα θνητῶν ἐριδαίνετον ὧδε

「正しいこと」「避けがたいこと」を意味する抽象名詞 (θέμις, μοῖρα, αἶσα, δίκη) を ἐστί の主語ないし述語として不定詞や従属節を伴う構文はホメロスに頻出する.ἀνάγκη, νέμεσις, χρή, χρεώ の場合は ἐστί は (ホメロスでは) 共起しない.同様に ἐλπωρή ないし ὥρη + inf. も ἐστί を欠くことが多い.だが ἐστί があろうがなかろうが深層構造に違いは見いだせない.

抽象名詞はいくつかの場合は間違いなく述語だが,一方でときに主語だと取りたくなる場合もある.次の場合 θέμις は明らかに述語である:

  • 41 Il. 2.73 πρῶτα δ᾽ ἐγὼν ἔπεσιν πειρήσομαι, ἣ θέμις ἐστί

参照先が離れている場合もある.以下の αὕτη は 210 行目の問いへの応答であり,究極的には 204-8 行目に対応する:

  • 42 Od. 11.218 ἀλλ᾽ αὕτη δίκη ἐστὶ βροτῶν, ὅτε τίς κε θάνῃσιν

次の例では直前の不定詞節により文主語が与えられる:

  • 43 Il. 9.275 μή ποτε τῆς εὐνῆς ἐπιβήμεναι ἠδὲ μιγῆναι / ἣ θέμις ἐστὶν ἄναξ ἤτ᾽ ἀνδρῶν ἤτε γυναικῶν.

だが,後続の不定詞節で参照先が特定される場合のほうが頻度が高い.

  • 44 Od. 10.73 οὐ γάρ μοι θέμις ἐστὶ κομιζέμεν οὐδ᾽ ἀποπέμπειν

Cop N 表現の前に不定詞が出現することもある.

  • 45 Od. 16.91 ἐπεί θήν μοι καὶ ἀμείψασθαι θέμις ἐστίν

44 も 45 も統語論的構造は同じである.θέμις を主語と取るか述語と取るかは任意である.主語と取るなら,これらは N is N の繋辞文ではなく,存在的ないし所有的構文である.他の抽象名詞でも同様の両義性が生じる:

  • 46 Od. 5.41 ὣς γάρ οἱ μοῖρ᾽ ἐστὶ φίλους τ᾽ ἰδέειν καὶ ἱκέσθαι / οἶκον ἐς ὑψόροφον

この μοῖρα は述語と取るべきか主語と取るべきか.述語的解釈の指示材料として 41-43 との並行性がある.また対応する形容詞 μόνιμον, μόρσιμον に等価な文タイプがある:

  • 47 Il. 20.302 μόριμον δέ οἵ ἐστ᾽ ἀλέασθαι

そして均一性・一般性を重んじるなら,ἀνάγκη などの動詞を欠く構文にも同じ分析を加えたくなるかもしれない.しかし統一的分析に対しては深刻な異論がある: θέμις や δίκη と異なり μοῖρα や αἶσα は「人格化された」(personified) 形式で行為者主語として出現し,それゆえ ἐστί とともに使われる際に主語になることが期待される.ἀνάγκη や χρεώ も同様.χρειώ は以下で γένηται の主語になっている.

  • 48 Il. 1.340 εἴ ποτε δ᾽ αὖτε / χρειὼ ἐμεῖο γένηται ἀεικέα λοιγὸν ἀμῦναι

類似の構文は χρεώ にも見られる:

  • 49 Od. 9.136 ἐν δὲ λιμὴν ἐύορμος, ἵν᾽ οὐ χρεὼ πείσματός ἐστιν

そして 44-46 でも θέμις や μοῖρα を主語と見ることは不可能ではない.一般には二つの構文の間で選ぶことは不可能であり,特定の場合でさえ必ずしも明瞭ではない.それにもかかわらず,どちらで取っても意味には違いがない.それは主語か述語かが表層構造の違いにすぎないからである.41-49 の繋辞/存在用法の ἐστί は,ともに ἐστί が出現しない基底構造から導出される.これは基底にある文構造は非人称動詞が不定詞節の文オペレータとなるときに最も明瞭に顕わになる:

  • 50 Il. 21.281 νῦν δέ με λευγαλέῳ θανάτῳ εἵμαρτο ἁλῶναι

50 についても εἵμαρτο が非人称なのか,実は ἁλῶναι が主語なのかを論じたくなるかもしれないが,それは決めようがないので問うても意味がない.動詞と抽象名詞はともに様相的文オペレータの「痕跡」を表している以上,ἐστί を繋辞として記述しても実在動詞として記述しても違いがない.

古典期の散文では抽象動詞 + ἐστί の構文はほぼ完全に消失した.χρεώ は χρεών + inf. の形で保存された.ἀνάγκη と χρή だけはそのままの形で残った.古典期には χρή は三人称直説法現在の動詞形と同化しており,このこともこの文形式の衰退をしるしづけている.


  1. 原文 (p.110) では66節が参照されているが,誤記か.