論理的原理と存在論的原理の関係 Łukasiewicz (1987/1993) SWA, Kap.2
- Jan Łukasiewicz (1987/1993) Über den Satz des Widerspruchs bei Aristoteles. aus dem Polnischen übersetzt von J. Barski. Olms.
- Kapitel II, Die Beziehung des ontologischen Satzes vom Widerspruch zum Logischen. 16-21.
だが,三原理は実際には単一の原理ではないのか,という疑いはありうる.この疑いを払拭するには,異なる言葉からなる判断が同一の思考を表現するのがいかなる場合かを考えねばならない.
どんな判断も,以下の二つのどちらかの形にできる:「対象 が 性質 を持つ (enthält)」「対象 が 性質 を持たない」.二つの判断「対象 が 性質 を持つ」と「対象 が 性質 を持つ」が,異なる語によって同じ対象を表し,したがって同義である (gleichbedeutund, równoznaczne) が と同じ対象, が と同じ性質を表示する (bezeichnet)1 (e.g. 「アリストテレスは論理学の始祖だ」「スタゲイラ人は論理学の始祖だ」は同じ思想を表す).どの否定判断も肯定判断と同じ意味ではない: 一方は他方と同じくらい単純であり,どちらかに還元することはできない.
同義の二つの判断は,一方が真なら他方も真である (同値である äequivalent, równoważne).同値でないことは異義性 (Sinn-Verschiedenheit, równoznaczność) の最も確実な基準である.他方,「同値 同義」は言えない (e.g.,「アリストテレスはプラトンの弟子」「プラトンはアリストテレスの師匠」: 対象も性質も異なるため)2.
1章の三原理は同義的判断ではない.存在論的原理は対象について,論理的原理は判断について,心理的原理は確信について述べるものであり,「対象」「判断」「確信」は異なるもの (verschiedene Dinge, przedmioty) を表示する.したがって,これらの判断は三つの異なる命題 (Sätze) を表す.
とはいえ,これらは同値でありうる.実際アリストテレスによれば,存在論的原理と論理的原理は同値である:
- (存在論的原理 論理的原理) "εἰ γὰρ ἀληθὲς εἰπεῖν ὅτι λευκὸν ἢ οὐ λευκόν ἐστιν, ἀνάγκη εἶναι λευκὸν ἢ οὐ λευκόν" (De Int. 9, 18a39-b1). ある対象にある性質を認める/否認する判断が真であれば,対象に性質が属する/属さない.ゆえに,存在論的無矛盾律を認めれば,論理的無矛盾律も出てくる.
- (論理的原理 存在論的原理) "εἰ ἔστι λευκὸν ἢ οὐ λευκόν, ἀληθὲς ἦν φάναι ἢ ἀποφάναι" (18b1-2); " ἀληθεύει μὲν ὁ τὸ διῃρημένον οἰόμενος διῃρῆσθαι καὶ τὸ συγκείμενον συγκεῖσθαι" (Met. Θ10, 1051b3-4). 同様に示せる.
これらの証明は正しいと思う.そしてこの解釈は,「真なる判断」の定義に依拠している: "τὸ μὲν γὰρ λέγειν τὸ ὂν μὴ εἶναι ἢ τὸ μὴ ὂν εἶναι ψεῦδος, τὸ δὲ τὸ ὂν εἶναι καὶ τὸ μὴ ὂν μὴ εἶναι ἀληθές" (Γ7, 1011b26-27). この定義からは同値性が必然的に従う.
ただし,この同値性は単に論理的なもので,事象的 (real) なものではない: "οὐ γὰρ διὰ τὸ ἡμᾶς οἴεσθαι ἀληθῶς σε λευκὸν εἶναι εἶ σὺ λευκός, ἀλλὰ διὰ τὸ σὲ εἶναι λευκὸν ἡμεῖς οἱ φάντες τοῦτο ἀληθεύομεν" (Met. Θ10, 1051b6-9). それゆえ,〈あるもの〉は事態の事象的原因であると同時に,判断の真理性の論理的根拠 (racja) である.判断の真理性は,反対に,論理的根拠だが事象的原因ではないのだ.