『自然学』I 8 のアポリア解決 Horstschäfer (1998) 'Über Prinzipien', Kap.8 #2

  • Titus Maria Horstschäfer (1998) 'Über Prinzipien'. De Gruyter.
    • Kap. 8. "Physik I.8: 'Die Lösung einer Aporie der Vorgänger'". 381-423 [うち 399ff.].

8.2 エレア派のアポリアアリストテレスによる解決 (191a33-b27)

8.2.1 〈ありはしないもの〉からの生成 (191a33-b17)

アリストテレスの批判は,「〈あるもの〉から生成する」「〈ありはしないもの〉から生成する」には少なくとも二通りの意味がる,ということに根拠を置いている.

以下の通りに命題に名前を割り当てる.

  • p: 〈あるもの〉から,ないしは〈あらぬもの〉から生成する (191a34-35)
  • q: 〈ありはしないもの〉ないし〈あるもの〉は何かをなすか,被るか,任意の何かになる (101a35-36)
  • r: 医者は何かをなし,あるいは被る (191b1)
  • s: 医者から何かがある,または生成する (191b1-2)
  • t: 〈あるもの〉から〔ある,または生成する〕(191b3)
  • u: 〈あるもの〉は〔何かを〕なし,または被る (191b3-4)

t, u は p, q の省略形と言える; t, u に関連して〈ありはしないもの〉についても考えることができる.したがって a34-b4 の議論はこうである:「(ii) 表現 p, q は或る仕方では表現 r, s と全く同じであり,(i) r, s は二通りに語られるのだから,(結論) p, q も二通りに語られる」.

(ii) は形式的観点からの議論である.p, q と r, s は「x からの生成」「x の能動・受動」という共通の形式的構造を有する.両者の違いは,変項 x に〈あるもの〉〈ありはしないもの〉が入るか,医者という具体的な〈あるもの〉が入るかの違いである.

問題は,〈あるもの〉側の多義性の主張をいかにして〈ありはしないもの〉に移し替えているのか,ということであろう (I.8, 191b6-10).–– おそらく,〈あるもの〉の否定が〈ありはしないもの〉なのだから,前者の多義性から後者の多義性が生じるのだろう.Met. N2 はこの点を明示している.

アリストテレスは医者の例を通じて,一般的な水準でパラドクスを引き起こす事柄が,具体的な水準では意味をなすように見えるということを示している.(I.2-3 同様) エレア派が一般→具体の道を選んで〈あるもの〉の生成を否定するのに対し,アリストテレスは I.1 の方法論に即して具体→一般の道を歩む.ただ,なぜ具体例に問題がなく,一般化したときに困難が生じるのかは明らかにすべきである.ただ誤りを示せばよいのではなく,なぜ具体例から一般的命題へ,ないしはその逆へ,留保なしに推論できないのかということも示す必要があるのだ.

医者の例は,主体に帰せられる働きに応じて,主体が異なった仕方で観察されることを示す.

医者としてではなく 医者として
なす 医者が家を建てる 医者が治療する
被る/なる 医者が白くなる 医者が非医者になる

左側は医者に言及している (erwähnt) だけなのに対し,右側は医者を主題化している (thematisiert).

「として (als)」という表現の多義性についての附説

アリストテレスは明示していないが,「医者」のみならず「として」も多様に語られうる.

  1. 医者が裕福になる: 裕福でない者として.
  2. 医者が裕福になる: 医者として.

1 の「として」は必要条件を示すのに対し,2 の「として」は「彼は医者なので (weil)」という根拠付け・説明を示す.この二通りある.アリストテレスがこの区別をしていない理由は,彼が生成を目的論的に見ているからだろう.ただし,今の箇所では,例えば「医者が非医者になる」といった生成を目的論的に捉えているとは思われず,したがって「として」は根拠付けの意味ではない.

話を戻すと,"μάλιστα λέγομεν κυρίως τὸν ἰατρὸν ποιεῖν τι ἢ πάσχειν ἢ γίγνεσθαι ἐξ ἰατροῦ" なのは 'ᾗ ἰατρὸς' なときだ (191b6-10),と言われる.i.e. 本来の意味で言われる場合とは,医者が言及のみならず主題化もされる場合である.

続く "δῆλον ὅτι καὶ τὸ ἐκ μὴ ὄντος γίγνεσθαι τοῦτο σημαίνει, τὸ ᾗ μὴ ὄν" は,エレア派の議論において μὴ ὄν が同様に「本来の意味で」語られていることを指す.他方,「非本来的な意味で (in seiner uneigentlichen Bedeutung)」は可能であるとはまだ言われていない.(なおこれに対し,幾人かの解釈者は,"δῆλον ὅτι ..." がアポリアーの解決だとする.つまり ᾗ μὴ ὄν を「〈ありはしないもの〉から」ではなく「或るものから (aus etwas),それが〈ありはしないもの〉である限りで」という意味に読む解釈である (Wagner, Charlton, Goelke, Prantl, Apostle).だが,このような「或るもの」は明示されていない.またこの場合,前者と違って「x としての x」という形式にならない.) この「本来の・手近な (naheliegende) 意味」ゆえにエレア派の議論は説得力を帯び,後世に影響力を及ぼす.

こうした定式化はアリストテレス的視点に基づくもので,エレア派からすれば 'etwas nicht als dieses etwas' という表現は矛盾を犯している.他方アリストテレスは,これと 'etwas als dieses etwas' を区別することで,τὸ ὂν ᾗ ὄν を扱う形而上学に対置する形で,τὸ ὂν ᾗ κινούμενον を扱う自然学を学としてあらしめたのだとも言える.

次いで,非本来的な意味 (付帯的な意味) での〈ありはしないもの〉からの生成の可能性が主張される (191b13-17).στέρησις すなわち καθ' αὑτὸ μὴ ὄν は ἁπλῶς な μὴ ὄν ではない:〈ありはしないもの〉としてではなく,基礎に置かれるものに属する συμβεβηκός としての,〈ありはしないもの〉なのだ.こうした特徴づけによって,アリストテレスの解決は,〈ありはしないもの〉からの生成を認めない自然学者のそれと一線を画する.とはいえ,この解決は θαυμάζεται ではあり,その「驚き」こそが哲学の始まりをしるしづけるのである (cf. Met. A2, Theaet. 155d).

8.2.2 〈あるもの〉から生成すること (191b17-27)

類比的に,〈あるもの〉からも (↔ エレア派),付帯的な意味において (↔ アナクサゴラス) 生成する.このことが「馬から犬が生成する」例によって示されているはずである.

なお「馬から<馬が,犬から>犬が」という Laas の推測を Ross, Zekl, Goelke, Charlton は受け入れている.Apostle, Prantl etc. はこれに反対しており,本稿も写本の読みから考えてみる.問題は,「馬から犬への生成」が (a) 実体的変化か,(b) 出産かということである.後者は変だが前者はなお変.他方,「犬から犬への生成」なら,(b) でしかありえない.−− だが「産まれる」の意味での「生成する」はこれまで登場していない.また「AからBが生成する」という表現はAとBが異なることを眼目とする.表現「Aから生成する」は「基礎に置かれるもの」=質料因に関連するが,「犬から犬へ」の場合はむしろ始動因であり,Phys. I では始動因は全く言及されていない.−− したがって (a) を取るほかない.この点とりわけ Loux に賛成する.

だが,なぜこんな例にしたのか,例えば「水から空気へ」のような例ではだめだったのか.この点に Loux は答えていない.答えは Loux が問うた (が答えなかった) もう一つの問いに関わる: なぜアリストテレスは「〈あるもの〉から付帯的に生成する」という言葉遣いをしたのか? 

アリストテレスの議論はこうである.馬から犬へと生成するのだから,(1) 或る動物から或る動物が生成するのであり,(2) 動物から動物が生成する.かくして,犬が動物から生成するのだが,「動物としての動物」から生成するのではない.−−同様にして,「水から空気へ」−「素材 (Stoff) から素材へ」の例も可能に見える.−−だが,既存解釈では並行箇所 I 5 199a33-34 と共通する或る特徴が見逃されている: 両箇所では κατὰ συμβεβηκός が存在者ではなく生成過程について言われている,という特徴である.他方,馬→犬の事例とは異なり,「空気になる」ことは水に固有の可能性である.

この動物事例とのアナロジーで〈あるもの〉からの生成も語られる.あらゆる生成は ὄν οὐχ ᾗ ὄν からの生成である.このことは否定的な仕方でも定式化される."εἰ δέ τι μέλλει γίγνεσθαι ζῷον μὴ κατὰ συμβεβηκός, οὐκ ἐκ ζῴου ἔσται": すなわち,種子から生成しなければならない.ὄν の場合にはこれは不可能である.

8.3 「可能態」と「実現態」の概念を用いる解決の示唆 (191b27-34)

〔省略.特筆すべき記述なし.〕