論証理論における換位可能な命題の役割 Inwood, "A Note on Commensurate Universals"

  • Brad Inwood (1979) "A Note on Commensurate Universals in the Posterior Analytics" Phronesis 24(3), 320-329.

共外延的命題と論証の説明力との繋がりを論じた論文。僅か10頁だが極めて内容が濃く難しい (明晰に書かれてはいると思うのだけど)。特に後半は汲み切れていない感じがする。


AaBBaA が共に真であるような諸命題を commensurate universals (以下 CU) と呼ぶ。『後書』における CU の存在は認知されてきたが,その役割は明らかでない。Barnes は言う:「論証科学のいくつかの原理は定義であり,定義は換位可能である (convert)。それゆえ論証のいくつかの前提は CU を扱う。だが管見の限り,この月並みなテーゼより強い何かをアリストテレスが受け入れる理由はない。」(Barnes, 1st ed., 248)

以下では,学問的推論の説明*1機能と CU の繋がりの検討をつうじて,Barnes が言うより CU には使いでがあることを示す。その前に2つの予備的説明が必要である。

第一に,\( MaP, QaM\ \vdash QaP \) のとき,前提が共に換位可能なら, \( MaQ, PaM\ \vdash PaQ \) となり,結論も換位可能。*2一般に,推論中のどれか2つの命題が CU なら,残り1つも CU. このとき,一方の前提も他方の前提と結論から導ける。他方,一つだけが CU なら結論は換位不可能。よって,三段論法中で換位可能な命題の数は,0, 1, 3 個のいずれかである。

第二に Barnes は CU に特別な名称がないと主張する。これが事実なら CU が重要でないことの強い論拠になる。だが,πρῶτον καθόλου は (厳密に適用されてはいないにせよ) CU を説明している。なるほど 100a16 の関連性を退ける点で Barnes は正しい。だが 99a33-35*3 および 73b25-74a3*4 は καθόλου の術語的意味を論じている。前者は 'πρῶτον καθόλου' の語義を確定しており,この 'πρῶτον' という限定辞の意義は後者が示している。*5すなわち,普遍性の順序において第一ということである。e.g. 2R ― 図形三角形二等辺三角形。また A5, 74a10-13*6 も CU について論じていると見なすべきである。

ここまでの結論: 換位可能な命題は πρῶτον と καθόλου によって選び出されるのであり,アリストテレスはこの特別な関係が階層内のどこにあるかを指定する方法に言及している。また CU は共外延性の観点から考えられている (99a35)。

では CU 命題はいかなる説明力を持つのか。この点に答えるには,まず CU と καθ᾽αὐτό 就中 καθ᾽αὑτὰ συμβεβηκότα との関係を明らかにしなければならない。

A2 は学知が少なくとも (1) 知る人を ἀμετάπειστος にし (2) 事実や事物の内属性の説明を示す必要があると述べる。後者について言えば,論証が説明すべき事態ないし内属性は πάθη と καθ᾽ αὑτὰ συμβεβηκότα の二種あり (75b1-2),うち καθ᾽αὑτὰ συμβεβηκότα のみが論証の固有の対象である。後者は『トピカ』の ἴδια であり ἴδια πάθη とも呼ばれる (96b20)。

καθ᾽αὐτό な属性,説明,CU性の関係は複雑である。A24 では「普遍はいっそう説明的である」と言われる (cf. 85b23-27)。*7 CU のこの self-explanatory な性格により,καθ᾽ αὑτὰ συμβεβηκότα は πάθη の説明となる。

だがこの意味で καθ᾽ αὑτὰ συμβεβηκότα が重要だとすれば,それが (Barnes / Ross 解釈における) A4 の自体性の特徴づけに入らないのは奇妙だ。両者は自体性1/2 (Barnes: I1, I2) のみが学知にとり重要と考える。だが A4 は καθόλου の意義を特定している: κατὰ παντός かつ καθ᾽αὐτό かつ ᾗ αὐτό. これが CU の特徴づけであることは明らかである。A4 は〈三角形−2R〉は (I1, I2の関係とともに) καθ᾽αὐτό かつ ᾗ αὐτό であると述べる。それは両者の共外延性 (CU) に基づく。これを I' と呼ぶことにする。これは本質に属さない。

三角形の 2R 属性は I' の範例である。cf. Metaph. Δ30, Kirwan; APo. A5, 74a32ff. また CU なる非本質的属性は他の箇所でも論じられる (e.g. Top. V2, Phys. II.1: 火-素早く上がる)。また,CU と self-explanation/causation の関係は Phys. II.2, De An. II.7 からも裏付けられる。

B16-17 の〈説明的論証は説明項と被説明項の共外延性を顕示する〉という要求は I' がある意味で self-explanatory であることにも由来する。いかなる仕方でか,が問題であった。これに答える前に,いくつかの種類の推論を確認しよう。

  1. \( I', I_1 \vdash πάθος \) (e.g. 広葉樹-落葉-ぶどうの樹, 2R)
  2. \( I_2, I_1 \vdash πάθος \) (e.g. 三角形の定義-三角形-二等辺三角形) (『後書』にはない)
  3. \( convertible, convertible \vdash I' \) (両前提が大項の定義をなす) (e.g. 落葉-樹液の凝結-広葉樹)
  4. \( I', πάθος \vdash πάθος \) (e.g. 球形-食-月)

タイプ 1, 2 は種が類の特性を共有することを示す。2と3は ἀρχαί に近い。1 と 4 は 3 に従属する。3 のみが完全に換位可能であり CU 説の究極形を表す。他のタイプ (1, 4) は全てがこの形ではありえないとアリストテレスが考えていたことを示している。他方,タイプ 1, 3, 4 はどれも換位可能な大前提を有する。いずれにせよ,アリストテレスの学知理解における換位可能性と説明機能の繋がりはまだ不明な点が多い。

I' は ἄμεσα であると言われるが (A13 78a24-28, APr. A35 48a30),これらは論証可能であると思われる。アリストテレスは直線の定義と 2R の説明的因果的関係をタイプ3の推論に還元できると考えていたと思われる。

καθ᾽αὐτό 関係の内実につき以下の点は今後の研究に俟つ: ここで論じた用法と他の用法との関係; なぜ ἄμεσα か; 「外的」説明と οὐκέτι δι’ ἄλλο な説明との関係。他方,CU と καθ᾽ αὑτὰ συμβεβηκότα が密接に結びつくこと,また CU が説明的推論において重要な役割を果たすこと,は明らかである。

*1:Inwood は明らかに αἰτία = explanation という前提に立っている。

*2:どうでもいいけど MathJax ははてなキーワードと衝突すると効かなくなるっぽく,はじめ項を A, B, C にしたところ "AaC" ではまった。この仕様はどうなのか

*3:B17. "τοῦτο γὰρ λέγω καθόλου ᾧ μὴ ἀντιστρέφει, πρῶτον δὲ καθόλου ᾧ ἕκαστον μὲν μὴ ἀντιστρέφει, ἅπαντα δὲ ἀντιστρέφει καὶ παρεκτείνει."

*4:A4 末尾

*5:p.322, l.6: '75b' → '73b'.

*6:"τοῖς γὰρ ἐν μέρει ὑπάρξει μὲν ἡ ἀπόδειξις, καὶ ἔσται κατὰ παντός, ἀλλ᾽ ὅμως οὐκ ἔσται τούτου πρώτου καθόλου ἡ ἀπόδειξις. λέγω δὲ τούτου πρώτου, ᾗ τοῦτο, ἀπόδειξιν, ὅταν ᾖ πρώτου καθόλου." Inwood: "For the demonstration will hold for the particulars, and it will be a demonstration that holds of every case; but nonetheless it will not be a demonstration of this primary, i.e. commensurate universal. I say 'a demonstration of this primary, qua this' when it is a demonstration of a primary universal." (p.322)

*7:"Ἔτι εἰ ἡ ἀπόδειξις μέν ἐστι συλλογισμὸς δεικτικὸς αἰτίας καὶ τοῦ διὰ τί, τὸ καθόλου δ᾽ αἰτιώτερον ᾧ γὰρ καθ᾽αὑτὸ ὑπάρχει τι, τοῦτο αὐτὸ αὑτῷ αἴτιον· τὸ δὲ καθόλου πρῶτον· αἴτιον ἄρα τὸ καθόλου"