形而上学的原理としての LNC の擁護 Tahko (2009) "LNC as a Metaphysical Principle"
- Tuomas E. Tahko (2009) "The Law of Non-Contradiction as a Metaphysical Principle" Australasian Journal of Logic 7, 32-47.
形而上学的 LNC の正しさを擁護している.同時に「LNC が形而上学的原理である」ことの擁護だとも結論に書いてあるが,どこでそういう作業を行っているのか一読してよくわからなかった.Semantic dialetheism に譲歩しつつ metaphysical dialetheism を斥けることで間接的にそうしているということだろうか.
1. 序論
2. LNC の形而上学的解釈
- 定式化に関する論点二点.
- 世界のうちの存在者は LNC に違反しない.
- 例: 素粒子がある電荷をもち,かつもたないということはない.(そんなことがあるとすると,いかなるマクロな対象も存在できない.)
- 問題: 経験が LNC に従うのは,世界ではなく世界を記述する概念によるのではないか?
- 答え: 世界の側で本当は LNC が成り立っていないのだとすると,私たちは世界について何も表現できないことになる (維持不可能な独我論への滑り坂がある).
- 私たちの知る限り,推論・合理性は LNC に従っている.
- LNC の主たる批判者さえ,観察可能な世界が無矛盾にみえることは認めている.Vagueness に関する問題含みの例は高々意味論的真矛盾主義 (Mares 2004) を動機づけるにすぎない.
3. 矛盾の存在論?
4. 変化にかかわる Priest のパラドクス
- Priest が挙げるいくつかの例 (ペンが紙についているかどうか,私が部屋の中にいるかどうか) は,いずれも高々,言語の vagueness に依拠する・意味論的な真矛盾主義を動機づけるにとどまる.
5. ゼノンの矢
- Priest は運動を各瞬間の点の集合に還元する見方を批判してヘーゲル的運動観を擁護する.
6. 量子力学からの異論
- Copenhagen 解釈や Bohm 解釈は,LNC の反例を提供するかもしれない.
- しかし仮にそうだとしても,マクロな世界では LNC が成り立つ.