ウーシアーと無矛盾律 Delcomminette (2018) Aristote et la nécessité, ch.12

  • Sylvain Delcomminette (2018) Aristote et la nécessité, Vrin.
    • 4ème partie. Fondation métaphysique de la nécessité.
      • Chapitre XII. Le principe de non-contradiction. 361-386.

諸学知における無矛盾律の優位

  • 260 Γ では PNC と PEM だけが言及される.二値原理は自明視され前提されている.
  • 261 だが関心を引いているのは PNC である.
    • PNC は「強固さ」の点で最上である (1005b5-17).最も強固な原理は (i) 最もよく認識され,かつ (ii) 非基礎措定的でなければならない.
      • 「最もよく認識される」のは,それ自体として,である.ただし全ての知的認識によって前提される以上は私たちにとって最もよく認識されるものでもある.
      • 「非基礎措定的」は APo. の基礎措定 (「x は y である」) の意味で理解されねばならない.PNC はむしろすべての基礎措定の前提である.
  • 262 実際,PNC の追加規定 (1005b17-22) は述定に関する SE の制約 (5, 167a26) と平行的である.
  • 263 〈ある〉の属性を示す限りで PNC は単に論理的ではなく存在論的である.
    • ときに論理学的に定式化されることもあるが,それは存在論が思考を可能にする手段として論理学に内在しているからである.
    • ただし存在論的原理と論理的原理は全く同じではなく,前者のほうが適用範囲が広い (§273).
    • 他方これは単なる心理的原理からは区別される.心理的不可能性は PNC と峻別されて後者から導出される (1005b22-32).
  • 264 PNC は論証する者がみなそれに遡る ἐσχάτη δόξα である (a32-34).およそ推論の妥当性と自体的命題の必然性が PNC に基礎づけられるからである.

証明の地位

  • 265 PNC の論証を要求するのは分析論の教養が欠如しているとアリストテレスは言う (1006a6-11).
  • 266 他方では長大な論駁的論証がなされる.これは論証でなく,就中帰謬法的論証でない (1006a15-18).
    • その戦略は,相手に論点先取を犯させること,反論者がじつは PNC を前提していることを示すことである.

証明の原理

  • 267 アリストテレスは論敵に,何かを言うことのみを要求する.
    • 個別科学の原理の探究と異なり,PNC を支持する議論は全学知に共通の経験 = 意味ある言語に依拠する.
  • 268 論敵に「あるかありはしないか」を問うのは論点先取になってしまう.要求するのは (意味表示をもつ) 語の発話だけである (1006a18-28).語は意味表示を持つ限りで PNC を前提する.というのも意味表示はすでに,ロゴスのうちに現れうる限りで,準述定的構造をもつからである.

諸前提

  • 268 二つの前提から始まる.第一は:「「ある」とか「ありはしない」という名辞がこれを意味表示する ὅτι σημαίνει τὸ ὄνομα τὸ εἶναι ἢ μὴ εἶναι τοδί」(1006a28-31; Alex. の読み方).
    • 対抗解釈は「名辞が「これである」または「ありはしない」を意味表示する」.だがこの解釈は DI 3, 16b19-25 に矛盾する (§20-21).
    • 意味としては:「x が y である」の「ある」はもっぱら x が y であることを意味表示し,同時に x が y でありはしないことを意味表示するわけではない (a31-34).
  • 269 第二の前提: 名辞はある一つのことを意味表示する.
    • 例: 人間は二足の動物を意味表示する.
    • 第一の前提が名辞一般を指すとみる対抗解釈は,第二の前提を単なる一事例とみなすが,そうではない.
  • 270 多義性がある場合は意味ごとに語を割り当てなおせる (a34-b11).

論証

  • 271 以上二つの前提からアーギュメントが始まる.議論は二段階ある: 純粋な意味表示のレベルの議論 (1006b11-22),真なる述定のレベルの議論 (1006b28-34).
    • 第一段階:「ある」と「ありはしない」が異なる意味表示をもち (前提1),「人間」が一つの事柄を意味表示するなら (前提2),「人間である」と「人間でありはしない」も異なるものを意味表示する.
      • 一つのものを意味表示するとは,単なる付帯的述定ではないことを意味する.「人間は二足の動物である」の「である」は τί ἐστι の「ある」を意味表示している (cf. 1007a25-26).
      • 「人間は二足の動物である」が正しい実在的定義である必要はない; 対話者が実在的定義として措定しておればよい.「意味表示する言語の使用は,ものがウーシアーをもつとその使用者が認めることを前提している」というのが前提である.
  • 272 第二段階ではじめて単なる定義ではなく述定が問題になる.これにより真/偽でありうる言明的言語の水準に達する.
    • 真なる命題があると論敵も認めていることは前提されている.
    • アリストテレスは真理を命題と自体の一致として定義する (Γ7, 1011b26-27).
      • 真なる命題と事態の間には必然的関係がある:「x は y である」と言うことが真であるなら,必然的に x は y である.
      • ゆえに,「x は人間である」が真なら,x が人間でありはしないことは不可能である.
  • 273 ここではまた存在論的定式化から論理的定式化へと移行している.
    • 論理的定式化は意味表示の領域ではなくもっぱら述定的言語の領域にのみ関わる.この意味で存在論的定式化のほうがより普遍的である.

異論への応答

  • 274 残る箇所では様々なありうる異論に対する応答が行われる.
    • 第一の異論: 人間であり,かつ人間でありはしないことはできても,人間であり,かつ非人間であることはできるかもしれない.
    • 応答: アリストテレスは (a)「人間」「非人間」(b)「人間の〈ある〉」「人間の〈ありはしない〉」(c)「人間の〈ある〉」「人間の〈ありはしない〉」を区別したうえで,こう論じる (1006b22-28):
      1. 「人間」と「非人間」が同じものを意味表示するなら,「〜は人間である」と「〜は人間でありはしない」も同じものを意味表示する.
      2. そのとき,「〜は人間である」と「〜は非人間である」は同じものを意味表示する.
      3. だが,「〜は人間である」と「〜は非人間である」が同じことを意味表示しないとすでに示している.
      4. したがって,「人間」と「非人間」は同じものを意味表示しはしない.
    • 1 から 2 がどうして導かれるのか,3 は本当か,などの問題がある.
      • だが,(a) (b) (c) が等価だということではなく,各対のメンバーが同じ意味表示をもつことが不可能だということを示しているのだとすれば,意味は通る: ここでは「否定辞も単一の意味をもつ」ということが示されている.
  • 275 これをもとに,「同じものが人間でありかつ人間でありはしないが,同じものが人間でありかつ非人間でありうる」という主張が成り立たないことを示す (1006b34-1007a8):
    • 「人間」と「非人間」が異なる意味表示を持つなら,同じものが「人間である」ことと「非人間である」ことは (「ある」を τί ἐστι で理解するなら) できない.
  • 276 では付帯的述定の場合は可能か.アリストテレスはこの異論に答えて言う (1007a8-20):
    • 人間の付帯性は,「これは人間であるか,そうではないか」を問うときに問題になる事柄ではない.(付帯性は無際限にあり,それを列挙しはじめると議論を始めることができない.)

ウーシアーの自体的属性としての無矛盾律

  • 277 最後の異論: だが「あるτί ἐστι」が意味をなすには,ものがウーシアーをもつことが前提となる.だがその前提を拒否することもできるのではないか.
    • 応答 (1007a20-31): まず,なにかのウーシアーを意味表示するとは,そのものが他の何かではないことを意味表示することである.
  • 278 ゆえに PNC は,ウーシアーにとって構成的な,ウーシアーの自体的属性にほかならない.
    • ウーシアーはまずもって述定的な結びつきの一タイプであった (§36, Top. I 9).そしてウーシアーを述定するとは,それでありはしないことができないと言うことであった.
    • 他方,述定的な結びつきは述語に統合されうる.この述語は,ウーシアーである限りで,ウーシアーの自体的属性 (e.g., PNC) によって特徴づけられうる.
  • 279 そして,あらゆる述定が付帯的であることはありえない (Γ4, 1007a31-b18; cf. APo. I 22, 83a30-32).
  • 280 議論はこれで終わりであり,これ以降は「全ての矛盾命題が同時に真であることはありえない」という別のテーゼの議論に移行する.
    • だが,アリストテレスはウーシアーに関してしか PNC を認めていないわけではない: πρὸς ἕν 関係を通じて他のカテゴリーについても PNC は成り立つ. : 281 ゆえにウーシアーと PNC は必然性の独立の二源泉ではない.両者の関係をよりよく理解するにはウーシアー論を検討すべきである.