Knowledge-how は knowledge-that の一種である Stanley and Williamson (2001) "Knowing How"

  • Jason Stanley and Timothy Williamson (2001) "Knowing How" The Journal of Philosophy 98 (8), 411-444.

knowledge-how と knowledge-that の Ryle 的な区別の批判."x knows how to F" は言語学の標準的意味論で解釈すればふつうの knowledge-that の帰属になり,ただ提示様式 (mode of presentation) が特殊なだけだ,という発想.


Knowledge-how と knowledge-that は根本的に異なるとされる.Ryle によれば,前者は能力だが,後者はなんら能力ではなく,むしろ思考者と真なる命題の関係である.

Ryle の見解を受け入れている哲学者は少ないが,両者が全然違うという見解自体は受け入れられている.

  • 例えば Putnam 1996 は,意味の知識が knowledge-that ではなく knowledge-how だと (区別を前提して) 述べる.
  • Knowledge-how が能力だという Ryle の見解自体,広く受け入れられている.例: Lewis 1990, Devitt 1996.

以下ではこれに反対して,Knowledge-how は knowledge-that の一種だと論じる.まず Ryle の議論を検討し (§1),ついで knowledge-how の積極的説明を行い (§2),いくつかの異論を検討する (§3).

1. Knowledge-how に関する Ryle の見解

Ryle は knowledge-how を knowledge-that に包摂する見解を「知性主義的伝承」(the intellectualist legend) と呼び,それに対する異論を提示する.Ryle の異論は,それに悪性の循環を帰するものである:

命題の考察はそれ自体ある操作であり,当の操作の実行がそれ自体大小の程度で知的であったり愚かであったりするような操作である.だがもし,操作が知的に実行されるために,先行する理論的操作がなされる必要があり,かつ知的になされる必要があるとすれば,ひとがこの循環へと入り込むことは,そもそも論理的に不可能になるだろう.(The Concept of Mind, p.30)

この議論は今なお影響力をもつ (例: Craig 1990).それゆえ検討に値する.

Ryle の議論は二つの前提からなる:

  1. ひとが F するなら,その人はどう F するかの知識を用いている (employs knowledge how to F).
  2. ひとが p だという知識 (knowledge that p) を用いているなら,その人は命題 p を観照している (contemplates).

Knowledge-how が knowledge-that の種なら,knowledge how to F の内容は命題 φ(F) と表せる.ゆえに帰謬法の仮定は:

  • RA: knowledge how to F is knowledge that φ(F).

命題の観照行為を C(p) と表すことにする.ハンナが F しているとしよう.このとき,

  • ハンナは knowledge how to F を用いている (∵ 1).
  • ハンナは knowledge that φ(F) を用いている (∵ RA).
  • ハンナは C(φ(F)) している (∵ 2).
  • ハンナは φ(C(φ(F))) している (∵ RA).
  • ハンナは C(φ(C(φ(F)))) している…….

Ryle が示したいのは,knowledge-how が knowledge-that の種なら,何かをするために,無数の観照行為が必要になる,ということだ.ただし,これには以下の追加の前提が必要である (本節ではこの点は問わない):

  • 行為から命題への写像 φ は,異なる行為を異なる命題に写す.
  • C(p), C(φ(C(p))), ... は異なる行為である.

また Ryle の議論は (2) より強い事前の観照の必要性を前提するが,これは議論に必要ではない.

では,二つの前提は正しいだろうか.

まず (1) はいくつかの 'F' について偽である (「食物を消化する」「くじを当てる」などを入れてみればよい).(1) が真なのは意図的行為 (あるいはもしかするとその部分集合) に限られる.

(2) も「観照」(contemplation) の普通の意味からすると偽である.Ginet 1975: ドアを回して押す人は,ドアノブを回せばドアが開くという知識 (knowledge that) を行使・顕示している.だがそうする際に,当の命題や関連する命題を心のなかで定式化する必要はない.

観照」を意図的行為と見なさなければ,(2) は救える.だが,(1) が尤もらしいのは,意図的行為に限られる.ゆえに,(1) と (2) の両方が正しくなるような解釈は存在しない.つまり Ryle の議論は健全なものでない.

ここまで Ryle の異論を検討した.Ryle の積極的説明はどうか.Ryle によれば,'x knows how to F' は x に F する能力を帰属しているだけである.だが,これも偽である.スキーのインストラクターは大技のやり方を知っている一方で大技を繰り出す能力をもたないかもしれない.事故で両手を失ったピアニストは,ピアノの弾き方を知ってはいるだろう.

だが,Ryle の分析以外にも,knowledge-how を knowledge-that の一種でない仕方で分析するやり方はある.例えば Carr 1979 によれば,knowledge-how は行為者と行為の関係である.knowledge-how の文法的目的語は文的でない.

以下では,knowledge-how が knowledge-that の一種だと論じる.その過程で,こうしたより洗練された説明も斥ける.

II. Knowledge-how の積極的説明

Knowledge-that と knowledge-how の洗練された説明によれば,以下は異なる構造を有する.

  • (2) ハンナは自転車の乗り方を知っている.Hannah knows how to ride a bicycle.
  • (3) ハンナはペンギンがよちよち歩きをすることを知っている.Hannah knows that penguins waddle.

Bechtel & Abrahamsen 1991: (2) の場合 know how + to ride a bicycle,(3) の場合 knows + 命題,という形になっている.――だが,こうした (2) の説明は,現代の統語論と整合しない.

  • (4)
    • (a) Hannah knows where to find a nickel.
    • (b) Hannah knows whom to call for help in a fire.
    • (c) Hannah knows which prize to look for.
    • (d) Hannah knows why to vote for Gore.

(2), (4) と (3) を分ける統語的特徴は二つだけ:

  • (3) は埋め込まれた疑問を含んでいない.
  • (3) は時制付きの文を含む.

だが,

  • これらの特徴に概念的関連はない.時制付きの文は埋め込まれた疑問にも現れうる (例: "Hannah knows how Bill rides a bicycle.").
  • 埋め込まれた疑問が出現するのは know に限られない (例: learn, recall, ask, wonder, be certain about, indicate, see).ゆえに,'know how' が構成要素だと考えるのは間違っているように思われる.

時制を持たない節をもつ埋め込まれた疑問文の構造は,標準的分析によれば,以下の通り.

  • (7)
    • (a) Hannah knows [how PRO to ride a bicycle t].
    • (b) Hannah knows [where PRO to find a nickel t].
    • (c) Hannah knows [whom PRO to call t for help in a fire].
    • (d) Hannah knows [which prize PRO to look for t].
    • (e) Hannah knows [why PRO to vote for Gore t].

'PRO' は音韻上空な (phonologically null) 代名詞である.'t' は 'how' などの移動の痕跡 (trace) である.

時制付きの場合は時制なしの場合と異なる点は音韻上空な代名詞が登場するか否かだけである.ゆえに,違いとされるものは構造に基礎を持たない; (2) と (3) の 'know' はともに補文 (sentential complement) を取る.

次に意味論を考察する.標準的意味論によれば (Karttunen 1977),埋め込まれた疑問文は真なる答えの集合を示す.例えば:

  • (9) Hannah knows whom Bill likes.

これの埋め込まれた疑問文は,'Bill likes x' の形式を取る文の集合である.標準的分析によれば,これが真であるためには,ハンナは使用の文脈に相対的に疑問文の表示対象となる全ての命題を知っていなければならない.

同様に:

  • Hannah knows why Bill votes Republican t.

この埋め込まれた疑問文も 'Bill votes Republican for reason r' の形をした真なる文の集合で表せる.

次のような時制なしの文の場合,二点でより複雑である: PRO の解釈と,不定詞の解釈.しかし本稿の主題には影響しない.

  • (7c) Hannah knows [whom PRO to call t for help in a fire].

  • PRO の解釈.PRO の解釈は主節の主語から強制的に解釈を受け取る (義務的コントロール obligatory control): Hannahi wants PROi to win the race.

    • だが,埋め込まれた疑問文の場合,義務的コントロールがない場合もある: John asked how PRO to behave oneself.
  • 不定詞の解釈不定詞は義務様相の解釈を受ける場合と,'can' に近い場合がある.
    • 不定詞はときに義務様相の解釈を受ける: Hannah is the person to call in case of danger.
    • だが,むしろ 'can' に近い場合もある: John asked where to board the plane.

というわけで,(19) "Hannah knows how PRO to ride a bicycle." には4つの解釈可能性がある:

  • (20)
    • (a) Hannah knows how she ought to ride a bicycle.
    • (b) Hannah knows how one ought to ride a bicycle.
    • (c) Hannah knows how she could ride a bicycle.
    • (d) Hannah knows how one could ride a bicycle.

Knowledge-that と knowledge-how を分けるかどうかで問題になるのは (20c) (20d) である.

Karttunen の意味論では,(20c) の場合: (19) が真 iff. 'w はハンナが自転車に乗れる仕方である' 形式の全ての p について,ハンナは p だと知っている.もっともこの場合,実際にはむしろ p の存在量化のほうが解釈として尤もらしい.しかしこれは意味論的な違いではない.Stokhof 1984 は埋め込み文が "mention-all" 解釈と "mention-some" 解釈で両義的であることを指摘している.'x knows how to F' 形式の文は "mention-some" 解釈のほうでよく用いられるため,以下ではこちらに集中する.

最後に,標準的命題的態度の理論のうちどれを採用するかを述べる必要がある.Russell 的理論と Frege 的理論では,以下は人と命題の関係を表す:

  • (24)
    • (a) Hannah believes that penguins waddle.
    • (b) Hannah knows that she can walk.

ただし,Russell 的理論において命題が属性と対象の順序列であるのに対し,Frege 的理論において命題は属性と対象と提示の様態を含む.他方で,第三の理論では,動詞は三項関係であり,人,ラッセル的命題,ラッセル的命題の考え方を関係項とする.

どれでもよいが,明確さのためここでは Russell 的命題を関係項とする枠組みを採用する.問題となる命題は行為への関与の仕方を含む.ここで〈仕方〉とは出来事トークンの属性とする.そうすると,(19) はハンナがそうした Russell 的命題と knowledge-that 関係に立つことを必要条件とする.

提示様式を含むある理論によれば,提示様式は態度帰属の真理条件と無関係である (語用論的にしか問題にならない).別の理論 (Perry & Crimmins 1989) によれば,文脈が真理条件と関連する提示様式を与える.本稿はこの点について中立を保つ.

同じ〈仕方〉は異なる提示様式のもとで抱かれうる.まず並行的な例を考える.ジョンは自分が鏡を見ていることに気づいていないとする.このとき (26) が真で (27) が偽になることがある:

  • (26) John believes that that man has burning pants.
  • (27) John believes that he himself has burning pants.

(26) は直示的提示様式と関連し,(27) は一人称的提示様式と関連する.

〈仕方〉の場合も同様である.ハンナが自転車への乗り方を知らないとする.スーザンが自転車に乗っているジョンを指して,"That is a way for you to ride a bicycle" と言うとする.このとき,(28) は真だが,(29) は偽:

  • (28) Hannah knows that that way is a way for her to ride a bicycle.
  • (29) Hannahi knows [how PROi to ride a bicycle].

(28) が直示的な提示様式なのに対して,(29) は実践的提示様式と呼べる.'he himself' と一人称的提示様式に慣習的つながりがあるように,'how to F' と実践的提示様式には慣習的つながりがある.

ある人を自分自身だと考えること,ある場所を「ここ」だと考えること,実践的提示様式のもとで〈仕方〉を考えることは,どれも特定の傾向性をもつことを含意する.Knowing-how と傾向的状態の込み入った関係がある理由はこの点に存する.しかしそのことは,knowing-how が knowledge-that の種だというテーゼを危うくするわけではない.

したがって knowing-how の完全な説明は次のようになる.

  • 提示様式が意味論的に重要なら,(29) がある文脈 c と相対的に真である iff. 文脈上関連する仕方 w が存在し,ハンナは,w がハンナが自転車に乗れる仕方であるという Russell 的命題と knowledge-that 関係に立ち,かつ,ハンナはこの命題を,実践的提示様式のもとで抱いている.
  • 提示様式が意味論的に重要でない場合,後段は真であるために必要でない.ただし (29) の使用が後段を示す.

なお Karttunen の枠組みより最近の枠組み (Groenendijk and Stokhof) は,knowledge-that と knowledge-how の並行性をむしろ強化する.言語学的見地からすれば,knowledge-how の帰属に特別なところはないのである.

Ryle 的な発想で統語論・意味論を組み立てる試みがあってもよかったはずだが,Ryle の追随者のだれもそれをしてこなかった.以下では kmnowledge-how に特殊な特徴があることを言語学者が見逃してきた,といったわけではありえないと論じる.

III 擁護

もう一度以下を考え,これで哲学者が主張してきた特別な特徴が全て説明できることを論じる.

  • (29) Hannahi knows [how PROi to ride a bicycle].

一点目.ハンナが自転車の乗り方を知っていても,何らかの情報を伝える「私は F することで自転車に乗る」形式の文を真と認識している必要はない.並行例を考えよう:

  • (32) Hannah knows that she is in pain.

命題の一人称的装い (guise) を説明するのは難しいことが知られている.ハンナについて純粋な非指標的記述 'the F' がなくとも,(32) は真でありうる (Perry 1979).ハンナが記憶喪失になった場合を考えればよい.

同様に,ハンナがいわく言い難い奇妙な自転車の乗り方をしている場合,ジョンはそれを身体的に模倣しながらこう言うことができる.

  • (33) I know that Hannah rides a bicycle in this way.

ジョンが命題的知識を持っていることは,ジョンが非指標的に記述できることを含意しない.

二点目.Knowledge-how の説明で提示様式に訴えたが,提示様式の分析が還元されざる knowing-how に訴える必要がありうるのではないか,という懸念がありうる.

だが,ここで行っているのは knowing-how の還元的分析ではない.概念 A が B の種だと言うのに A の還元的分析は不要である: 殺人がいつ暗殺になるのかを特定できないからといって,暗殺が殺人でなくなるわけではない.

別の類例.ジョンのもつ自分が疲れているという知識は knowledge-that である.この知識は一人称の提示様式で自分のことを考えることを伴うし,その提示様式を三人称の分析で取り去ることはできないように思われる.そのことは何ら真正な knowledge-that であることを妨げない.

三点目 (二点目の別ヴァージョン).Knowing-how が knowing-that の際立った種であり,他のものと全然違うなら,それは結局伝統的区別を言い直しただけではないか,という懸念がありうる.

Knowing-how とそれ以外の knowing-that のありうるディスアナロジーとして,前者のゲティア事例を思いつきにくい,ということがある.――だが,構築は可能である.

四点目.(29) と (34) には様々な違いがあるようにも思われる:

  • (34)
    • (a) Hannah knows how Bill rides a bicycle.
    • (b) Hannah knows how Hannah rides a bicycle.
    • (c) Hannah knows how one should ride a bicycle.

だが,違いは全て問題なく説明できる: 実践的提示様式や 'PRO' の解釈に帰着できる (例えば "de se" 読みなどが).

五点目.'Know' の二義が多くの言語で語彙上区別される:

  • (35) Hannah knows that pengui-ins waddle.
  • (36) Hannah knows Bill.

各々 wissen / kennen, savoir / connaître. 英語でも,例えば以下のようには省略できない:

  • (38) \?* Hannah knows that penguins waddle, and Bill, Ted.

(2) と (3) にもこうした意味の違いはあるのではないか,という懸念がありうる.

だが,(2) と (3) の場合,多くの言語で同じ言葉で訳される.また英語での省略も可能である.

六点目.Knowledge-that の帰属は不透明だが,knowledge-how の帰属は透明ではないか,という懸念がありうる.

だが,実際には透明ではない:

  • (42) Hannah knows how to locate Hesperus.
  • (43) Hannah knows how to locate Phosphorus.

七点目.私たちは動物にも knowledge-how を帰属するが,動物は命題的知識を持てない,という懸念がありうる.

だが,これも当たらない.(46) が言えるのと同様,(47) も言える.

  • (46) Pip knows how to catch a Frisbee.
  • (47)
    • (a) Pip knows that when visitors come, he has to go into the kitchen.
    • (b) Pip knows that Alva will give him a treat after dinner.

また私たちは動物に how to F についての偽なる信念を帰属することもできる.

八点目.Knowledge-that は命題を記憶から取り出す能力を要求するが,knowledge-how はそうでない,という見解がある (Bechtel and Abrahamsen).

だが,この要件は誤っている.

  • 知っている命題を生起的に気づいている (occurrently aware) 必要はない.Knowledge-that の場合も外的要因が取り出しを妨げるかもしれない: 車の運転に没頭しているときに退屈な地理的知識を掘り起こせなくても,それが知識だと言えなくなるわけではない.
  • 適切な条件下で取り出せるかどうかが問題なら,knowledge-how も取り出せるだろう (ハンナが自転車に乗っているときなら,'w is a way for Hannah (herself) to ride a bycile' の命題を取り出せるはずだ).

以上が異論への応答である.次に私たちの見解の利点を挙げる.

第一の利点.現在の統語論・意味論の帰結である.

第二の利点.これまで説明されなかった knowledge-how の特徴を新たに説明できる.すなわち,以下が偽に見えることが,赤ちゃんへの命題的知識の帰属がためらわれることから説明できる.

  • (50) Human babies know how to suck.
  • (51) Human babies know how to cry for hours.

もちろん,赤ちゃんへの命題的知識の帰属がためらわれない場合もある.例えば以下は問題ない:

  • (52) Isobel knows that when Richard comes home, she will be tossed in the air.

同様に,赤ちゃんのポールに障害がないかを調べる医者は,次のようにメモを取れるだろう:

  • (53) Paul knows how to stick.

この並行性も私たちの見解なら説明できる.

IV. 結論

以上の点が正しければ,現行の心の哲学言語哲学における Ryle の区別の利用は危険である.

一つ目: Jackson の知識論証に対する Lewis の応答.Lewis によれば,メアリが白黒の部屋を出た時に得るのは knowledge-how であって knowledge-that ではない.だが,私たちの立場からすれば,赤の経験をどう想像するかの知識と,赤をどう再認するかの知識は,ともに knowledge-that である.

Lewis は単に 'knowledge-how' という言葉を誤用したのであり,単に能力だと言えばよかったのだ,とも考えられる.この場合の応答は二通りありうる.

  1. 赤の経験をどう想像するかの知識なるものは存在せず,単に赤の経験を想像できること (being able to imagine an experience of red) だけがある.
    • だが,この能力は意図的行為を遂行する能力であり,意図的行為は knowledge-how の使用だと考えるのが尤もらしい.
  2. メアリに赤の経験をどう想像するかの知識を認める.
    • だが,(54) "Mary knows how to imagine an experience of red." はあきらかに偽.

二つ目: Devitt による言語能力の「デカルト主義」批判.Devitt はとりわけ,ある語についての言語能力 (linguistic competence) がその意味の命題的知識を含意するという考えを標的にする.だが,本稿の見解はこの議論を危うくする.