Yli-Vakkuri の内在主義批判は外在主義にも当てはまる Morgan (forthcoming) "Content externalism without thought experiments?"

Yli-Vakkuri 2018 を読んで何がどうなってるのか分からないという感想を抱いたが,これを読んでなおさら分からなくなった.


1. 序論

Yli-Vakkuri 2018 の透明性論証 (transparency argument) に対しては複数の批判がある (Sawyer 2018, Rieppel 2019, Woodling 2020).以下ではこれらとは独立の批判を提示する: 内在主義者に対する透明性論証と並行的な論証が外在主義にも当てはまる.外在主義者がこれを避けるには,内容確定と真理値確定が予期しない仕方で合致すること,および信念内容の永遠主義を認める必要がある.

2. 内在主義批判

内在主義によれば,信念には内在的複製において保持される特徴が存在し,当の特徴が信念の内容を確定する.これを内在的内容確定的特徴 (I-特徴) と呼ぶ.

Yli-Vakkuri によれば,内在主義は以下の帰結をもつ (か,以下に緊密に結びつく):

  • (NarrowC) \Box\forall x\forall y(Ixy\rightarrow c(x)=c(y))

Ixy は x と y が対応する (i.e., 両者が同一の I-特徴をもつ) ことを意味する.Yli-Vakkuri は以下から NarrowC を否定する:

  • (Transparency) \Box\forall x(v(x)=v(c(x)))
  • (I-Difference) \lnot\Box\forall x\forall y(Ixy\rightarrow v(x)=v(y))

3. 外在主義に反対する透明性論証

要するに,「信念の I-特徴が内容確定に十分であり真理値確定に十分でないなら,同じ内容をもつ信念の真理値が異なりうる」ということが内在主義の問題である.だが,外在主義にも構造的に類比的な問題が成り立つ.

類比的論証が見過ごされてきたのは,外在主義が単なる内在主義の否定という消極的主張としてみなされてきたからだ.だが,肉付けされた外在主義は積極的主張を含む必要がある.外在主義は,信念内容が主体の内在的諸特徴と外在的諸特徴の連言によって決定されるという点で一致している.少なくとも部分的に主体に外在的であり,かつ信念内容を完全に確定する特徴を,外的内容確定的特徴 (E-特徴) と呼ぶことにする.このとき,外在主義は以下を含意する (か,以下に緊密に結びつく).

  • (BroadC) \Box\forall x\forall y(Exy\rightarrow c(x)=c(y))

これをもとに NarrowC の場合と並行的な議論ができる.ある外在的特徴が信念内容の確定に十分であるとき,当の特徴は典型的には信念の真理値の確定に十分ではない.内容確定と真理値確定が必然的に一致するとする理論はこれまで提示されたことがない.例えば Stalnaker 1984 の理論によれば,信念内容を決定するのは,信念が最適な条件のもとでその真理値を辿る (track) ところの命題である.例えば,森にウサギがいるという信念は,〈森にウサギがいる〉という命題の真理値を辿る.最適な条件下でこの信念をもつとき,この信念は真である.だがそれ以外の条件下では信念が偽でありうる (例: 知らない間に森全体が山火事になっていた場合).かように内容確定と真理値確定は独立の事柄である.ゆえに以下が成り立つ:

  • (E-Difference) \lnot\Box\forall x\forall y(Exy\rightarrow v(x)=v(y))

内在主義に反対する透明性論証を支持する外在主義者が以上の並行的論証に反対するには,E-Difference に反対するほかない.だが E-Difference は上述の通り一見して尤もらしい.また E-Difference の拒否は信念内容に関する永遠主義へのコミットメントを含む: 信念の内容は時間を通じて真理値を変えることはできない.永遠主義を支持する議論もあるが (Moore 196, Richard 1981, Salmon 1986: 24-27),これに反対し一時性主義 (temporalism) を支持する議論もある (Prior 1959, Kaplan 1989, Brogaard 2012).それゆえ両者の対立が微細すぎると考える人は用心する必要がある.どちらも全く同じだけのデータをカヴァーしていると考えられるからだ (Dever 2015: 2).