結論.現代と古代の関係性観 Duncombe (2020) Ancient Relativity, Ch.12

  • Matthew Duncombe (2020) Ancient Relativity, Oxford University Press.
    • Chap.12. Conclusion. 246-256.

古代の関係性について哲学的解釈を行うには,私たちのもつ関係性についての常識を一旦保留する必要がある.分析的な研究者たちは,Frege-Russell 的な関係性を前提として,古代の関係性を混乱していると見なすか,あるいは逆にそれと類同化してしまっていた.

古代の関係性観が現代と異なるのは以下の点であった.

  1. プラトンアリストテレスストア派懐疑主義者は構成的見解を共有している.
  2. プラトンは間接証拠,アリストテレスは直接証拠がある.ストア派懐疑主義の見解はややニュアンスがある.
  3. 哲学が関係性に影響している.
    • 例1: Charm. では対他関係性について両義的だが,Cat. は実体の第一性に基づき明確に対他関係性を支持する1
    • 例2: セクストスにおいては概念的関係性に移行している.
  4. 関係性が哲学に影響している.

10.1 馬の頭

構成的見解には致命的欠陥がある.関係項-関係-相関項を 1:1:1 で対応させる結果,関係性の理論に私たちが求める説明上の役割を果たせなくなっているのだ.Russell 曰く:

Plato is perpetually getting into trouble through not understanding relative terms. He thinks that if A is greater than B and less than C, that A is at once great and small, which seems to him a contradiction. Such troubles are among the infantile diseases of philosophy. (Russell 1946, 143)

この文は一方では誤っている.プラトンにとって,この場合 A は,大かつ小なのではなく,より大きいものかつより小さいものである.とはいえ,同じものが異なるものと異なる関係に立つことが説明できないという指摘は的を射ている.問題は「A is greater than B and less than C」が矛盾であることではなく,偽であることなのだ.

この問題は19世紀-20世紀初頭には明確に見て取られていた.Tarski は De Morgan が「アリストテレス論理学が私たちに許さないのは,馬が動物だという事実から馬の頭は動物の頭だと結論することだ」と述べたと伝える.ただ実際の彼の文章はもう少しありふれている:

There is another process which is often necessary, in the formation of the premises of a syllogism, involving transformation which is neither done by syllogism, nor immediately reducible to it. It is the substitution, in a compound phrase, of the name of the genus for that of the species, which the use of the name is particular. For example, 'man is an animal, therefore the head of a man is the head of an animal' is inference but not syllogism. And it is not mere substitution of identity, as would be 'the head of a man is the head of a rational animal', but the substitution of a larger term in a particular sense (De Morgan 1847, 114).

つまり,次のような推論を考えたとき:

  1. 馬は動物である.
  2. ゆえに,馬の頭は,動物の頭である.

これは一階述語論理で容易に示せるが,アリストテレス論理学で説明できない2.つまり一般的な 'an F is a G' から,ある X についての 'an X of an F is an X of a G' から妥当に推論できない.そして 'an X of an F' は関係である.

Top. 114a14-19 の議論は,構成的見解を無視すれば,De Morgan の推論を妥当にしうる.すなわち次の図式から:

  • (関係的推論図式 RIS) もし R1 が R2 の種なら,R1 の相関項は R2 の相関項の種である.

次のようにして De Morgan の推論が妥当になる.

  1. 馬は動物の一種である.
  2. 馬の頭は馬の相関項である.
  3. 動物の頭は動物の相関項である.
  4. 馬が動物の一種なら,馬の相関項は動物の相関項の一種である.(RIS)
  5. ゆえに,馬の相関項は動物の相関項の一種である.
  6. ゆえに,馬の頭は動物の頭の一種である.

だが構成的見解のもとでは 2-3 を採れない.

したがって,アリストテレスの限界は形式的側面にあるわけではなく (形式的規則自体は Top. にある),むしろ概念的側面にある.アリストテレスは馬・動物・頭を関係項として理論枠組みに入れることができない.これをするには関係項が二つ以上の関係を担いうるのでなければならない.Frege 以後の関係性観には De Morgan の推論が妥当である理由を説明する概念的資源があり,構成的見解にはない.

De Morgan はこの限界の第一発見者ではない.夙にガレノスが,アリストテレスストア派の論理学 (構成的見解) が関係性に関する一部の妥当な推論を説明できないことを見抜いている.

とはいえ,古代の関係性観は,従来言われてきたほど混乱したものでも,また反対に現代の理論のトリヴィアルな変種でもなかったのである.


  1. “no relatives are aliorelatives” (p.248) は誤植だろう.

  2. ただし三段論法の拡張は可能である: Ockham の ‘oblique syllogisms’ 理論 (Thom 1977).