セクストスにおける概念的相対性 Duncombe (2020) Ancient Relativity, Ch.11

  • Matthew Duncombe (2020) Ancient Relativity, Oxford University Press.
    • Chap.11. Relativity against dogmatism in Sextus Empiricus. 226-245.

序論

セクストスの懐疑主義における関係性の役割には多くの研究があるが,セクストスの関係性そのものはそれほど研究されていない.

一部の研究者は,セクストスにとって a が関係項であるとは不完全述語 ∃y(Ray) を担うときだとする.だが,この解釈だと一部の用法が説明できない.本章では,a が関係項であるとは Rab が概念 a の一部をなすことだと論じる.これは構成的見解に近縁的だが,概念の水準に動くことで,実在の本性へのアクセスに対する懐疑に資している.

解釈は二種類の論証から裏付けられる.第一に直接証拠に基づく議論 (M 8, 161.4-163.1; M 8 164-5).第二に最善の説明に基づく間接的議論.

11.1 では二種類の解釈を組み立て,11.2 で直接論証,11.3 で間接論証を行う.

11.1 関係性の諸説明

伝統的解釈によれば,セクストスは a が関係項であるとは不完全述語 ∃y(Ray) と同義的であることだと考えている.だがセクストスは関係性を論じるに当たって,述語よりものに注目している.

伝統的解釈は関係項を一方ではつくりすぎ,他方ではつくらなさすぎる.例えば「苦い」が関係項でないこと (M 8.161),証明が関係項であること (PH 2.174 etc.) を説明できない1.また,認識的対称性 (PH 2.117-20 etc.) や存在的対称性 (PH 3.25-27 etc.),その他の形式的特徴も説明できない.

11.1.1 概念的解釈

セクストスは,関係的存在者が思考される (conceived, νοούμενα) 仕方が関係項をそれ以外と分かつと述べている (M 8.162).セクストスによれば,関係項であるとは特定の仕方で思考されるということであり,また他の何かとの関係で思考されるということであり,また関係的存在者について考えるときは,その相関項にも同時に注意する必要がある.すなわち:

  • (概念) a が関係的存在者であり,b がその相関項である iff. (i) a≠b, (ii) 'Rab' が概念 'a' の一部をなす.

不完全解釈と異なり,概念的解釈では,関係的存在者は別々の見かけから捉えることはできない (例: 〈親〉が同時に〈より速いもの〉であることはできない).

概念的解釈は関係項を心に依存するものにするわけではない.概念と独立に関係項にアクセスすることはできないという主張にすぎない.

11.2 概念的説明についての明示的な議論

概念的説明は M 8 で行われる.第一に関係項が端的なもの (absolutes) から区別され (161-3),第二に記号が関係項であるという合意を得て (164),第三に関係項の形式的特徴から記号がしていると思われていることをできないと論じる (165-9).うち第二段階以降は PH 2.117, 124-6 が並行的である.

(T1) τῶν οὖν ὄντων, φασὶν οἱ ἀπὸ τῆς σκέψεως, τὰ μέν ἐστι κατὰ διαφορὰν τὰ δὲ πρός τι πῶς ἔχοντα. καὶ κατὰ διαφορὰν μὲν ὁπόσα κατ᾽ ἰδίαν ὑπόστασιν καὶ ἀπολύτως νοεῖται, οἶον λευκὸν μέλαν, γλυκὺ πικρόν, πᾶν τὸ τούτοις παραπλήσιον· ψιλοῖς γὰρ αὐτοῖς καὶ κατὰ περιγραφὴν ἐπιβάλλομεν καὶ δίχα τοῦ ἕτερόν τι συνεπινοεῖν. (M 8 161.4-162.1)

(T2) πρός τι δέ ἐστι τὰ κατὰ τὴν ὡς πρὸς ἕτερον σχέσιν νοόυμενα καὶ οὐκέτι ἀπολελθμένως λαμβανόμενα, τουτέστι κατ᾽ ἰδίαν, οἷον τὸ λευκότερον καὶ μελάντερον καὶ γλυκύτερον καὶ πικρότερον, καὶ πᾶν εἴ τι τῆς αὐτῆς ἐστὶν ἰδέας. οὐ γὰρ ὃν τρόπον τὸ λευκὸν ἢ τὸ μέλαν κατ᾽ ἰδίαν ἐνοεῖτο περιγραφήν, οὕτω καὶ τὸ λευκότερον ἢ μελάντερον· (162.1-7)

(T3) ἀλλ᾽ ἵνα τοῦτο νοήσωμεν, συνεπιβάλλειν δεῖ καὶ ἐκείνῳ τῷ οὗ λευκότερόν ἐστιν ἢ τῷ οὗ μελάντερόν ἐστιν. (162.8-9)

T1 は懐疑主義の関係性に関する見解を示す.ただしセクストスがこれを是認 (endorse) したかは別問題である.T2 は既に論じた.T3 は次の重要情報を付け加える: ある人がある関係項を思考するなら,その人は相関項も思考する.

T1-T3 はセクストスが (概念) を支持していることを示している.セクストスは認知的区別に基づき存在論的区別を立てている.この手筋を可能にするのが (概念) の双条件文である.また T1-T3 は (概念) の (ii) を強調する.T1 によれば,関係的概念は別のある概念を把握しない限り把握できない.ただしこれは十分条件にはならない (人間概念は動物概念なしには把握できないが,関係的概念ではない).そこで T3 は把握すべき概念が相関概念であることを付け加えている.

セクストスは (概念) を関係性に関する自身の立場と見なしたとは言えない.むしろ,様々な独断的アプローチをカヴァーするのに充分に広い関係性の説明を行ったのである.

11.3 概念的説明の実用

セクストスは様々な問答法的議論において概念的見解に訴える.以下3つの例を論じる.

11.3.1 記号と認知的対称性

PH 2 117-20 は記号というものの整合性を批判する.まず 117.1-118.5 でストア派のテクニカルな記号概念が批判され (cf. 10.5.2),次いで 118-20 でより一般的な批判がなされる.後者の議論は次のように再構成できる:

  1. a は表示対象 b の記号である iff. a は b を明らかにする.
  2. x が記号であり y が表示対象なら,Rxy
  3. もし x が t に把握され,かつ Rxy ならば,y は t において把握される.
  4. x が記号であり y が表示対象なら,x と y は t において把握される.
  5. x が y を明らかにし,x が t において把握されるなら,y は t 以降の時点で把握される.
  6. a が記号,b が表示対象だとする.
  7. a と b は t において把握されている.
  8. a は b を明らかにしない.(∵ 5, 7)
  9. a は b を明らかにする.
  10. それゆえ,(a が記号,b が表示対象である) ということはない.

問題は前提 3 にある.これは認識的対称性の次のヴァージョンを必要とする:

(把握) すべての x, ある y について,もし x が t において把握され,かつ Rxy なら,y は t に把握される.

これは偽だが,概念的見解から説明できる.実際にセクストスが言えているのは,「記号」概念が「表示対象」概念を表示するわけではないという無害な結論にすぎない.もっともこれに応えて整合的な関係性概念を提示する責任は独断主義者のほうにある.

11.3.2 原因と存在的対称性

セクストスは存在的対称性に訴えて原因を攻撃する.PH 3.26 は以下のトリレンマを提示する: 原因は結果とともに存在する (συνυφίστασθαι) か,先在するか,後に存在するかである.うち先在を斥ける際に存在的対称性が用いられる: 原因は結果と同時に存在するのだから,結果に先行しない.これも変な (誤った) 議論だが,やはり概念的見解から説明できる.

11.3.3 論証と対他関係性

セクストスは反論証論を行う際に論証が結論に関係的だという考えを用いる.PH 2.175 はストア派の冗長性概念を用いて:

  • (冗長性) 「Γ が q を含意する」という証明が冗長である iff. p が Γ から取り除かれたとき,Γ が q を含意するような前提 p が存在する.

論証概念をジレンマに追い込む.すなわち (i) 結論が論証に寄与する場合,結論はそれ自身を明らかにし,それゆえ循環的である.(ii) 寄与しない場合,結論は冗長である.

補題として (ii) 寄与しないことを確立するうえで,セクストスは対他関係性に訴える:

  1. x が論証,y がその結論であるとき,Rxy.
  2. Rxy ならば,x は y とは異なるものとして思考される.
  3. x が論証,y がその結論であるとき,x は y とは異なるものとして思考される.

対他関係性は不完全解釈では説明できない一方,概念的解釈によって説明できる.(概念) に対他関係性が含まれるのは,定義の循環を避けるためである.

するとセクストスの反論証論は次のように理解できる.論証は論証対象 (demonstrandum) と関係する.対他関係性より,論証対象は論証とは異なるものとして思考される.そのとき,論証対象が論証に寄与するか,しないかのいずれかである.するなら循環し,しないなら冗長である.――ここでの対他関係性の用いられ方は概念的解釈でしか説明できない.

セクストスの議論は正しくない.「論証」概念の多義性を用いている: 第一の角の「論証」は前提+結論,第二の角は前提を指している.

セクストスの議論は認識的対称性・存在的対称性・対他関係性という形式的特徴をそれまでの関係性観と共有している.ただしセクストスの場合,関係項を構成するのは相関項との関係そのものではなく,むしろ関係的であると思考されることである.その背景には不可知論的態度がある.


  1. あまり直感が共有できない.