魂の区分における構成的関係性の役割 Duncombe (2020) Ancient Relativity, Ch.4
- Matthew Duncombe (2020) Ancient Relativity, Oxford University Press.
- Ch.4. Relativity and partition in Republic. 71-89.
初出は Duncombe (2015) OSAP 48, 37-60.
序論
R. のソクラテスは,魂の三分説を提示する前に,魂の部分が一つより多いことを論証する (区分論証 partition argument).解釈者たちは,区分論証には諸部分を過剰に産出するか,または過小に産出する (over-generates or under-generates) という問題があると考えてきた.区分論証には関係項に関するプラトンの最重要の議論が含まれている (438a7-d9).
以下では,構成的解釈のもとで上記の問題がともに解決できると論じる.主張は三つ:
- 過剰産出・過小産出は,欲求 (desire) と拒絶 (rejection) が異なる対象に関係しうるときにのみ生じる.
- プラトンは,諸欲求 (e.g., 渇き) と諸拒絶 (e.g., 飲酒恐怖 dipsophobia) が同一の対象に関係すると考えている.
- 欲求と拒絶は反対の関係項 (opposite relatives) である.(R. の文脈では,そこから対象の同一性が導かれる.)
4.1 では区分論証と二つの問題を粗描する.4.2 ではプラトンにおける関係項の排他性を論証する.4.3 では区分論証が問題を回避できていることを論じ,4.4 はプラトンの関係性説につきまとう不整合性を論じる.
4.1 区分論証・過小産出・過剰産出
区分論証は以下の構造を取る.
- (反対原理 principle of opposites) 全ての x について,x が単一のもの (single item) なら,x は (a) 同時に (b) 同じ観点から (c) 同じ対象に関して反対の仕方で作用したり作用を被ることはできない.(436b9-c2)
- 欲求と拒絶は作用・受動の反対の方式である.(437b1-c9)
- 渇きは飲料の欲求である.(437e7-438a5; cf. 437d1-e6)
- (限定原理 principle of qualification)「何かについての」ものが限定されているなら,それは限定されたものについてのものである.また,「何かについての」ものが限定されていないなら,それは限定されていないものについてのものである.(438a7-b2)
- 限定されない渇きは限定されない飲料の欲求である.
- ある人 a が渇いていて,同時に飲料を拒絶する.
- a は限定されない飲料を欲求し,かつ限定されない飲料を拒絶する.
- a は限定されない飲料について反対の仕方で行為している.
- a は単一のものではない.
問題は条件 (a)-(c) が満たされなかったり,逆に何度も満たされる場合である.
行為者があるもの x を善いものとして欲求するとき,以下の条件が満たされるものとしよう:
- 行為者は x を欲求する,
- 行為者は x を善いものとして表象している,
- 行為者が x を欲求しているのは,x を善いものとして表象しているからである.
R. のプラトンが「あらゆる欲求は善いものとしての欲求である」という R. 以前のソクラテス的見解を踏襲しているかは議論がある.伝統的解釈は踏襲していないと考え,修正主義は踏襲していると考える.争点は以下の箇所にある:
(T1) οὕτως, ἔφη, αὐτή γε ἡ ἐπιθυμία ἑκάστη αὐτοῦ μόνον ἑκάστου οὗ πέφυκεν, τοῦ δὲ τοίου ἢ τοίου τὰ προσγιγνόμενα. μήτοι τις, ἦν δ᾽ ἐγώ, ἀσκέπτους ἡμᾶς ὄντας θορυβήσῃ, ὡς οὐδεὶς ποτοῦ ἐπιθυμεῖ ἀλλὰ χρηστοῦ ποτοῦ, καὶ οὐ σίτου ἀλλὰ χρηστοῦ σίτου. πάντες γὰρ ἄρα τῶν ἀγαθῶν ἐπιθυμοῦσιν: εἰ οὖν ἡ δίψα ἐπιθυμία ἐστί, χρηστοῦ ἂν εἴη εἴτε πώματος εἴτε ἄλλου ὅτου ἐστὶν ἐπιθυμία, καὶ αἱ ἄλλαι οὕτω. (R. 437e7-438a5)
伝統的解釈は T1 を根拠にする.一方,修正主義者の Carone は T1 に対処して,「渇きは飲料の欲求だ」の概念的読みと心理的読みを区別し,あくまで心理的経験的事実として,渇きが善いものとしての飲料の欲求なのだと論じる.
だが,この修正解釈には過小産出の問題がある:「渇きは飲料の欲求である」という定義が「タンタロスがこの飲み物を拒否する」という心理的事実と対立せず,魂の区分が必要でなくなってしまう.
これと並行的なのが過剰産出の問題である: タンタロスの魂が温かくて甘くない飲み物を欲求するとき,温かくて甘い飲み物を欲求しかつ拒絶することになる.こうした事実に基づく区分は無際限に繰り返すことが可能である.
過剰産出はより広い問題に接続されることもあるが (Penner, Annas),通常はたんにあらゆる対立から区分に至るわけではないという論点と結び付けられる.一階の欲求と二階の拒絶だけが区分に導くという説 (Irwin, Price),適切な善の捉え方が必要であるという説 (Irwin, Cooper, Price) などがある.
過小産出も過剰産出も欲求と拒絶が同一の対象と関係しないことからくる.欲求と拒絶が関係項なら,そうした問題は生じないはずである.
4.2 『ポリテイア』における欲求と拒絶
区分論証における欲求が関係項である証拠がある.少なくとも 438a7-b2 では関係項が論じられている ('ὅσα γ᾽ ἐστὶ τοιαῦτα οἷα εἶναί του'; cf. Cat. 7, 6a35; Symp. 199c4-5; 428b4-d9).さらに T1 後半部において,欲求が善いものにだけ関係するのではないかというグラウコンの憂慮に対し,ソクラテスは 438a8-b2 の関係項の形式的特徴に訴えている (後述).この応答は欲求が関係項でなければ意味をなさない.さらに直接証拠として,439a1-2 では渇きが上述の関係項に属すると論じられている.
拒絶も関係項か.プラトンは明記していないが,欲求/拒絶を同意/不同意のような反対項とする議論 (437bff.) は,拒絶を関係項とする根拠となる.また区分の必要条件として反対者も同一の対象に関係する必要があり (436b9-c2),そうである以上拒絶も関係項でなければならない.
4.2.1 (ある) 反対者は同一の対象に関係する
区分論証が過剰・過小産出の問題を生み出さないためには,渇きと飲酒恐怖が飲料という同一の対象に排他的に関係する必要がある.(反対の関係項がつねに同一対象に関係するとは限らない.例:〈より大きい〉と〈より小さい〉.)
ソクラテスは限定原理を次のように導入する:
ἀλλὰ μέντοι, ἦν δ᾽ ἐγώ, ὅσα γ᾽ ἐστὶ τοιαῦτα οἷα εἶναί του, τὰ μὲν ποιὰ ἄττα ποιοῦ τινός ἐστιν, ὡς ἐμοὶ δοκεῖ, τὰ δ᾽ αὐτὰ ἕκαστα αὐτοῦ ἑκάστου μόνον.
4.1 より精確に定式化すると:
- (限定 qualified) もし x と y が関係項-相関項の対であるなら,そのとき,(x' が限定された関係項である iff. y' が限定された関係項である).
- (非限定 unqualified) もし x と y が関係項-相関項の対であるなら,そのとき,(x' が非限定的関係項である iff. y' が非限定的関係項である).
例示は 438c6-d8 に見られる: 知識そのもの―学びそのもの (非限定) / 建築の知識―家の建築 (限定).
ここでソクラテスが示すべきは,特定の種類の関係項がその相関項とのみ関係することである.x' は x の一種である.(限定) より1 x' はそれ自体関係項である.x' は y' と関係し,排他性より y' のみと関係する.
ある関係項を限定的なものとすることも非限定的なものとすることもできる.例: 建築術は知識の一種だが,それ自体で捉え造壁術 (walling) と対比することもできる.
というわけで,諸関係項は諸相関項と排他的に関係する.反対の諸関係項が同一の相関項に排他的に関係するといえるだろうか.x とその反対 un-x がともに関係項である.このとき (限定) より種 x' と un-x' を特定の相関項 (y) との関係で特定できる.反対者の諸種は反対者なので x' と un-x' も反対者.このとき x' と un-x' は同一の相関項 y と関係することができ2,この場合は〔i.e., y との関係で x' と un-x' を特定した場合は〕現に関係している.
区分論証の実際の進み方はこの解釈を支持する.429b3-c8 では反対の衝動が弓術との類比で論じられる: 射手は弓を押すと同時に引く.このソクラテスの類比が意味をなすには,上述の考慮が入っていなければならない: 〈押すこと〉と〈引くこと〉の種である〈弓を押すこと〉と〈弓を引くこと〉が同一の対象のみに関わる必要がある.
(i) τὸ δὲ δὴ δίψος, ἦν δ᾽ ἐγώ, οὐ τούτων θήσεις τῶν τινὸς εἶναι τοῦτο ὅπερ ἐστίν; ἔστι δὲ δήπου δίψος — ἔγωγε, ἦ δ᾽ ὅς: πώματός γε.3 (ii) οὐκοῦν ποιοῦ μέν τινος πώματος ποιόν τι καὶ δίψος, (iii) δίψος δ᾽ οὖν αὐτὸ οὔτε πολλοῦ οὔτε ὀλίγου, οὔτε ἀγαθοῦ οὔτε κακοῦ, οὐδ᾽ ἑνὶ λόγῳ ποιοῦ τινος, ἀλλ᾽ αὐτοῦ πώματος μόνον αὐτὸ δίψος πέφυκεν;
続くこの一節では排他性と限定が協働している.(i) の τοῦτο ὅπερ ἐστίν は関係項の排他性を示唆し,(ii) は限定された渇きが限定された飲料とのみ関係すること,(iii) は非限定の渇きが非限定の飲料とのみ関係することを述べる.
したがって欲求と拒絶は関係項であり,反対の関係項は同一対象と関係しうる.
4.3 問題解決
反対原理は x が部分をもつ必要十分条件として (a) 同じものと (b) 同時に (c) 同じ観点から関係することを挙げていた.いまタンタロスが渇いており同時に飲酒恐怖にあるとしよう.このとき (a) は成り立つ――関係項の諸種は相関項によって同定され,この場合飲料によって同定されるからだ.(b) は仮定より成り立つ.(c) も成り立つ――渇きと飲酒恐怖はそれ自体として特定されたとき,その対象それ自体に関係する.したがって過小・過剰産出の問題は生じない.なお関係項の不完全解釈では排他性が保証されないため区分論証は失敗する.
4.4 不整合?
排他性・相互性・限定原理の組は不整合ではないかという懸念がある.もとより区分論証は相互性に訴えていないので,区分論証自体が不整合なわけではない.だが関係項の形式的特徴に訴えた論証である以上,相互性を排除するのは魅力的ではない.他方で,限定原理は区分論証にしか登場しないので,プラトンはむしろ限定原理を放棄するのではないかとも言いたくなる.
限定原理はそれ自体で問題含みでありうる.第一に関係項の限定の仕方が指定されていないという点できちんと定義されきっていない.第二に反例がありうる: 良い奴隷に対応する限定は主人にはない.
アリストテレスはそもそも関係項の諸種を関係項だと見なさないので (Cat. 11a20-33),限定原理を放棄している.だがプラトンは質と関係を区別しないので同じ考えは直ちには帰属できない.
Plt. 283e1-284a2 では不整合がいっそう表面化する.客人は〈より大きい〉と〈より小さい〉を相互的・排他的なものとして特徴づける.だが他方で,両者は〈尺度〉とも関連付けられる.これは排他性と整合しないし,客人もそれに気づいているように見える (284a1-3).
ではプラトンは排他性を斥けるのか? そうとも限らない.以上見た通り R. ではむしろ相互性に依拠しない議論になっている.また客人が非排他的関係性を導入するのは,排他的関係性が不整合だからではなく,たんに政治術の基礎にならないからにすぎない.
さしあたり次のように考えたい.〈より大きい〉はたんに両義的であって,〈より小さい〉とも尺度とも関連しうる.いずれにせよ中心にあるのは関係項が相関項との関係で構成されるという考えである.二つの異なる〈より大きい〉があるのであり,そこに矛盾はない4.
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別に (限定) からはこの主張は出てこない.以降の議論を見ても意図された内容はむしろ if (x and y are a relative-correlative pair) then (x' and y' are a relative-correlative pair) であるように思われる.↩
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相互性との整合性は 4.4 で言及される.↩
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原注82n35: テクストが壊れているかもしれない (Slings 2003).Duncombe はグラウコンの ἔγωγε をソクラテスの第一文の肯定,πώματός γε を第二文の補完と読む.↩
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これで万事解決ではない.かりに一義的に尺度と関係するほうの〈より大きい〉について考えるとして,依然〈尺度〉のほうに三つ組の不整合の問題は残る.↩