反転論証 『テアイテトス』169d-171d

Tht. 169d3-171d8.


ソクラテス では先ほどのこのことにまず取り組みましょう.すなわち,プロタゴラスが各人を思慮の点で自足的なものとしたために,私たちが立論を非難し,反感を抱いたのが正当であったか,それとも正当でなかったかを見ましょう.そして,プロタゴラスは私たちに対して,より優れた人と劣った人とに関して人々を区別すること,そしてその中には知者も存在することを認めたのです.そうではありませんか.

テオドロス ええ.

ソクラテス さて,かりに彼自身が臨席して同意しているのであり,私たちが助力し彼に代わって譲歩しているのでなければ,再び取り上げて確証する必要はまったくなかったでしょう.しかし実際はおそらく,私たちが彼に代わって同意する権限をもたないとする人もいるかもしれません.それゆえ,このこと自体については,極めて明瞭にしっかり同意されるほうがよいのです.というのも,そうであるか,そうでないかということが生み出す違いは,小さなものではないのですから.

テオドロス 仰るとおり.

ソクラテス では,他のことどもを通ってではなく,あの議論の中から,なるべく最短の道を通って同意を手に入れることにしませんか.

テオドロス どのようにしてですか.

ソクラテス 次のようにしてです.各人に思われることは,そう思われている人にとってありもすると,彼は主張しているのではないですか.

テオドロス むろんそう主張しています.

ソクラテス したがって,プロタゴラス,私たちも人間の,いな,全ての人間たちの考えを語ります.そして,次のように主張します−−ある場合には自分自身が他の人より知恵があると考え,別の場合には他の人が自分自身より知恵があると考えるということのない人は誰もいない.そしてこの上ない危険にいるとき,軍務のあいだや,病気をしている間,また海上にいるときに苦難に翻弄されている場合,ちょうど神々に接するように各々の場面で指導する人々に接します.彼らは加えて彼ら自身の救い主であると思いなされるのですが,彼らが異なるのは知っているという点をおいて他にないのです.そしておそらく,なべて人の世は,自分たち自身や他の動物や仕事についての教師と指導者を求める人々と,他方では教えるのに十分であったり,指導するのに十分であると思っている人々とに満ちているのです.そしてこれらすべての場合に,これらの人々自身が,彼らの世界のもとに,知恵と無知があると考えているのだというほか,私たちは何と主張するでしょうか.

テオドロス そうとしか言いません.

ソクラテス では彼らは,知恵とは真なる思考であると考え,他方で無知は偽なる思いだと考えるのではないですか.

テオドロス もちろん.

ソクラテス では,プロタゴラス,この論を私たちはどう扱いましょう.人間たちが思いなすことはつねに正しいと私たちは言いましょうか,それともあるときは真であり別のときは偽であると言いましょうか.それというのも,おそらくどちらからも,彼らはつねに真なることを考えているのではなく,むしろ〔真・偽の〕両方であるということが帰結するのです.というのも,テオドロス,プロタゴラスの一派の誰かにせよ,あなた自身にせよ,「他の誰も,他人を,無知である,つまり偽なることを思いなしていると考えていない」と,あえて主張しようと思うでしょうか.

テオドロス いや,そうは信じられません,ソクラテス

ソクラテス そして実際,万物の尺度は人間であると述べる言論は,まさにこのことへ至る必然性を有しています.

テオドロス 一体どのようにですか.

ソクラテス あなたが何かを自分のなかで判断し,何かについての考えを私に対して明らかにするとき,あなたにとってそれはプロタゴラスの論に基づいて真であるとしましょう.その一方で,他人である私たちは,あなたの判断について判断者となることができないのでしょうか,それとも私たちはいつでも,あなたが真なることを考えていると判断するのでしょうか.それとも無数の人々がそのつど,あなたが虚偽を判断しておりまた考えていると考え,反対の考えを抱いて,あなたに敵対するでしょうか.

テオドロス ゼウスに誓って,ソクラテスホメロスが言うには,確かに実に無数にいて,まさしくその人々が渡る世間の苦難を私にもたらすのです.

ソクラテス ではどうでしょう.「そのときあなたは,あなた自身にとっては真なること,無数の人々にとっては偽なることを思いなしているのだ」と,私たちが言うのをお望みですか.

テオドロス 論からすれば,それが必然だと思われます.

ソクラテス プロタゴラス自身にとってはどうでしょう.彼自身が「人間は尺度である」と考えていなかったのであり,多くの人々もそう考えていないなら−−多くの人々は実際そう考えていないのですが−−彼が著したこの「真理」は全くありはしないということが必然ではないでしょうか.その一方で,彼自身がそう思っているものの,衆人が一緒にそう考えていないなら,第一に,そう思う人々よりそう思わない人々の方がより多いというだけ,あるよりむしろいっそうありはしないのだということが,あなたに分かるのです.

テオドロス そうであることが必然です,考えの各々に即してありまたありはしないのである以上は.

ソクラテス 次いで次のことがもっとも精妙な論点です.彼の人は,自分自身の意見についての,反対のことを思いなす人々の考えが−−それによって彼の人は虚偽を考えていると彼らは考えるのですが−−おそらく真であることを認めるでしょう,誰もがあることどもを思いなしているのだと同意しているのですから.

テオドロス まさしく.

ソクラテス さて,彼自身の考えが虚偽であると認めているのではないでしょうか,彼が虚偽を考えていると考えている人々の考えが真であるということに同意しているのなら.

テオドロス そうであることが必然です.

ソクラテス 他の人々は彼ら自身が虚偽を考えていると認めないのではないですか.

テオドロス 認めませんとも.

ソクラテス 一方で彼は,彼が書いたことどもから,この考えが真であることも同意しています.

テオドロス そう思われます.

ソクラテス したがって,プロタゴラスに始まるあらゆる人々から争われるでしょう−−むしろ彼によって同意されるでしょう,反対のことどもを述べる人に対して彼が真なることを思いなしていると認めるときには.そのときプロタゴラス自身も,犬であれ,行き当たった人間であれ,学んでいないようなことについての尺度になりはしないということに同意するでしょう.そうではないですか.

テオドロス そうです.

ソクラテス したがって,万人に争われるのだから,プロタゴラスの「真理」は真ではありえないのです.誰か他人にとっても,彼にとっても.

テオドロス ソクラテス,私の友を,私たちはあまりに追い詰めてしまっています.

ソクラテス しかし友よ,私たちが正当なところを行き過ぎてもいるのかどうかは明らかではありませんよ.つまり少なくとも,彼の人は年上なのだから,私たちより知恵があるように思われます.そして,もし彼がすぐにそこから首のところまでせりだしてくるとすれば,馬鹿げたことを言う−−おそらくそうなのでしょうが−−私を論駁し,あなたに同意して,引っ込んで急いで立ち去ってゆくかもしれません.しかし私が思うに,私たちがどうであるにせよ,私たちは私たち自身を用いなければなりませんし,また思われることどもについては,つねにそれらを語らねばならないのです.そうだとすると,今も私たちは,誰であれ次のことには同意するのだと主張するのではないでしょうか.すなわち,ある人は他の人より賢く,またある人は他の人より無知であると.

テオドロス 私にはそう思われます.

要約

  • ソクラテスプロタゴラスに代わって知者とそうでない人とを区別することを認めた.だが,代弁が正当であるか定かでない.むしろプロタゴラス自身のテーゼから議論すべき.
  • 尺度説 (P): A に p と思われるなら,A にとって p である.
  • だが,すべての人々に次のように思われている: (X)「或る人々は他の人々より知恵があり,或る人々は他の人々より無知である」.
    • 小前提: 知恵 = 真なる思考,無知 = 偽なる思い.
    • 結論: 「或る人々は偽なることを思いなしている」とすべての人々が考えている.
  • テオドロスに p と思われ,(P) よりテオドロスにとって p である.しかし,他の多くの人々が,テオドロスが虚偽を判断していると考え,¬p だと考えることがある.このとき,多くの人々にとって ¬p である.
  • 同様に,(P) は多くの人々にとって偽である.
    • ゆえに第一に,(P) と思わない人々が多い分,(P) はいっそう偽である.
    • 第二に,
      • プロタゴラスは,(P) が虚偽だという人々の考えが真であると認める ((P) を支持するから.).このときプロタゴラスは (P) が虚偽であると認める.
      • 他の人々は,自分たちの信念が虚偽だとは認めない ((P) を支持しないから).プロタゴラスはこの考えも認める.
      • ゆえに,誰一人 (P) を支持しない.ゆえに (P) は偽.
  • プロタゴラス自身が蘇ったら異論を唱えるかもしれないが,私たち自身で思われるところを語るしかない.また (X) は確保される.

先行研究

Burnyeat 1990 の解釈は Burnyeat 1976 と大筋で同じ.Chappell 2005 は Chappell 2006 を見てから目を通したい.

Cornford:

  • もともとの異論は「全ての判断が当人に真なら,ある人が別の人より賢いということがなぜ可能なのか」というものだった (161d).
    • プロタゴラスは弁明のなかで (X) を譲歩しており,この点で彼の立場は弱まっている.ソクラテスはここで,尺度説からこのステップを形式的に導き直す.
      • 議論はうまくいっており,最後の言葉はプロタゴラスに反論の余地があるという示唆ではない.
      • だが ad hominem な論証にすぎず問題が解決されているわけではない (次章以降).

McDowell:

  • 議論は5部構成で理解できる.
    1. 170a3-4. (P) の定式化.「思われる」と判断の同一視は a6-7 でなされる.
    2. 170a6-c1. (Q)「すべての人がある信念は偽だと信じている」.
    3. 170c2-d2. (P) についてありうる見解は,それが (i) 真である,(ii) 偽である,のいずれか.(ii) の場合 (P) は偽.(i) でも (Q) より (P) は偽.
    4. 170d3-e6. なぜなら (P) の含意として,あらゆる係争中の命題は,真だと判断する人にとって真,偽だと判断する人にとって偽だから.
    5. 170e7-171c7. (Q) の前提のもとでこの含意が (P) に適用される.
      • (i) (Q) が誰にとっても真なら,誰にとっても (P) は真でない.
      • (ii) (Q) がプロタゴラスにとってのみ真なら,
        • 第一に,多数派は (P) が偽だと信じているので,それだけいっそう (P) は真理でない.
        • 第二に,4 より,プロタゴラスは (P) が偽だと譲歩しなければならない (論敵にとって; ただしこの留保は省かれている).また論敵の判断は真だと譲歩しなければならない (論敵にとって; 同じくこの留保は省かれている).ゆえに (P) はプロタゴラスにとって偽である.
  • (5) (ii) の第一の論点は「端的に真」という概念を密輸入しており疑わしい.
  • この議論は (P) から導かれているので,自己論駁を含んでいるとするのが理にかなっている.ただし (Q) が必要なことに注意.
  • 主な結論も修飾句を省いている点で疑わしい.「x にとって (y にとって p が偽) なら,x にとって p は偽」という原理をプロタゴラスに不当に帰属している.
  • とはいえプロタゴラスの議論を弱めはする:
    1. 「(P) はあなたにとって正しくなくとも,私にとって正しいのだ」とプロタゴラスが言うだけでは私たちに興味を呼び起こさない.端的に真だという主張だったから興味深かっただけである.
    2. (P) の精神に基づき「ひとはたんに自身の判断の真理のみならず,当の判断がいかなる判断であるかについても権威がある」と考えるなら,「(P) が端的に偽である」という論敵の主張にプロタゴラスが譲歩するとき,「端的な真理」の概念を有意味と見なす必要が生じる.加えてまた,「端的な真理」の概念に訴えずして,自分と論敵が同じ言語を扱い相互に理解しているという想定は正当化されない.
  • 171c8-d3: プラトンが議論に満足していないことの示唆かもしれない.
  • 171d5-7: 本箇所の結論の一ヴァージョンとみなせる.