四原因論と ἀρχή 概念による中核依存性の明確化 Shields (1999) Order in Multiplicity, Ch.4
- Christopher Shields (1999) Order in Multiplicity: Homonymy in the Philosophy of Aristotle. Oxford: Oxford University Press.
- Chap.4. Core-Dependent Homonymy. 103-127.
4.1 多様性における統一性
ここまでアリストテレスによる非一義性を確立する枠組みを見てきた.本章では中核依存性を確立する枠組みを見る.
4.2 中核依存的同名異義性: 最初の近似
同名異義性のうちに哲学的に興味深い体系的連関を示すものはあるか.アリストテレスがよく引き合いに出す「健康」は相対的に異論の余地のない CDH の例だが,直ちに反プラトン的含みのある例ではない.CDH が哲学的に役立つことを言うのはより難しい.
とはいえ健康の例の意義を確かめておくのは大事だ.様々な「健康な」ものの例は一つの原理に関連しており,それゆえ健康の基本的な意味・例がある (おそらく「健康な人」がそれに当たる).
CDH は少なくとも以下を満たす:
- CDH1: x と y が中核依存的な仕方で同名異義的である iff. (i) 名前が共通で,(ii) 定義が完全にはかぶっておらず,しかし (iii) それらを定義するものを (something definitional) 共通に持つ.
健康の例からは (iii) をもう少し特定できる:
- CDH2: x と y が中核依存的な仕方で同名異義的である iff. (i) 名前が共通で,(ii) 定義が完全にはかぶっておらず,(iii) それらが関係する単一の源泉 (single source; μία ἀρχή) がある.
だが,これだけでは,どういう関係が必要かも,どういうものが中核になるのかも規定されていない:
第一に,真正の CDH の条件はどういうものか.「健康な養生法」と「健康な食事」の「健康」は〔中核依存的に〕同名異義的だとして,'healthy salary' と 'healthy appetite' はどうか.何らかの人工的な関係 (dummy relation) を構築することはできるかもしれないが,それだけでは CDH に十分ではないはずだ.CDH2 だけでは無価値な関係を排除できない.
第二に,CDH2 は中核的概念になるのが何かも特定していない.「健康な人間」の説明規定が他の特徴を参照すべきでないと言えるためには,それを裏書きする優先性理解が必要である.
そういうわけで,CDH の内実をはっきりさせるためには,(iii) を敷衍する必要がある.以下では二段階で分析する.第一に怪しい関係を排除する基準を論じ,第二に定義的に第一であることを捉えるのに適した優先性について詳論する.
4.3 連合関係: 適切性の諸制約
CDH をなす関係にはどういう制限があるのか.CDH2 (iii) は関係が何らか定義的であることを示唆する.
アリストテレスは DH の離接性を FD から導いている〔cf. 1章〕.FD からは CDH は機能によって特定された同一のクラス (same functionally specified class) に属しえないことが言える.
また意味表示の観点からも,様々な「健康である」は同一の意味を意味表示できないと言える.
したがって必要なのは,以下を満たす非対称的関係 である.
- 必然的に,もし (i) a が F かつ b が F であり,かつ (ii) F 性はこれらの適用において連合的に同名異義的であり,かつ (iii) a が F 性の中核的実例なら,b が F なことは a が F なことと R 関係に立つ.
4.4 カエターヌスの提案
もちろん R は中核的実例の説明的優先性を捉えたものでなければならない.そこで枢機卿カエターヌスは四原因図式からこれを特定した.彼の考えは本質的には正しい.以下のように四原因上の中核の首位性 (four-causal core primacy) という点で R を特定できる:
- FCCP: 必然的に,もし (i) a が F かつ b が F であり,かつ (ii) F 性はこれらの適用において連合的に同名異義的であり,かつ (iii) a が F 性の中核的実例なら,b が F なことは a が F なことと四原因関係のどれかに立つ.
以下では,(1) これがアリストテレスの例解から自然に出てくる解釈であることを示し,(2) 見かけ上の問題を解消し,(3) FCCP が R の制約を満たすことを示す.
アリストテレスによれば,何かが健康と呼ばれるのは τῷ φυλάττειν / τῷ ποιεῖν / τῷ σημεῖον εἶναι τῆς ὑγιείας / ὅτι δεκτικὸν αὐτῆς である (1003a35-b1).同様に,何かが医術的なのは τῷ ἔχειν / τῷ εὐφυὲς εἶναι πρὸς αὐτὴν / τῷ ἔργον εἶναι τῆς ἰατρικῆς である (1003b1-3).これらはどれも四原因関係である.ἔργον (目的因) や ποιεῖν (始動因) などは見やすい.
だが σημεῖον や φυλάττειν はどうか.まず,因果の向きを FCCP は指定していない1: 養生法が健康なのはソクラテスの健康の始動因になるからで,その逆ではない.ゆえに φυλάττειν は始動因の例とみなせる (別に φυλάττειν するものが健康の十分条件になる必要はない).σημεῖον の場合は逆に中核が始動因になる (同様に十分条件である必要はない).
質料因については δεκτικόν がその例になりそうだ.血が健康なのは質料因になるからだ.なお血は同時に σημεῖον であってもよい (したがって複数種類の原因によって中核から派生しうる).
さて,形相因はここまで出てきていない.そして一見して形相因は CDH の基礎にならないようにも思われる.a と b がともに F で,両者の F が同名異義的なら,そこに形相因関係はありえない,つまり形相因が成り立つのは同名同義的な場合に限るとも思われる.ある領域が学問的探究を容れるとき,同名同義性は学知 (science) の十分条件であり,CDH は学問的探究 (scientific investigation) の十分条件であり,DH は学問的統一性の欠如の十分条件だと言えそうである.そうだとすると R への制約となるだろう: R は外在的呼称 (extrinsic denomination) 関係に基づくものでなければならない (一方の関係項が F と呼ばれるのは F 性を内在的に実現するからではない).すると本当は FCCP ではなく三原因だということになるのだろうか.
実はそうではない.形相因が一義性の十分条件だという前提が誤っているからだ.対象の赤さの形相が知覚の形相因になるとき (An. 424a18-24, 424a32-b3, 425b23, 431b28-432a2),感覚器官が赤くなるわけではない (実例とならずにエンコードする) (↔ Sorabji 1971; 1974).なので,形相因の実例が全て同名同義的述定の実例であるわけではない.
とはいえ,異論の余地のない実例を作るのは難しい.例えばアリストテレスが感覚主体と感覚対象が同名異義的に F だと明言しているわけでもない.また善や「ある」では非一義的かどうかが問題になるので,こうした例は使えない.もしかすると τῷ εὐφυὲς εἶναι πρὸς αὐτὴν はこうした形相因関係を念頭に置いたものかもしれない.
以上の FCCP の擁護を通じて (1) (2) が済んだ.次いでこれを CDH 説に組み込むことにする:
- CDH3: a と b が中核依存的な仕方で同名異義的である iff. (i) 名前が共通で,(ii) 定義が完全にはかぶっておらず,(iii) 必然的に,a が F 性の中核的実例なら,b が F であることは a が F であることと四原因関係のどれかに立つ.
これによって R は十分に規定され (determinate) かつ開かれた (open-textured) ものになる.まず四原因関係に絞ることで無価値な関係は排除される.かつ同時に,事例ごとに根拠を挙げて新たな派生的関係を見て取ることもできるようになる.
だが CDH3 には他に問題があるように見えるかもしれない.プラクシテレスが人物像を造った場合,両者は CDH3 に「人間」ではないか.−−だが,プラクシテレスが人間であることは (付帯的にでなければ) 像が人間であることの原因ではない2.不耐性は無再現・無数にある (Phys. 196b23-9).原因が内在的原因なのは,出来事の属性間に特定の (分析的,または法則的) つながりがある場合に限る.
残る問題は非対称性の説明である.
4.5 定義上の優先性
因果の向きからは中核と派生的実例の非対称性は説明できない.中核の優先性は一種の定義上の優先性だと思われる: ある F が派生的 CDHs である iff. (i) F 性の中核的実例があり,(ii) その F の説明規定が当の中核的実例を本質的に参照しており,(ii) その逆の参照はない.
Cat. 12 では優先性の種類として (i) 時間的優先性,(ii) 存在含意の優先性,(iii) 順序の優先性,(iv) 価値の優先性,(v)「(ii) の意味では相互的だが何らか本性上優先する」 優先性 (一方の実在が他方の実在の原因になる (responsible) かどうか),の5つを挙げている.CDH に関連する非対称性といえるのは (ii) と (v) である.どちらなのかは,部分的には,中核的実例の存在が非中核的実例の存在を (必要とするだけでなく) 含意するかによる.「健康」の例を考えると含意しそうだ.そこで:
- CDH4: a と b が中核依存的な仕方で同名異義的である iff. (i) 名前が共通で,(ii) 定義が完全にはかぶっておらず,(iii) 必然的に,a が F 性の中核的実例なら,b が F であることは a が F であることと四原因関係のどれかに立ち,(iv) a が F であることは b が F であることの実在 (the existence of b's being F) の非対称的な原因となる.
これが優先性の形式として他の形式に還元できないプリミティヴなものである.中核的実例を ἀρχαί と呼んだときにアリストテレスはこれを意図したのかもしれない.直接関係しそうなのは Met. Δ1 の ὅθεν γνωστὸν τὸ πρᾶγμα πρῶτον (1013a14-15) であり,そこでは論証の前提が例とされている.CDH の中核もこれと同様に意味論的・形而上学的に上位に位置する.そうだとすると,CDH の非対称性はプリミティヴで還元不可能だが,類例との比較によって解明できるようなものだと言える.
4.6 結論
以上で中核依存性の枠組みが得られた.本書第二部では論争的事例への適用を見ていく.