『ソフィスト』243c-244b 〈あるもの〉を論点とする多元論者批判

Sph. 243c-244b.


客人 では,この多くのことどもについてはこの後に考察しよう,君がよいと思うなら.最大であり主導的な第一の事柄について,今は考察しなければならない.

テアイテトス 何のことを仰っているのですか.〈あるもの〉を,それを語る人々が一体何を明らかにしていると思っているのかを,第一に考究しなければならないと,明らかにあなたは述べておられるのでしょうね.

客人 テアイテトスよ,すぐに理解してくれた.まさしく,私たちはそのように探究をなす必要があると,私は述べているのだからね.すなわち,彼らが目の前にいて,次のように問い進めながら.「さあ,万物は熱と冷,あるいはそうした二つのものであると主張される全ての方々よ,それでは,「両方が,また各々がある」と仰るとき,あなた方は両方についてこれを一体どう言い表しているのでしょうか.私たちはこの「ある」をどうあなた方から受け取りましょうか.かの二つのものに並ぶ第三のものであり,万物は三つであって,もはや二つではないと,あなた方について,私たちは措定しましょうか.というのも,まさにその二つのうちの一方があるとき,両方が同様にあるのだと仰りはしないでしょう.おそらくどちらの場合にも一つであり,二つではないでしょうから.」

テアイテトス 仰ることはその通りです.

客人 「しかしでは,両方をあるものと呼ぶつもりですか」.

テアイテトス おそらく.

客人 「しかし,慕わしき人々よ」と私たちは言おう,「そのようにしても,二者が一つであると言うだろうことは明らかです」.

‌テアイテトス 仰ったことは全く正当です.

客人 「それでは,私たちは困難に陥っているのですから,あなた方はこれらを私たちに十分に明らかにしてください––あなた方が「あるもの」と言い表すときに,一体何を意味しようとしているのかを.というのも,明らかに,あなた方はこれらのことを昔から知っておられるのに対して,私たちは以前には〔知っていると〕考えていましたが,現在は困難に陥っているのですから.なので,まずこのこと自体を私たちに教えてください,あなた方から語られたことどもを知っていると私たちが思いなしながら,全てがそれと正反対にならないように」.これらのことを語り,またこれらの人々や,その他全ての,万物が一つより多いと述べている人々に要求するとき,君,私たちは何か間違ったことをしていないだろうね.

テアイテトス 全くそんなことはありません.

Ξένος τῶν μὲν τοίνυν πολλῶν πέρι καὶ μετὰ τοῦτο σκεψόμεθ᾽, ἂν δόξῃ, περὶ δὲ τοῦ μεγίστου τε καὶ ἀρχηγοῦ πρώτου νῦν σκεπτέον.

Θεαίτητος τίνος δὴ λέγεις; ἢ δῆλον ὅτι τὸ ὂν φῂς πρῶτον δεῖν διερευνήσασθαι τί ποθ᾽ οἱ λέγοντες αὐτὸ δηλοῦν ἡγοῦνται;

Ξένος κατὰ πόδα γε, ὦ Θεαίτητε, ὑπέλαβες. λέγω γὰρ δὴ ταύτῃ δεῖν ποιεῖσθαι τὴν μέθοδον ἡμᾶς, οἷον αὐτῶν παρόντων ἀναπυνθανομένους ὧδε: "φέρε, ὁπόσοι θερμὸν καὶ ψυχρὸν ἤ τινε δύο τοιούτω τὰ πάντ᾽ εἶναί φατε, τί ποτε ἄρα τοῦτ᾽ ἐπ᾽ ἀμφοῖν φθέγγεσθε, λέγοντες ἄμφω καὶ ἑκάτερον εἶναι; τί τὸ "εἶναι" τοῦτο ὑπολάβωμεν ὑμῶν; πότερον τρίτον παρὰ τὰ δύο ἐκεῖνα, καὶ τρία τὸ πᾶν ἀλλὰ μὴ δύο ἔτι καθ᾽ ὑμᾶς τιθῶμεν; οὐ γάρ που τοῖν γε δυοῖν καλοῦντες θάτερον ὂν ἀμφότερα ὁμοίως εἶναι λέγετε: σχεδὸν γὰρ ἂν ἀμφοτέρως ἕν, ἀλλ᾽ οὐ δύο εἴτην."

Θεαίτητος ἀληθῆ λέγεις.

Ξένος "ἀλλ᾽ ἆρά γε τὰ ἄμφω βούλεσθε καλεῖν ὄν;"

Θεαίτητος ἴσως.

Ξένος "ἀλλ᾽, ὦ φίλοι," φήσομεν, "κἂν οὕτω τὰ δύο λέγοιτ᾽ ἂν σαφέστατα ἕν."

Θεαίτητος ὀρθότατα εἴρηκας.

Ξένος "ἐπειδὴ τοίνυν ἡμεῖς ἠπορήκαμεν, ὑμεῖς αὐτὰ ἡμῖν ἐμφανίζετε ἱκανῶς, τί ποτε βούλεσθε σημαίνειν ὁπόταν ὂν φθέγγησθε. δῆλον γὰρ ὡς ὑμεῖς μὲν ταῦτα πάλαι γιγνώσκετε, ἡμεῖς δὲ πρὸ τοῦ μὲν ᾠόμεθα, νῦν δ᾽ ἠπορήκαμεν. διδάσκετε οὖν πρῶτον τοῦτ᾽ αὐτὸ ἡμᾶς, ἵνα μὴ δοξάζωμεν μανθάνειν μὲν τὰ λεγόμενα παρ᾽ ὑμῶν, τὸ δὲ τούτου γίγνηται πᾶν τοὐναντίον." ταῦτα δὴ λέγοντές τε καὶ ἀξιοῦντες παρά τε τούτων καὶ παρὰ τῶν ἄλλων ὅσοι πλεῖον ἑνὸς λέγουσι τὸ πᾶν εἶναι, μῶν, ὦ παῖ, τὶ πλημμελήσομεν;

Θεαίτητος ἥκιστά γε.

要約

二元論者に対する批判が展開される: (1)「ある」が二項とは別個にあるなら,それが第三項になってしまう.(2) 一方のみが「ある」のなら,一つしかありはしなくなってしまう.(3) 両方が「あるもの」と同じなら,やはり一つしかありはしなくなってしまう.

先行研究

  • θερμὸν καὶ ψυχρὸν は basic hot stuff / basic cold stuff か the kind of heat or the kind of coldness か.歴史的には前者の方が尤もらしいにせよ,ここの議論と静と動に関する後の議論との並行性に鑑みれば,後者の方が文脈に沿う (Crivelli).
  • 多元論者はなぜ「熱と冷しかない」という反直観的な議論ができるのか.案1: ここで to be は to be real のような強い意味で用いられている.案2: あるものは生成消滅しないというパルメニデス的前提を引き継いでいる.いずれにせよ日常経験的なものが beings たりえない以上 a being であることは瑣末な事柄ではない.一方 being は種である限りで熱や冷と同じ地位にあり,それゆえ a being の地位を持ちうる (Crivelli).