『ソフィスト』240c-241b ソフィスト術の定義に含まれる「虚偽の考え」の不可能性

Sph. 240c3-241b3.


客人 もちろん奇妙だ.ともかく今もこの絡み合いを通じて,多頭のソフィストが私達に,〈ありはしないもの〉が何らかの仕方であるということに,渋々ながらに同意することを,私たちに強いてしまったということを,君は見ているのだ.

テアイテトス 見ています,それも大いに.

客人 それではどうだろう.彼の技術を何であると規定すれば,私たち自身と一致することができるだろうか.

テアイテトス なぜ,またどのようなことを恐れて,そのように仰るのですか.

客人 彼は見かけの姿ファンタスマをめぐって過ちを犯させるのであり,彼の技術は何らか過たせる技術であると私たちが主張するとき,私たちの魂は彼の技術によって虚偽を思いなすのだと私たちは主張するのだろうか,あるいはどう言うだろうか.

テアイテトス そう言います.私たちは他にどう言えるでしょうか.

客人 虚偽の考えは,〈あるもの〉どもとは反対のことを思いなすのだろう.それともどうだろうか.

テアイテトス そう,反対のことを思いなすのです.

客人 他方,虚偽の考えは〈ありはしないもの〉どもを思いなすと君は言うだろうか.

テアイテトス そう言うことが必然的です.

客人 〈ありはしないもの〉どもはありはしないと思いなすのだろうか,それとも〈全くありはしないもの〉どもが何らかの仕方であると思いなすのだろうか.

テアイテトス 何らかの仕方で〈ありはしないもの〉どもがあるのでなければなりません,ひとが何か少しでも虚偽を述べるだろう限りは.

客人 だがどうだろう,〈完全にあるもの〉どもが,全くありはしないと思いなされもするのではないか.

テアイテトス ええ.

客人 そしてそれも虚偽ではないか.

テアイテトス それも虚偽です.

客人 思うに,同じ仕方でこのように,〈あるもの〉どもをありはしないと語り,また〈ありはしないもの〉をあると語るときに,言論は虚偽であると見なされるだろう.

テアイテトス どうして別の仕方でそのようになることがありうるでしょうか.

客人 おそらくは決してない.しかし,ソフィストはこうしたことを言わないだろう.これより前に同意されたことどもが予め認められている場合,一体どうして,思慮ある人々の誰かが同意するだろうか.彼が言うことが私たちに分からないだろうか.

テアイテトス どうして分からないことがあるでしょう――「考えのうちに,また言論に即して,虚偽はあるのだとあえて語ったとき,つい先程と反対のことを私たちは語っていたのだ.というのも,〈ありはしないもの〉に〈あるもの〉を付け加えることを私たちは何度も強いられているが,つい先ほどこれがあらゆることの中で最も不可能なことであると同意されていたのだから」と彼が主張するだろうということが.

Ξένος πῶς γὰρ οὐκ ἄτοπον; ὁρᾷς γοῦν ὅτι καὶ νῦν διὰ τῆς ἐπαλλάξεως ταύτης ὁ πολυκέφαλος σοφιστὴς ἠνάγκακεν ἡμᾶς τὸ μὴ ὂν οὐχ ἑκόντας ὁμολογεῖν εἶναί πως.

Θεαίτητος ὁρῶ καὶ μάλα.

Ξένος τί δὲ δή; τὴν τέχνην αὐτοῦ τίνα ἀφορίσαντες ἡμῖν αὐτοῖς συμφωνεῖν οἷοί τε ἐσόμεθα;

Θεαίτητος πῇ καὶ τὸ ποῖόν τι φοβούμενος οὕτω λέγεις;

Ξένος ὅταν περὶ τὸ φάντασμα αὐτὸν ἀπατᾶν φῶμεν καὶ τὴν τέχνην εἶναί τινα ἀπατητικὴν αὐτοῦ, τότε πότερον ψευδῆ δοξάζειν τὴν ψυχὴν ἡμῶν φήσομεν ὑπὸ τῆς ἐκείνου τέχνης, ἢ τί ποτ᾽ ἐροῦμεν;

Θεαίτητος τοῦτο: τί γὰρ ἂν ἄλλο εἴπαιμεν;

Ξένος ψευδὴς δ᾽ αὖ δόξα ἔσται τἀναντία τοῖς οὖσι δοξάζουσα, ἢ πῶς;

Θεαίτητος οὕτως: τἀναντία.

Ξένος λέγεις ἄρα τὰ μὴ ὄντα δοξάζειν τὴν ψευδῆ δόξαν;

Θεαίτητος ἀνάγκη.

Ξένος πότερον μὴ εἶναι τὰ μὴ ὄντα δοξάζουσαν, ἤ πως εἶναι τὰ μηδαμῶς ὄντα;

Θεαίτητος εἶναί πως τὰ μὴ ὄντα δεῖ γε, εἴπερ ψεύσεταί ποτέ τίς τι καὶ κατὰ βραχύ.

Ξένος τί δ᾽; οὐ καὶ μηδαμῶς εἶναι τὰ πάντως ὄντα δοξάζεται;

Θεαίτητος ναί.

Ξένος καὶ τοῦτο δὴ ψεῦδος;

Θεαίτητος καὶ τοῦτο.

Ξένος καὶ λόγος οἶμαι ψευδὴς οὕτω κατὰ ταὐτὰ νομισθήσεται τά τε ὄντα λέγων μὴ εἶναι καὶ τὰ μὴ ὄντα εἶναι.

Θεαίτητος πῶς γὰρ ἂν ἄλλως τοιοῦτος γένοιτο;

Ξένος σχεδὸν οὐδαμῶς: ἀλλὰ ταῦτα ὁ σοφιστὴς οὐ φήσει. ἢ τίς μηχανὴ συγχωρεῖν τινα τῶν εὖ φρονούντων, ὅταν ἄφθεγκτα καὶ ἄρρητα καὶ ἄλογα καὶ ἀδιανόητα προσδιωμολογημένα ᾖ τὰ πρὸ τούτων ὁμολογηθέντα; μανθάνομεν, ὦ Θεαίτητε, ἃ λέγει;

Θεαίτητος πῶς γὰρ οὐ μανθάνομεν ὅτι τἀναντία φήσει λέγειν ἡμᾶς τοῖς νυνδή, ψευδῆ τολμήσαντας εἰπεῖν ὡς ἔστιν [241β] ἐν δόξαις τε καὶ κατὰ λόγους; τῷ γὰρ μὴ ὄντι τὸ ὂν προσάπτειν ἡμᾶς πολλάκις ἀναγκάζεσθαι, διομολογησαμένους νυνδὴ τοῦτο εἶναι πάντων ἀδυνατώτατον.

要約

ソフィスト術とは,私たちの魂に虚偽を思いなさせるものである.そして,虚偽を思いなすとは,〈ありはしないもの〉どもをあると思いなす,あるいは〈あるもの〉どもをありはしないと思いなすことである.しかるに,〈ありはしないもの〉どもに「ある」を付け加えることはできないと以前に認められていた (とソフィストは言うだろう).(したがって,虚偽の考えも,それに言及する上述のソフィスト術の定義も,成り立たない.)

先行研究

いま検討できていないが,この箇所に関してはテクストの読みを含めて Crivelli が拘って議論している (p.53-70).