『ソフィスト』237b-e 〈あらぬ〉のパズルの第一の議論
Sph. 237b7-e7. テクストは新OCT.
[237b7] 客人 いや,そうしなくてはならない.では,私に言ってくれ.「いかなる仕方でもありはしない」ということを,私たちは敢えて言い表すだろうか.
テアイテトス もちろん.
客人 この名辞,すなわち「ありはしないもの」がどこに適用されるべきかを,聴従する人々の誰かに対して,諍いのためでも戯れのためでもなく,真面目に省察して答えなければならないとすれば,私たちはどう考えるだろうか.何へと,すなわちどのようなものについて,みずから使用し,かつ尋ねる人に示すべきだろうか.
テアイテトス 難しいことをお尋ねですね.私のような者には全く手に負えないと言っていいくらいです.
客人 しかし少なくとも,このことは明らかではないか.つまり,あるものどもの何かに「あらぬもの」を適用すべきではないということは.
テアイテトス もちろん.
客人 では,あるものに適用すべきでないなら,「何か」に適用するときに,正しく適用することもできないだろう.
テアイテトス なぜですか.
客人 次のことも我々には明らかだろう.つまり,「何か」というこの名辞をも,そのつど〈あるもの〉に関して,我々は語るのだ.というのも,裸で,全ての〈あるもの〉どもから孤立したものとして,これだけを語ることは不可能だからだ.そうではないか.
テアイテトス 不可能です.
客人 君が同意するのは,「何かを語る人は,何か一つのものについて語るのが必然的だ」という仕方で考えてのことではないか.
テアイテトス そうです.
客人 というのも,事実,「あるもの」は一つのもののしるしであり,「あるものとあるもの」は二つのものの,「あるものども」は多くのもののしるしであると,君は言うだろう.
テアイテトス もちろん.
客人 〈あるもの〉を語らない人は,全く何も語らないのだということは,ごく必然的であるようだ.
テアイテトス ええ,ごく必然的です.
客人 では,次のことさえ認めるべきではないのではないか.すなわち,そうした人が語ってはいるが,しかし〈あらぬもの〉を語っている,ということを.むしろ,「ありはしないもの」を言い表そうと試みるような人は,語ってさえいないと主張すべきではないか.
テアイテトス 言論は行き詰まりのまさしく終極に達したかもしれません.
Ξένος ἀλλὰ χρὴ δρᾶν ταῦτα. καί μοι λέγε: τὸ μηδαμῶς ὂν τολμῶμέν που φθέγγεσθαι;
Θεαίτητος πῶς γὰρ οὔ;
Ξένος μὴ τοίνυν ἔριδος ἕνεκα μηδὲ παιδιᾶς, ἀλλ᾽ εἰ σπουδῇ δέοι συννοήσαντά τινα ἀποκρίνασθαι τῶν ἀκροατῶν ποῖ χρὴ τοὔνομ᾽ ἐπιφέρειν τοῦτο, τὸ μὴ ὄν, τί δοκοῦμεν ἂν; εἰς τί καὶ ἐπὶ ποῖον αὐτόν τε καταχρήσασθαι καὶ τῷ πυνθανομένῳ δεικνύναι;
Θεαίτητος χαλεπὸν ἤρου καὶ σχεδὸν εἰπεῖν οἵῳ γε ἐμοὶ παντάπασιν ἄπορον.
Ξένος ἀλλ᾽ οὖν τοῦτό γε δῆλον, ὅτι τῶν ὄντων ἐπί τι τὸ μὴ ὂν οὐκ οἰστέον.
Θεαίτητος πῶς γὰρ ἄν;
Ξένος οὐκοῦν ἐπείπερ οὐκ ἐπὶ τὸ ὄν, οὐδ᾽ ἐπὶ τὸ τὶ φέρων ὀρθῶς ἄν τις φέροι.
Θεαίτητος πῶς δή;
Ξένος καὶ τοῦτο ἡμῖν που φανερόν, ὡς καὶ τὸ ‘τὶ’ τοῦτο ῥῆμα ἐπ᾽ ὄντι λέγομεν ἑκάστοτε: μόνον γὰρ αὐτὸ λέγειν, ὥσπερ γυμνὸν καὶ ἀπηρημωμένον ἀπὸ τῶν ὄντων ἁπάντων, ἀδύνατον: ἦ γάρ;
Θεαίτητος ἀδύνατον.
Ξένος ἆρα τῇδε σκοπῶν σύμφης, ὡς ἀνάγκη τόν τι λέγοντα ἕν γέ τι λέγειν;
Θεαίτητος οὕτως.
Ξένος ἑνὸς γὰρ δὴ τό γε ‘τὶ’ φήσεις σημεῖον εἶναι, τὸ δὲ ‘τινὲ’ δυοῖν, τὸ δὲ ‘τινὲς’ πολλῶν.
Θεαίτητος πῶς γὰρ οὔ;
Ξένος τὸν δὲ δὴ μὴ τὶ λέγοντα ἀναγκαιότατον, ὡς ἔοικε, παντάπασι μηδὲν λέγειν.
Θεαίτητος ἀναγκαιότατον μὲν οὖν.
Ξένος ἆρ᾽ οὖν οὐδὲ τοῦτο συγχωρητέον, τὸ τὸν τοιοῦτον λέγειν μέν τι, λέγειν μέντοι μηδέν, ἀλλ᾽ οὐδὲ λέγειν φατέον, ὅς γ᾽ ἂν ἐπιχειρῇ μὴ ὂν φθέγγεσθαι;
Θεαίτητος τέλος γοῦν ἂν ἀπορίας ὁ λόγος ἔχοι.
先行研究
Campbell:
- (237b10-c4 の客人の台詞の句読法がやや異なる.)
- καὶ τοῦτο ἡμῖν που φανερόν: 直前の τοῦτό γε δῆλον への付加.
Crivelli:
- φθέγγεσθαι には三つの用法がある: (1) to utter (a linguistic expression), (2) to express (a conceptual content) by (a linguistic expression), (3) to say (a propositional content).
- ここでの用法は (1) ではない: 第一に,〈ありはしないもの〉を発話する人が発話行為に失敗するという議論にはなってない.第二に,φθέγγεσθαι に関する続く議論 (238a-c) も言語表現に関する議論ではない.第三に,真に utterance が問題だったなら,議論の初めと終わりで言語表現が変わっているのは洗練されていない.
- したがってむしろ (3) を採る.
- 議論のステップ:
- 〈ありはしないもの〉を言い表すことがある.
- 「ありはしない」はあるものに適用できない (∵ 一般に "Not A" は A に適用できない).
- 「ありはしない」は「何か」(として指しうるもの) に適用できない.
- 表現「何か」は〈あるもの〉にしか使えない (3. の正当化).
- 「何か」と発話する人は,少なくとも一つの何かを発話しているというコミットメントを行っている.また,「何か」は (単数形だから) 一つのもののしるしである.
- 何かを言わない人は,何も言わない.
- 何も言わない人は,言うという言語行為ができていない (直感的な前提).
- 〈ありはしないもの〉を言い表す人は,言うことができていない.
- Wiggins (1971) は議論が 'saying something' の二義性に依拠していると批判する: saying の文脈が透明な場合と不透明な場合.だが,もっぱら後者の意味である (言語行為は何かに向けられている) と理解すれば,推論は(この点に関しては) 妥当なものになる.