『メタフュシカ』Γ7 排中律の擁護

Met. Γ7.

[1011b23] ところで実際,矛盾言明の間にも何一つあってはならず,むしろ何であれ一つのことを一つのものに関して言明するか,あるいは否定を言明することが必然である.第一に,定義する人々にとって,真なことと偽なことが何であるかは明らかである.というのも,あることをありはしないと言い,あるいはこの〔ありはしないという〕ことがあると言うのは偽であり,一方で,あることをあると言い,ありはしないことをありはしないと言うのは真であって,したがってあると言う人も,真なることを言っているか,偽なることを言っているかであろう.しかし〔何かが間にあるなら〕,あることをある,ないしは,ありはしないと言うのでもなく,かつ,ありはしないことをある,ないしは,ありはしないと言うのでもないのだ.

[1011b29] さらに,矛盾言明の間にあるのは,ちょうど灰色のものが黒いものと白いものの間にあるようにか,あるいは人間と馬の間にどちらでもないものがあるようにか,であろう.さて,もし後者の仕方であるなら,変化することはできないが (というのも,善くないものから善いものに,または善いものから善くないものに変化するのだから),実際はつねに〔変化するものと〕現れている.というのも,変化があるのは,対立するものどもと,中間のものへに他ならないから.もし中間のものがあるのなら,またそのように何か白いものが白くないものから生じうるが,実際には見られない.

[1012a2] さらに,真なることを述べるか,偽なることを述べるとき,全ての思考されるものと知性認識されるものを,思考は肯定的に言明するか否定を言明するかである (このことは定義から明らかである).思考が言明しないしは否定を言明する際に特定の仕方で結合するとき,真なることを言うのであり,特定の仕方で結合するとき,偽なることを言うのである.

[1012a5] さらに,論のために述べられているのでなければ,全ての矛盾言明を越えていなければならない.したがって誰かは真なることを言っておらず,かつ真なることを言っていないわけでもないし,またあるものとありはしないものとを越えているだろうから,したがって生成と消滅を越えた何らかの変化があるだろう.

[1012a9] さらに,否定言明が反対の事柄を導く種類のことどもにおいては,数において奇でないかつ奇でないわけでもない数があるかのように,あるだろう.しかしこれは不可能であり,それは定義から明らかである.

[1012a12] さらに,無限に進むだろう.すなわち,あるものどもが一倍半になるだけでなく,より多くあるだろう.というのも一方で,これを言明と否定言明に加えて否定することがありえようし,それは何かであるだろうから.というのも,その本質ウーシアーは何か別のものだろうから.

[1012a15] さらに,白いかを問われて白くないと述べるとき,あること以外の何も否定が言明されていない.「ありはしない」とは,否定言明である.

[1012a17] この考えは,若干の人々には,ちょうど他の考えがたいことどもとも同様の仕方で出来してきた.というのも,争論的な議論を解くことができないときに,議論に折れて推論されたことが真であると同意するのだ.なので,或る人々はそうした原因を述べ,別の人々は万物についての説明を探求することを通じて述べる.後者の人々全てに対しては,原理は定義から来るのだ.定義は,彼らが何かを意味表示することが必然的であることから生じるのだから.名前がそのしるしであるところの説明規定は,定義となる.一方でヘラクレイトスの論は,「全てのものがありかつありはしない」と述べることで全てを真となしているように思われ,他方でアナクサゴラスの論は,何かが矛盾言明の間にあり,したがって全てを偽となしているように思われる,というのも,混ざっているなら,混ざっているものは善いものでも善からぬものでもなく,したがって真なることを何も言わないと思われるから.

要旨

  • LEM は正しい: Px ないしは ¬Px のどちらかが成り立つ.
    • 真/偽の定義から,4つの可能性を考慮すれば足りる.
  • 矛盾言明の間に何かがあるということの類比的な例: (1) 白-灰-黒,(2) 人-どちらでもないもの-黒.だが,後者は変化し得ないので,中間の例とはならない.
  • 思考の上で真なることを言う/偽なることを言うとは,特定の結合様式に存する.
  • 立場を恣意的に設定しないかぎり,LEM 否定論者は全ての矛盾言明に中間者があると認めなければならない.このとき,真でもなく真でないわけでもない言明があることになる.また,言明される中間者はあるものでもありはしないものでもないので,その変化は生成消滅を越えている.
  • 述語が網羅的な反対者である場合には LEM の否定は成り立ちえない.
  • P と ¬P の間に Q があるなら,¬Q もあり,……と無限背進してしまう.
  • 「P でありはしない」は「P である」以外の何かの否定ではない.
  • 診断: LEM 否定の原因は,争論的な議論に屈することか,全てに説明を求めることである.〔前者については上述の通り.〕後者については,説明は定義でストップするのだと言わねばならない.ヘラクレイトスは PNC を否定した結果全てを真となし,アナクサゴラスは LEM を否定した結果全てを偽となしてしまっている.

先行研究

CN:

  • 1011b26-29: EJ と Ab で分かれる:
    • EJ: τὸ μὲν γὰρ λέγειν τὸ ὂν μὴ εἶναι ἢ τοῦτο εἶναι ψεῦδος, τὸ δὲ τὸ (J) ὂν εἶναι τὸ δὲ μὴ ὂν μὴ εἶναι ἀληθές, ὥστε καὶ ὁ λέγων εἶναι ἢ μὴ ἀληθεύσει ἢ ψεύσεται: ἀλλ᾽ οὔτε τὸ ὂν λέγει μὴ εἶναι ἢ εἶναι οὔτε τὸ μὴ ὄν.
    • Ab: τὸ μὲν γὰρ λέγειν τὸ ὂν μὴ εἶναι ἢ τὸ μὴ ὂν εἶναι ψεῦδος, τὸ δὲ τὸ ὂν εἶναι καὶ τὸ μὴ ὂν μὴ εἶναι ἀληθές, ὥστε ἐκεῖνο λέγων εἶναι ἢ μὴ ἀληθεύσει ἢ ψεύσεται: ἀλλ᾽ οὔτε τὸ ὂν λέγεται μὴ εἶναι ἢ εἶναι οὔτε τὸ μὴ ὄν.
    • いつものように,EJ の困難を Ab が解明する構図である.καὶ (27) は τὸ δὲ の重複より整っている.τοῦτο (26) は理解不能であるために τὸ μὴ ὂν に置換されている1一方,ἐκεῖνο (28) は καὶ ὁ に代わって指示詞の値をより尤もらしいところに移し替えている.これにより εἶναι ἢ μὴ (28) は主語を得る一方,ἀληθεύσει / ψεύσεται は λέγων 同様非人称になり2,結果 λέγει (29) が λέγεται に置き換えられる.本文は τοῦτο (26) 以外では EJ を採用する.
    • 真/偽の二値を用いることで,あるもの/ありはしないもの,ある/ありはしない,真/偽という三つの選択肢が結び付けられ,どの場合にも中間者はない.
  • 1011b29-1012a1 真・偽の定義から中間項の不在を論理的に論証した後,自然学的な中間者の候補を二つ吟味し,両方を不十分として斥ける.
  • 1012a12-16 次いでそうした中間者からのありえない諸帰結を展開する.「言うために言おうと」(parler pour parler) しないなら,中間者を一般的に認めなければならない: 真でありはせず真でないわけでもない言論のパラドクス,生成でも消滅でもない変化のパラドクス,例外のない矛盾の中間者のパラドクス,そして就中無限退行の必然性.
  • 1012a23-27 アリストテレスが Γ4 で展開した意味の分析全体を繰り返していることは,Γ7 の筋立て (économie) を示す.章の最後の一節が Γ5 の論敵の報告と同じ ἐλήλυθε δ᾽ ἐνίοις αὕτη ἡ δόξα で始まっているのは偶然ではない: 一旦原理を論証した後に,その否定の可能性について説明することが問題になる.したがって Γ7 は PNC の論証の縮小形で進んでいる.一方で PNC に関する議論と一点異なるのは,単に問答法的な出所から論敵の意見が出ていることである.Γ5 と同様の自然学的な考慮はなく,したがって論敵を説得を要する人と強制を要する人に分割する動機もない.アリストテレスがここで区別しているのは,争論的な議論を解けない人と,全てに理由を求める人である.前者には解法を与え,後者には要求が不当だと示す.だが,どちらの場合でも,意味 (の規定) の必要性という一点で応答できる.

  1. CN はこの点で例外的に Ab を採るが,和訳では Hecquet-Devienne に従って EJ の τοῦτο を採り,μὴ εἶναι を指すものと理解した.あまり自信はない; CN は « conjecture difficile » だと批判しており,それも尤もではある.Hecquet-Devienne が言うには « [l]es deux exemples d'assertions fausses ne se situent pas au même niveau: le premier présente l'attribution non acceptable d'un prédicat à un sujet, alors que le second présente un jugement d'équivalence entre deux prédicats contradictoires » であり,彼女の訳は « ne pas être c'est être » だが,字句上も文脈上も理解困難.しかし τὸ μὴ ὂν が τοῦτο に書き換えられるプロセスはなおさら想像がつかない.

  2. « cependant que les verbes ἀληθεύσει et ψεύσεται, ainsi que le participe λέγων, deviennent des impersonnels ». どういうこと? 物主語ということだろうか (それでもよく分からないけれど).