『メタフュシカ』Γ6 #2 相対主義と「相対主義→¬PNC」説の批判.論駁の結論

Met. Γ6 1011b4-22.

[1011b4] また,ちょうど先ほど述べられたように,万物を何かに対する,すなわち感覚や考えに対するものとしなければならないので,したがって,何ものも予め考えられなければ,何かが生じはしなかったし,何ものもありはしないだろう.もし生じたのであり,あるいはあるだろうとすれば,万物が考えに対してありはしないだろうことは明らかである.

[1011b7] さらに,もし一つなら,一つのもの,あるいは限られたものに対してある.そして,もし同じものが半分であり等しいとしても,少なくとも二倍のものに対して等しいわけではないのだ.実際,考えるものに対して,人間と考えられるものが同じだとすると,考えるものではなく考えられるものが人間なのである.各々が考えるものに対してあるなら,考えるものは種の点で無限になるだろう.

[1011b13] さて,全てのなかでもっとも確実な考えは,対立する言明が同時に真ではないということであり,このように言う人々に何が帰結し,また何ゆえそのように言うのかということ,これだけのことは語られたものとしよう.矛盾する言明を同時に同じものについて真なる仕方で言うことは不可能なので,同じものに反対の事柄が同時に帰属することもあってはならないということは明らかである.というのも,反対の事柄の一方は,同じくらい欠如であるが,他方で本質ウーシアーの欠如は或る定まった類の否定であるから.ゆえに,もし同時に真なる仕方で肯定しかつ否定することが不可能なら,反対の事柄が同時に帰属することも不可能である――両方が特定の仕方で帰属するか,一方が特定の仕方で,他方が端的に帰属するのでなければ.

要約

第二第三段落を全く理解できてない.

  • 万物を感覚 (=考え) に相対的とするなら,現在のものしか考慮できなくなる.
  • x が一つのものなら,ある特定のものの相関項となる (ため PNC は維持できる).x が考えるものに相対的なら,考えるものは種の点で無限となる (が,これは背理).
  • 「対立する言明が同時に真である」という偽なる主張の帰結と原因を以上で述べた.これが偽なので,同じものに反対の事柄が同時に帰属することはない〔logical → ontological PNC〕.
    • P と反対のこと QP の欠如でもあり,本質 P の欠如は特定の類の否定である.ゆえに,Px を肯定しかつ否定することができないなら,端的に Px かつ Qx となることもできない.

先行研究

CN1:

  • 1011b4: EJ に従い "ἀνάγκη καὶ πρός τι ποιεῖν ἅπαντα" を読む.この καὶ は ἀνάγκη ποιεῖν が ἀνάγκη λέγειν (b2) と同じ主語であることを示唆する.
    • 続く b5-7 の議論は δόξα と φαινόμενον の関連を扱っている.そのことは,b5 とともに,(論敵の) δόξα と αἴσθησις の同一視を示唆する.この同一視なしには推論は理解できない: δόξα = αἴσθησις なら,考えは過去や未来の現象を対象とすることはできない.過去や未来の現象の実在性を肯定するなら,「現れは真である」説は諦めねばならない.プロタゴラスは感覚と表象の区別を無視する限りで時間を考えることを自らに禁じているのだ.
  • 1011b7-12: アレクサンドロス以来の注釈者はここの解釈に苦労してきた.単に釈義的でテクストの問答法的性格を見失った解釈が,議論のつながりを逸する顕著な事例といえる.
    • 写本の ἔτι εἰ ἕν は疑われてきた (Christ, Lasson, Jaeger).Lasson は ἕν を排除した修正を行い,アレクサンドロスに依拠すると称する.しかし,ἕν の削除の根拠をアレクサンドロスに求めるのは間違っており,アリストテレスアレクサンドロス両方の誤読に基づいている.
    • アレクサンドロスによれば,アリストテレスは論敵を全てが関係的だという立場に追い詰めることで,「我々が関係的なものについて話す仕方」(323, 15-16) を措定している.アリストテレスの例が示すように,πρὸς ἓν ἢ πρὸς ὡρισμένον は,関係カテゴリーが PNC に従うことを示すのに十分である.全てのものを相対的としつつ矛盾を保持することは最初の「不合理さ」(323, 31) をなす.
    • また,アリストテレスは,知識・感覚とその対象という特定の関係的なグループを分析している.論敵は全てが意見に相対的だとするので,考えの対象である限りの人間が同時にその考えの持ち主 (siège) ではありえないということを理解するには,その分析を適用すれば十分である (323, 31 - 325, 8).
    • 一方でアレクサンドロスは,全ての関係者は相関項をもつという原理にも訴えている (325, 8-10).
    • 〔…〕
    • CN の解釈: アリストテレスは,アレクサンドロスが解釈するように,関係者は相関項を持つということに基づく議論をしている:「もし一つなら」(i.e. ある一つの関係者が与えられているなら),「一つのもの,あるいは限られたものに対してある」(i.e. その関係者は必然的に特定の相関項と関係する).だから,たとえ全てが関係的でも,全てのもの・任意のものに相対的であるわけではない.かくしてアリストテレスは,全てが関係的だとすることが不条理だということのみならず,関係カテゴリーが他のもの,特に本質と相容れないという仮定のもとでも PNC が成り立つことも示しているのだ.そして,関係者を同定する「もし一つなら」を認めさせるのは,冒頭 Γ4, 1006a21 の「何かを言う」という条件に他ならない.これは一つのことを言うということに他ならず (1006b5-7, 11-13),またそれゆえ定まったものがあるということになるからだ (1006a24-25).このように,本箇所の "ἔτι εἰ ἕν, πρὸς ἓν ἢ πρὸς ὡρισμένον" は,Γ4 の結論を関係カテゴリーのもとで再定式化したものにほかならない.つまり,アリストテレスの反駁の最初の種は,同時に最も断固たる反対者に対する最後の論証でもあるのだ.
      • したがって,しばしば言われるのとは異なり,PNC はアリストテレス存在論を前提市内.関係カテゴリーのもとでも,しかも関係カテゴリーを唯一のものとして考えても (comme exclusive),語は矛盾しない意味しか持たないのだ.半分と等しさの例がこのことを示している.
    • アリストテレスは論敵を二つの議論で挟撃している: 論敵が「全ては πρός τι だ」と言うに留めるなら,論敵は各々の事物の相関項を規定しなければならない.「πρὸς δόξαν καὶ αἴσθησιν だ」と言うなら,感覚と考えに与えられる不特定多数のものを参照させられる.
  • 1011b13-22: この Γ6 末尾は Γ3 以来の相互的な推移を表す.「最も堅固な原理」が帰属の観点から述べられたのに対して,Γ4-6 は意味と真理の観点からなされた.他方ここでは,「最も堅固な考え」が真理の観点から述べられ,結論は帰属の観点から述べられる.
    • οὐσίας δὲ στέρησις ἀπόφασίς ἐστιν: la privation est une négation appliquée à une essence.2

  1. 途中の議論は一部読み飛ばした.

  2. 採っていないが,要検討.