オノ・ヨーコ (1990)『ただの私』

オノ・ヨーコの雑文集.70-80年代の日本語のエッセイやインタビューを収める.

自伝的なものを期待していたのだけれど,本当に自伝らしい文章は最初の「わが愛,わが闘争」くらいで,必ずしもメインではない (所収のインタビューなどでもメモワールを出さないのかとたびたび訊かれている).むしろウーマン・リブの啓蒙的文章が多い.なかにはヒッピー文化の脈絡にある時代がかった論の組み立てもあり,それはそれで面白かった.

印象に残った箇所を若干引用しておく.それにしてもこの人の回顧録は読みたい.

Film No. 4 を撮った動機について〕しかも,お尻というものは,顔の表情のようにコントロールできない.〔…〕コントロールする前の邪気のない素顔をしている./〔…〕お尻に興味を持ったもう一つは,お尻には攻撃的なところがないからだ.人間の表は,誰かが攻撃してきたら,すぐ攻撃し返すが,お尻なら,やり返すということができない.お尻こそ本当の無抵抗主義じゃないか――といったお尻談義を,このお金持ちにしてやると,彼はすぐ乗気になり,お金を出しましょうということになった.(「わが愛,わが闘争」p.43)

Two Virgins の〕あのジャケットの写真を撮ったとき,私は妊娠四ヶ月だった.〔…〕/これは ”お尻の映画” を作るときと動機が似ている.しかつめらしくしている社会に,私たち夫婦の赤裸々な写真を提供することによって,ユーモラスなショックを与えて,くつろがせてみたかったのだ.〔…〕しかし,二人とも人の前でパンツをとるなんてことはできない.あのときも,ジョンと二人だけでカメラマンも入れずに,ジョンが自動シャッターで撮影したのである.妙な神経かもしれない.(同,p.53)

ジョンはやはり男性上位主義の環境に育った人で,私はまた,女性上位というのか何だかは知らないけど,私が上位なのは当たり前だ,くらいの気で暮らしてきた女なので,二人が同棲し出した当初は,お互いに本当にビックリしてしまいました./〔…〕ジョンは,初めて社会で仕事をする女と暮らして,それが同じく社会で仕事をする男に比べてどんなにひどい抵抗に会うか,ということを知り驚いてしまい,私は私で,突然普通以上に封建的な社会の態度に出会って,私の人生で初めて自分自身としてではなく,人の奥さんとして見放され,扱われ,急に小姑みたいに意地悪くなった./〔…〕それで,ジョンも私の苦労を見て,心の底から女性解放主義になり,私の "Sisters O, Sisters" のあとに "Woman Is the Nigger of the World" を一緒に書き,これはジョンがうたって,ふたりとも,女性解放の歌をうたった世界で最初のシンガーになりました.(「『女性上位万歳』」p.119)