Met. Γ5 1010a1-1010b1.
[1010a1] これらの人々については,思いなしの原因は,〈あるもの〉どもについて一方で真なることを考えているが,他方で感覚対象のみが〈あるもの〉どもであると想定していることだ.感覚対象のうちには無限定なものの本性が属しており,〈あるもの〉の本性は以上述べられたようなものである.それゆえ彼らは,尤もな仕方で述べているが,真なることどもを述べてはいない (というのも,このようにしてか,あるいはエピカルモスがクセノファネスに関して述べたような仕方で,いっそう調和するから).
[1010a5] さらに,この自然は全て運動するものであり,変化するものに関しては何一つ真ではないと彼らは考えているので,少なくともあらゆる仕方で完全に変化するものに関しては真理をつかむことがありえない〔と考えている〕.というのも,この判断から,上述の人々の最高度の思いなしが花開いたのだ.その思いなしは,ヘラクレイトスに連なると主張する人々のものであり,またクラテュロスが持っていたたぐいのものだ.クラテュロスは,しまいには何も語るべきでないと考えて,指を動かすのみであった.そして「同じ川に二度入ることはできない」と述べたヘラクレイトスを非難した.それというのも,彼自身は,一度も入ることはできないと考えたからだ.
[1010a15] 我々はこの議論に対してもこう述べる.すなわち,変化するときの変化するものは,「ある」と考えない何らかの真なる理由を彼らにとって有しているが,しかし実際のところ議論の余地がある.というのも,失うものは失われるものの何かを持つのであり,生成するものの何かが常にあるのであって,また総じて消滅するとき,何かあるものが属するのであり,生成するとき,そこから生成するところのものは,それによって生み出されるところのものでもあることは必然であって,これは無限に向かってありはしない.しかしこれらのことを無視するとしても,我々は次のように言おう.すなわち,量に関して変化することと,質に関して変化することは,同一ではない.ゆえに,一方で,量に関しては留まらないとしよう.それでも,かたちに関しては全てを我々は認識する.
[1010a25] さらに,このように想定する人々は非難されるべきである.なぜなら,感覚対象そのものさえ,数にしてそのごく少ない部分について知りつつ,宇宙全体についてそのようであると同様に言明していたから.というのも,我々にとって感覚対象の場所は絶えざる消滅と生成のうちにあるが,これは言わば何ら全体の部分ではなく,したがって前者〔=全体〕のゆえに後者〔=生成消滅するものども〕を追放するほうが,後者のゆえに前者を非難するより公正である.
[1010a32] さらに,これらの人々に対しては,先ほど言われたことどもと同じことを,我々は述べる.すなわち,何らかの不動の本性が彼らによって示されるべきであり,彼らに説得されるべきである.しかし,同時にありかつあらぬと主張する人々は,全てが運動するよりむしろ静止していると主張することになる.というのも,全てが全てに帰属するから.
要旨
- ソフィストは〈あるもの〉を感覚対象に限定している点が誤っている.
- 無矛盾律の批判者は「完全に変化するものについては真なることを言えない」と考えている (ヘラクレイトス,クラテュロス).
- 変化 (生成消滅) には常に何か留まるものがある.また,あるカテゴリーで変化するものは,別のカテゴリーにおいては変化しない.
- そもそも感覚対象は〈あるもの〉のごく一部にすぎない.
- 「全てがありかつあらぬ」なら,全てが全てに帰属するので,(想定に反して) 全てが静止することになる.
先行研究
Ross:
- "15-35 Bz rightly points out that in these arguments Aristotle only succeeds in showing that there are unchanging elements in the universe, not that there is no change (which he would not have wished to show) nor that change is reconcilable with the law of contradiction. But most certainly the reconciliation is not to be achieved, as Bz suggests, by making the law of contradiction apply not to things but only to notions. Rather it is to be met by emphasizing the ἅμα in the law of contradiction; once this is done, no fact of change can impair its validity" (276).
Kirwan:
- 'that change is reconcilable with the law of contradiction' を示し得ていないという Ross の指摘は眼目を誤解している; むしろ変化と真なる主張の可能性の調停が問題.
Cassin-Narcy: