アリストテレスによる名辞の意味の理論 Charles (2000) AME, Chap.4

  • David Charles (2000) Arisotle on Meaning and Essence, Oxford University Press.
    • Chap. 4. The Signification of Names. pp.78-109.

4.1 序論

前章までで次のように主張した.

  • C1 何を表示するかの説明規定が,第二・三段階の探究を導く役割を果たす.この説明規定の理解は存在の知識を含まない.
  • C2 第一段階の「表示されるもの」は,第二段階で実在すると分かるものと同一である.
  • C3 名辞が何を表示するかの説明規定は,名辞と同一のものを表示する.
  • C4 名辞が何を表示するかの説明規定は複数ありうる (e.g. 誇り――侮辱を許さない,不運に無関心な).

しかし,まだ以下の疑念が残る.

  • 第一に,C1-C3 は不整合に見える.C2 が正しければ,C1 (存在の知識を含まないこと) は不可能に見える.また C3 が正しければ,C2 より,名辞はすでに特定の種を表示する.するとやはり C1 に反するように思われる.
  • 第二に,C4 によれば,「誇り」の意味表示するものは複数ありそうに見える.これは C3 と整合しない.

以上の点を『分析論』は明示的に取り扱っていない.以下では『魂について』などから上記 C1-C4 を妥当にする議論を取り出す.

4.2 説明規定の基盤: 単純名辞とその表示

De Int. 1, 16a3-9:

音声におけるものどもは,魂における諸受動状態の割符であり,書かれたものどもは音声におけるものどもの割符である.そして,ちょうど全ての人にとって諸々の書字が同一ではないように,諸々の音声も同一ではない.しかし,これらの割符が第一にそれに属するところのものどもは,全ての人にとって同一である魂の諸受動状態であり,それに類似したこれらの事物は直ちに同一である.これらのことについては『魂について』で既に述べられた (というのも,別の考究に属するから)1

音声・書字は思考の記号 (signs) である.ゆえに,「A」の表示はそれに関する思考が何についてのものかによって決まる.これを決めるのは類似性で,類似性については DA で論じられる.すなわち,成功した思考・知覚は「似せる」(likening) という形相転送の因果プロセスを含む.(1) 対象・種はこのプロセスの始動因であると同時に (2) 知覚・思考の一般的特徴を説明するものであり,(3) このプロセスは関連する能力 (faculties) が適切に機能するときにうまくいく.このとき:

  • 名辞 'a' が対象・種 K1 を表示する iff. K1 が似せる・形相を転送する経路 (likening route) で,'a' と規約的に相関する思考 Θ1 を生み出す.

さらに言えば,'a' は Θ1 を直接的に表示し,K1 を間接的に表示する.間接的表示の存在は APo. II.10, 93b32 などで明言される.以上のモデルは前述の C2 を確証する.

では,名辞どうし,および名辞と説明規定が同一の表示をもつのはいかなるときか.同じ対象についての思考に結びつくときである,と予想できる.この予想は Cat. 1a6-10, SE 6, 168a27-32 はこの予想を支持する (C3, C4 の支持).そして,名辞や説明規定が同一の表示をもつのは,それらが非付帯的に同一の対象を表示するときである.例:「雷」「雲の中の音」「稲光を伴う音」は,同一種に非付帯的に相関する場合に,同一のものを表示する.

以上のモデルには三つの問題がある.それらに対するアリストテレスの回答を,4.3, 4.4 で示す.

  1. 非存在者の名辞はどのようにして表示を持てるのか.
  2. 存在言明をどう理解すべきか.
  3. 命題的態度を含む言明をどう理解すべきか.

4.3 山羊鹿,非単純名辞,存在

「空虚」「山羊鹿」のような非存在者はどう説明するのか.

De Int. 2, 16a23-6:

しかし複合名辞においても単純名辞においてと同様であるわけではない.というのも,単純名辞においては部分は何ら表示的ではない一方で,複合名辞においては表示的であろうとするものの,分離しては何も表示できないから.例えば「船舶」(ἐπακτροκέλης) における「舶」(κέλης) のように.

アリストテレスの議論はあまりに凝縮されているが,「複合名辞の表示 = 諸部分の表示 + 結合方式」と思われる.「山羊鹿」の場合これに対応する思考 Θ があり,これは Θ1, Θ2 を「〜と〜の子供」という関係で結んだものである.Θ1 は山羊という種,Θ2 は鹿という種から類似関係によって生み出されるが,「山羊鹿」の文脈では Θ1, Θ2 の役割は物の表示ではなく,Θ を生み出す入力だけである.このとき Θ を生み出す物が現実にある必要はない.他方「船舶」は Θ に対応する物が (たまたま) 存在する例である2

では「空虚」などの単純かつ空虚な名辞はどうか.De Int. 8, 18a18-26 が手がかりになる:

そこから一つのものができないような二つのものに一つの名前が付けられるなら,単一の肯定言明はない.例えばひとが馬と人にコートという名前を付けるなら,「コートは白い」は単一の肯定言明ではない.というのも,これは,「馬と人が白い」と述べることと全く異ならないし,それは「馬が白く,かつ,人間が白い」と言うことと全く異ならないから.それゆえ,これらの肯定言明が多くのものを意味表示し,多くあるのだとすれば,最初の肯定言明も多くのものを意味表示するか,何一つ意味表示しない.というのも,何らかの「人馬」がいるわけではないから.

ここで「コート」は,名前自体に意味論的部分は含まれていないにせよ,意味論的複合物であり,その表示は何らかの単純名辞の結合に依存している.あらゆる空なる名辞がそうだと言いうる3.意味のある空なる名辞は,字句か思考の水準で複合物である4.こうした説明は,De Int.Cat. における存在問題の取り扱いに影響している: a is F が真正な単一の肯定言明なら,それは a の存在を含意する.

他方このとき,存在の知識が単純・複合名辞の表示の知識と独立である (C1) となぜ言えるのかは不明である.だが,この論点は後に回す.

4.4 知識,信念,置換

表示が物によって規定されるなら,指示的に不透明な文脈の場合はどうするのか.SE 179a35-8 では「本質が同じものは置換可能」と主張される: S knows Fa かつ a と b の本質が同じなら S knows Fb.

この立場は受け入れがたく思われる:「キケロー = トゥッリウス」のような例を説明できない.ただし NE/EE 1135a23-30 に鑑みれば,問題は和らぐ.そこでは非付帯的知識と付帯的知識が区別される.「キケローはローマ人だ」と (非付帯的に) 知っており,「トゥッリウス」の表示を知っている場合,「トゥッリウスはローマ人だ」と (付帯的に・実践的推論に関わらない仕方で) 知っている5

4.5 アリストテレスの問題

先述の通り,以上の説明と存在の知識の独立性は見かけ上不整合である.すなわち,思考が種により個別化され,どの思考を自分が有しているかを我々が知っており,かつ 'K' の表示の説明規定がその種についての思考である,と前提すれば,'K' の表示の説明規定の把握によって種を把握できることになる.

アリストテレスは次のように論じうる: 'K' の表示を知りつつ,それが他と区別される単一の現象 K によって決定されていると知らないことはできる.例:「月食」が一定の特徴を持つことは知っていても,それを規定する全ての特徴を知る必要はない.結果として,「山羊鹿」のような事例と区別できる必要もない.

このような解釈は三つの理由から支持できる.

  1. 存在主張 (上記 4.3) やその証明 (APo. II) に関するアリストテレスの議論に整合する.
  2. 表示の説明規定の用法 (2.5) に合致する.その把握が個別化する情報の把握である必要はない.
  3. 個々の表示 ('a', 'b') を知っていても,それの関係 (e.g., a=b) を知っている必要はない.

これが正しいなら,第一段階で我々は種についての思考をもつが,そのとき指示を決定できるほど知っている必要はない.

4.6 アリストテレスの理論か? そのコミットメント

しかし本当に,アリストテレスは以上の見解にコミットしていたのか.これには高々間接的な証拠しかない.以上の理論は二つの弁別的特徴 D1, D2 を有する.これに対するアリストテレスの態度をテストする.

  • D1 名辞の直接的表示は,名辞に規約的に相関する思考内容である.だが,この思考内容は,対象によって (因果関係により) 固定されるのであり,思考者による名辞の理解を表現する思考に「適合する」対象が指示対象となるわけではない.つまり表示の説明において思考者の理解が考慮されない.この点で非 Frege 的.ただし名辞の表示が名辞を含む文の真理値の決定に寄与するという意味では Frege の理論と共通する.
  • D2 複合名辞の例を考えると,以上の理論において「意味とは結局指示のことである」とは言い切れない.

ここから以下の哲学的コミットメントが帰結する.

  1. 思考内容および「似せる」関係に関する説明が必要.
  2. そうした能力を我々が持ちえた理由の説明が必要.
  3. 語の表示が語の理解を超出しうる理由の説明が必要.つまり:
    • なぜ,特定の仕方で個別化されている事実を知らずに思考を持てるのか,
    • なぜ,どの対象かを知らずに,対象のついての思考を持てるのか,
    • なぜ,ある種が本質を持つことを知らずに,その種についての思考を持てるのか.

以上をアリストテレスが認めていたことを,5-6章で論じる.


  1. 意外と構文が分かりにくい.要検討 (cf. Whitaker, ch.1).

  2. この辺りは合理的再構成であり字句解釈にはなってないと思う.

  3. この説明は啓発的.ある意味 Russellian な解決.

  4. 原文は前者を ‘semantic compounds’ と呼ぶが,ミスリーディング.

  5. 何か読み違えているのかもしれないが,これがどう解決になるのか分からない.