『メタフュシカ』Γ4 #7 無矛盾律の否定の内的不整合,行為との乖離,誤りの程度に基づく議論

Met. Γ4 1008a34-1009a5.

[1008a34] さらに,言明が真であるとき否定言明が偽であり,否定言明が真であるとき肯定言明が偽であるなら,同時に真なる仕方で同じものを言明しかつ否定を言明することはありえない.だがおそらく,これは最初から措定されていることだと主張しうるかもしれない.

[1008b2] さらに,何らかの仕方で成り立つか成り立たないかであると想定する人は虚偽を述べている一方,両方を想定する人は真なることを述べているのだろうか.というのも,もし真なることを述べているのなら,〈あるもの〉どもの本性はそうしたものであると語られた事柄は何でありうるだろうか.他方,真なることを述べておらず,むしろ前者の仕方で想定する人がいっそう真理を述べているのなら,〈あるもの〉どもが既に何らかのしかたであるだろうし,これは真であるだろうし,同時に真でありはしないわけではないだろう.

[1008b7] 同様にして,全ての人々が虚偽を述べかつ真なる事柄を述べるのだとすれば,発話することも,そうしたことによって述べることも可能ではない.というのも,同時にこれらのことを述べ,かつこれらのことを述べていないからである.だが何も想定せず,むしろ同様に考えておりかつ考えていないなら,植物と異なるいかなるあり方をしているだろうか.そこからして,誰もそのような状態にはないし,ものを述べる他の人々にこの言論は属さない,ということは,この上なく明白である.というのも,歩こうと考えるときに,何ゆえメガラへと歩き,静止しないのだろうか.またごく朝まだきに井戸や峡谷に行き当たったとき,そこに足を踏み入れはせず,むしろ,そこに陥ることが同様に良くなくかつ良いとは考えていないごとくに,注意しているように現れるのか.したがって一方がより良く,他方がより良くないと想定していることは明らかである.そうだとすれば,一方が人間であり,他方が人間でなく,一方が甘く,他方が甘くないと想定していることが必然である.というのも,水を飲むのがより良く,人に会うのがより良いと考え,そしてこれらを探し求めるとき,万物を同等に探求し想定するわけではないから.しかし,もし人間も非人間も同様に同一であるなら,そうしなければならないだろう.だが既に述べられた通り,誰も,或るものどもを注意し,或るものどもは注意しないように現れていない者ではない.したがって,見たところ,一通りにあると誰もが想定しているようである――全てについてでないとしても,よりよいこととより悪いことについては.知りつつではなく,むしろ臆断しつつ〔そうしているのなら〕,はるかにいっそう真理に気をつけなければならないだろう.ちょうど,病気の人が,健康な人より〔はるかにいっそう〕健康に〔気をつけなければならない〕ように.というのも,臆断する人は知識を持つ人に比べ,真理に関して健康でない状態にあるから.

[1008b31] さらに,もし万物が最大限に,そのようであり,かつそのようでないとして,それでも少なくとも〈より多く〉と〈より少なく〉は〈あるもの〉どもの本質のうちに内在する.というのも,我々は2も3も同様に偶数であるとは主張できないし,4を5であると思っている人と1000であると思っている人が同様に欺かれているとも主張できないから.そしてもし同様でないなら,一方の人がより少なく〔欺かれており〕,したがってより多く真実を述べていることは明らかである.それゆえ,より多いものがより近いなら,ともあれ,それにより近いものがより多く真なるものであるところの,或る真理があるだろう.そして,もし〔そうした真理が〕ありはしないとしても,より確固としており,より真理的な何かが,もう既にある.そして我々は,思考によって何かを規定することを妨げる言論から解放されるだろう.

要約

  • 「P が真ならば ¬P が偽,かつ ¬P が真ならば P が偽」なら,P と ¬P を同時に真なる仕方で主張することはできない.
    • もっとも,これは論点先取かもしれない.
  • 「P か ¬P かのいずれかである」が偽である場合,「P かつ ¬P である」は真であるのか.
    • 後者が真なら,〈あるもの〉どもの本性についての言辞とは何なのか (意味を失う).
    • むしろ前者がより真であるなら,〈あるもの〉どもがあり,真であり,非真ではない.
  • 任意の人 X の任意の発話 P が真であり同時に偽であるなら,P と述べると同時に P を述べていないことになる.
    • そのとき X は任意の P を想定していないことに等しく,X は植物同然となる.
    • だが,選択肢 x, y の中から行為を選択する際には,各々 P(x), ¬P(y) だと想定している.
    • P(x), ¬P(y) と知りつつではなく,臆断しつつ行為している場合は,何が真であるかに一層気をつけねばならない.
  • 「P かつ ¬P」を最大限に認めたとしても,依然両者は「より多く/より少なく真」だと言える.

訳注

  • 'ἔδει γε' (b23) - cf. Smyth §2313: "ἄν may be omitted in the apodosis of an unreal condition when the apodosis consists of an imperfect indicative denoting unfulfilled obligation, possibility, or propriety. Such are the impersonal expressions ἔδει, χρῆν, ἐξῆν, εἰκὸς ἦν, καλὸν ἦν, etc., with the infinitive, the action of which is (usually) not realized."
  • b24-25 のギリシア語がよく分からない.
  • δοξάζω: 臆断する.(以前の箇所では「判断する」と訳していたが,ここは 'to merely believe' の含みが必要.)

先行研究

C&N.

  • 1008b4ff. Ab の読みは「もし真なることを述べていないのなら,〈あるもの〉どもの本性はそうしたものであると語られた事柄は何でありうるだろうか.他方,真なることを述べていないが,前者の仕方で想定する人よりはいっそう真理を述べているのなら,〈あるもの〉どもが既に何らかのしかたであるだろうし,これは真であるだろうし,同時に真でありはしないわけではないだろう」.この場合 (i) 二つ目の選言肢が考慮されず,かつ (ii) 冒頭の問いは回答されていない.Ross は (ii) を考慮するが (i) は考慮しない (後半の異読は Ab を採る).
    • Ross は E の読みを PNC の否定者に帰しえないとするが,ここでは否定者のテーゼそのものの矛盾言明対が提示されているのだから,それは当然である.
  • 4章の議論は2段階 (ないしは3段階) に分かれる:
    • (1-a) 意味表示の必要性を用いる議論 (1006a18-7a20),
    • (1-b) 意味表示の否定から本質存在の否定,ひいては述定の否定を出す議論 (1007a20-b18),
    • (2) 発話の整合性に基づく議論 (1007b18-8b12).
    • このうち (1) は語 (termes) の水準に定位して談話の可能性の条件を決定しており,(2) は命題の水準ないしは立場の整合性・支持可能性の水準に定位している.両者はともに問答法的であるが,前者は超越論的問答法を,後者は厳密な意味での問答法を用いている.
  • 1008b9 τοιούτῳ は直前の前件を想定する人を指す1
  • 1008b11ff. φυτῶν (E2, Alex., Asc.) ではなく πεφυκότων (EJAb) を採る2.Cf. HA V16, 548b7: 根からしか栄養を摂れない生物の形容.訳は « Des êtres purement naturels ».

  1. ここでは採らず,「全ての人」のそうした発話を指すと考える.

  2. これは写本状況に鑑みてかなり悩ましいが,ここでは φυτῶν で読んだ.どちらにせよ意味は大きく変わらない.