『メタフュシカ』Γ4 #5 πάντα ὁμοῦ の帰結,LEM の否定の帰結

Met. Γ4 1007b18-1008a7.


[1007b18] さらに,もし同一のものに関する全ての矛盾対立言明が同時に真であるなら,全てが同一であるだろうことは明らかである.というのも,ちょうどプロタゴラスの言論を語る人々にとって必然的であるように,或るものを全てのものについて肯定するか否定することがあってよいとすれば,三段櫂船も壁も人間も同一であるだろうから.というのも,或る人にとって人間が三段櫂船でありはしないと思われるなら,三段櫂船でありはしないということは明らかである.したがって,矛盾対立言明が真である限りで,〔三段櫂船で〕ありもする.また実際,アナクサゴラスの「一緒にあるすべての物」が生じるだろうし,その結果何ものも真に一つのものではないだろう.それゆえ不定のものを語っているように思われるし,〈あるもの〉を語っていると考えつつありはしないものについて語っているのだ.というのも,完成態的にではなく可能的にあるものは,不定なものだから.しかしともあれ,全てのものに関して,肯定言明か否定言明を述べねばならない.というのも,各々にそれの否定言明が帰属する一方,帰属しない別のものの否定言明はそれに帰属しないだろうとすれば,〔それは〕奇妙であるから.私が言うのは例えば,もし人間が人間でないものであると述べることが真であるとすれば,三段櫂船でありはしないことも明らかである,ということだ.それゆえ,もし肯定言明があるなら,否定言明もあることが必然である.もし肯定言明が〔三段櫂船に〕帰属するなら,少なくとも否定言明が,それ〔=人間〕の否定言明よりいっそう帰属するだろう.それゆえ,もし前者も帰属するなら,三段櫂船の否定言明も帰属するだろう.それがあるなら,肯定言明もあるだろう.

ἔτι εἰ ἀληθεῖς αἱ ἀντιφάσεις ἅμα κατὰ τοῦ αὐτοῦ πᾶσαι, δῆλον ὡς [20] ἅπαντα ἔσται ἕν. ἔσται γὰρ τὸ αὐτὸ καὶ τριήρης καὶ τοῖχος καὶ ἄνθρωπος, εἰ κατὰ παντός τι ἢ καταφῆσαι ἢ ἀποφῆσαι ἐνδέχεται, καθάπερ ἀνάγκη τοῖς τὸν Πρωταγόρου λέγουσι λόγον. εἰ γάρ τῳ δοκεῖ μὴ εἶναι τριήρης ὁ ἄνθρωπος, δῆλον ὅτι οὐκ ἔστι τριήρης· ὥστε καὶ ἔστιν, εἴπερ [25] ἡ ἀντίφασις ἀληθής. καὶ γίγνεται δὴ τὸ τοῦ Ἀναξαγόρου, ὁμοῦ πάντα χρήματα· ὥστε μηθὲν ἀληθῶς ἓν ὑπάρχειν. τὸ ἀόριστον οὖν ἐοίκασι λέγειν, καὶ οἰόμενοι τὸ ὂν λέγειν περὶ τοῦ μὴ ὄντος λέγουσιν· τὸ γὰρ δυνάμει ὂν καὶ μὴ ἐντελεχείᾳ τὸ ἀόριστόν ἐστιν. ἀλλὰ μὴν λεκτέον γ᾽ αὐτοῖς κατὰ [30] παντὸς τὴν κατάφασιν ἢ τὴν ἀπόφασιν· ἄτοπον γὰρ εἰ ἑκάστῳ ἡ μὲν αὐτοῦ ἀπόφασις ὑπάρξει, ἡ δ᾽ ἑτέρου ὃ μὴ ὑπάρχει αὐτῷ οὐχ ὑπάρξει· λέγω δ᾽ οἷον εἰ ὀληθὲς εἰπεῖν τὸν ἄνθρωπον ὅτι οὐκ ἄνθρωπος, δῆλον ὅτι καὶ οὐ τριήρης. εἰ μὲν οὖν ἡ κατάφασις, ἀνάγκη καὶ τὴν ἀπόφασιν· [35] εἰ δὲ μὴ ὑπάρχει ἡ κατάφασις, ἥ γε ἀπόφασις ὑπάρξει μᾶλλον ἢ ἡ αὐτοῦ. [1008a] [1] εἰ οὖν κἀκείνη ὑπάρχει, ὑπάρξει καὶ ἡ τῆς τριήρους· εἰ δ᾽ αὕτη, καὶ ἡ κατάφασις.

[1008a2] さて,以上のことどもが同じ言論を述べる人々に起き,かつ,肯定するか否定するかが必然でありはしないということも起きる.というのも,「人間であり,かつ人間でありはしない」ということが真であるなら,「人間でありはせず,かつ,人間でありはしないわけではない」だろうことも明らかだから.というのも,二つのものに二つの否定言明があるから.もし前者が両者からなる一つの言明であるなら,後者も一つの対立する言明でありうる.

ταῦτά τε οὖν συμβαίνει τοῖς λέγουσι τὸν λόγον τοῦτον, καὶ ὅτι οὐκ ἀνάγκη ἢ φάναι ἢ ἀποφάναι. εἰ γὰρ ἀληθὲς ὅτι ἄνθρωπος καὶ [5] οὐκ ἄνθρωπος, δῆλον ὅτι καὶ οὔτ᾽ ἄνθρωπος οὔτ᾽ οὐκ ἄνθρωπος ἔσται· τοῖν γὰρ δυοῖν δύο ἀποφάσεις, εἰ δὲ μία ἐξ ἀμφοῖν ἐκείνη, καὶ αὕτη μία ἂν εἴη ἀντικειμένη.

要約

半分くらいしか分からない.

  • 任意の P, x について P(x) ∧ ¬P(x) なら (Prot. 的),任意の P, Q, R について P = Q = R.
    • ∵ P(x) → ¬Q(x), かつ ¬Q(x) → Q(x) より P(x) → Q(x).
  • このとき,任意のものは πάντα ὁμοῦ (Anax.) になる.
    • それは真に一つではなく,また (可能的でしかないので) 不定的であり,実は〈ありはしない〉ものである.
  • 任意の P, x について P(x) ∨ ¬P(x).
    • P(x) なる x について ¬P(x) が言えるなら,Q(x) でない Q には a fortiori に ¬Q(x) が言えるはずだから.
  • したがって,任意の P, x について P(x) ∧ ¬P(x).
  • 他方,P(x) ∧ ¬P(x) ならば ¬P(x) ∧ ¬¬P(x) より,どちらも主張できない.

先行研究

CN:

  • 1007b21-22 'ἢ καταφῆσαι ἢ ἀποφῆσαι ἐνδέχεται' - « il y a possibilité d'affirmer comme de nier » (cf. Hecquet-Devienne: « il est possible et d'affirmer et de nier » ↔ Kirwan: "it is possible either to affirm or to deny"). ただし b29-30 (ἀλλὰ μὴν 以下). Alex. 290, 33 が καί でパラフレーズし Bonitz が vel と訳すのに従う1
  • 1007b29-1008a2 ἀλλὰ μὴν 以前は任意の言明を出発点とする論証,ἀλλὰ μὴν 以降は同一性言明に限定された議論2
  • 1008a2-7 Kirwan は「否定の連言は連言の否定ではない」と誤謬を指摘するが,ここはアリストテレスではなくプロタゴラス主義者の立場に立つ議論.« La langue prend le pas sur la formalisation: il s'agit de discours et non de calculs. »

  1. 気持ちは分かるのだけど,ἢ にそんな用法があるんだろうか.

  2. ここの議論は込み入っていてよく分からなかった.