『メタフュシカ』Γ4 #4 矛盾律の否定からは本質存在の否定が帰結する

Met. Γ4 1007a20-b18. 厳しい文体になってきた.

[1007a20] 総じてこのことを述べる人は本質存在すなわち〈あるとは何であったか〉を破棄している.というのも,この人々は,「万物が付帯し,〈人間にとってのあること〉や〈動物にとってのあること〉そのものが,ありはしない」と述べねばならないから.というのも,人間にとってのあることそのものがなにかあるだろうとすれば,これは〈人間にとってではないあること〉や〈人間にとってのありはしないこと〉ではないだろうから (しかるに,それらはこのことの否定言明である).というのも,意味表示していたものは一つであったし,それは何かの本質存在であったから.「本質存在」が意味表示できるのは1,それにとっての他の何らかの〈あること〉がないからである.もしそれにとって,〈人間にとってのあること〉そのものが,〈人間にとってではないあること〉そのもの,ないしは〈人間にとってのありはしないこと〉そのものであるだろうとすれば,他のものがあるだろうし,したがって,「何ものにもそのような説明規定はなく,むしろ万物は付帯的にあるだろう」と彼らは語らねばならない.というのも,付帯的な事柄もこれによって本質存在を規定するだろうから.というのも,白いものは白いが,まさに白いものでありはしないがゆえに,人間に付帯するだろうから.

[1007a34] だがもし万物が付帯的に語られるなら,何ものも第一に普遍的なものでありはしないだろう,もし「付帯的な事柄」がつねに基礎に置かれる何ものかに関する述定カテーゴリアーを意味表示するのでなければ.したがって無限に進みゆかねばならないが,しかしそれは不可能である.というのも,二つより多くのものが結合することもないから.というのも,付帯的な事柄は付帯的な事柄に付帯するものではないから――両方がそれに付帯するがゆえにでなければ.私が言うのは,例えば,白いものが教養があるものであり,これが白いものであるのは,両方が人間に付帯するがゆえである,ということである.しかしソクラテスが教養あるものであるのは,両者が他の何かに付帯するがゆえにという仕方によってではない.したがって,一方ではこのようにあるものが,他方では次のような仕方であるものが,付帯的と言われる.すなわち,白いものがソクラテスに〔付帯する〕ような仕方で語られる限りのものが.なので,上方に無限にあってよいわけではない.例えば白いソクラテスに他の何かが付帯的であるように.というのも,あらゆるものからある一つのものが生じるわけではないし,また実際,白いものに他の何か,例えば教養あるもの,が付帯的であるわけでもない.というのも,後者に前者が付帯するわけでも,前者に後者が付帯するわけでもなく,かつ同時に,一方のものどもがこのように付帯し,他方のものどもは白いもののようにソクラテスに〔付帯する〕と規定したのだから.このようにある限りのものどもは,付帯的なものに付帯的なものが付帯するのではなく,むしろ万物が付帯的に語られるだろう仕方であるのだ.したがって,本質存在でもあるかのように意味表示する何かがあるだろう.それがあるとすれば,矛盾対立言明が同時に述定されることは不可能であると示されている.

要約

  • PNC 否定論者は〈あるとは何であったか〉を破棄している.
    • 「人間にとってのあること」は一つのもの (本質存在) を意味表示する.
    • 「本質存在」が意味表示できるのは,それにとっての〈あること〉が一つだけだから.
    • 一方,〈人間にとってのあること〉そのものが〈人間にとってではないあること〉そのものと同一であれば (¬PNC),人間にとって複数の〈あること〉がある.
    • したがって,PNC を否定した場合,(NS)「本質存在はなく,全ては付帯的にある」と語らねばならない.
  • (NS) を認める場合,付帯的なものは述定なので,述定が無限背進する.
    • が,これは不可能である: 3つ以上のものが結合することさえない.
      • なぜなら,付帯的なもの p, q が相互に付帯するのは,両方が別のもの x に付帯するときだけだから.
        • これは p が付帯的でない場合には妥当しない.
      • 残るは p が付帯的でなく q が付帯的である場合のみ.
      • 〈q なる p〉に他のもの r が付帯することはない.

先行研究

CN:

  • 1007a34 καθόλου について καθ' οὗ という修正を Alex. があくまで一案として挙げており,Bonitz 以下校訂者がこれを採用する.もっとも Alex. はこの箇所について「第一の類」と見る読み方と καθ' οὗ の修正案を挙げるものの,結局 καθόλου を維持し,その後の注では (1007a1-18) καθόλου を APo. 中の意味 (本質的述定) に比定する.ここでも καθόλου を取る〔本文では inter cruces〕.
  • 1007b8-10 ἐπὶ τὸ ἄνω を Ross-Tricot は (彼らが理解する) Met. A, 992a17f. とのアナロジーで「外延の大きい方へ」と理解する.
    • だが第一に A の例もプラトン的な une hiérarchie de l'intelligible の解釈であり,『オルガノン』的な定まった意味で用いられているわけではない.
    • そして本箇所に関しても,問題になっているのは外延の大きさではなく,述定の方向である.τῷ Σωκράτει τῷ λευκῷ は「白いソクラテスに」(Colle, Tricot) ではなく,アリストテレスの禁じる l'attribution transitive を指す2

  1. ここの σημαίνειν をどう理解すれば良いのかよく分からない.

  2. これはきつい気がするので,本文は「白いソクラテス」と訳した.外延の大きさが問題ではないという論点自体は首肯できる.