『魂について』III.3 #4 ファンタシアーは感覚に端を発する運動である

DA III.3 428b2ff.


[428b2] 少なくとも,それらをめぐって同時に真なる判断をひとが持つような虚偽も現れるのである.例えば太陽は足の大きさであると現れるが,居住地域より大きいと信じているように.それゆえ,事象が維持されており,忘れたわけでも信念を変えるよう説得されたわけでもないのに,持っていた自分自身の真なる信念を棄却してしまったということか,あるいは,もしまだ信念を持ち続けるなら,同一の信念が真でも偽でもあることが必然であるということ,が帰結する.だが,偽になるのは,気づかれずに事象が変化するときである.したがってファンタシアーは,これらの或る一つでもなく,これらからなるものでもない.

[428b10] だが,〔或るものが〕運動させられたとき,これとは別のものがそれによって運動させられることがありうるのであり,ファンタシアーは何らかの運動であって,感覚なしに生じることはなく,むしろ感覚するものにとっての,それの感覚があるもののファンタシアーであると思われる.だが感覚の現実活動態によって運動が生じることがありえ,そしてその運動は感覚と似たものであることが必然である.−−なので,この運動が感覚なしにあることも,また感覚しないものに帰属することもあってはならない.また〔ファンタシアーを〕持つものは,この運動に応じて数多く作用し作用を被る.また〔この運動は〕真でも偽でもある.

[428b17] そのことは次のことどもによって起きる.固有の事柄の感覚は真であるか,または最小限に虚偽をもつものである.第二に,これらが付帯しているということの〔感覚があり〕,そこでは既に欺かれることがあってよい.つまり,白いということは虚偽ではないが,白いものがこれであるか,それとも他のなにかか,ということは虚偽である.第三に,共通のもの,すなわち固有の事柄が帰属するところの付帯的なものに付随するものの〔感覚がある〕.私が言うのは,例えば感覚されうるものに付帯する運動や大きさである.これらについては,感覚にもとづいて誤認することがこのうえなくありうる.感覚の現実活動態によって生じる運動,すなわちこれら三つの感覚からの運動は,異なるだろう.また,第一の運動は,感覚が現在する場合には真であり,他の運動は感覚が現在しようとしまいと偽でありうる.また,感覚されうるものが遠くにあるとき,このうえなくそうである.

[428b30] それゆえ,もしファンタシアー以外の何ものも上記の事柄をもたないとすれば,これが述べられたことであるのだから,ファンタシアーは現実活動態に応じた感覚によって生じる運動であるだろう.

[429a2] 視覚はこのうえなく感覚であるので,〔ファンタシアーは〕名前もファオスから受け取っている.なぜなら,光なしには見ることはできないから.そして,〔ファンタシアーが〕留まり続け,感覚に似ているがゆえに,多くの動物はファンタシアーにもとづいて行為するのである−−或る動物は,例えば獣のように,知性を持たないがゆえに,或る動物は,人間のように,知性が時には苦難や病や眠りによって覆い隠されるゆえに.さて,ファンタシアーについては,何であるか,何のゆえにあるのかが,以上の程度まで語られたものとしよう.

要約

ファンタシアーを「感覚と信念の結合 (συμπλοκή)」とする見方への論駁のつづき.

  • [428b2] P が真であり,P と判断しており,同時に \lnot P と現れる場合がある.
    • ファンタシアーが信念から構成されるなら, \lnot P と現れることは,
      1. P の信念を棄却してしまうことか,あるいは
      2. P は真」という信念 B が同時に (ファンタシアーを構成する)「P が偽」という信念でもあることになる.
      3. だが,「 P だと思い続けているが,事象が \lnot P に変化している」わけではない.
  • 結論: ファンタシアーは感覚でも信念でもなく,それらから構成されるものでもない.
  • [428b10] ファンタシアーに関する幾つかのテーゼ.
    1. ファンタシアーの存在は感覚の存在に依存する.
    2. ファンタシアーを持つものは感覚を持つ〔ほぼ 1 から帰結する〕.
    3. 生物はファンタシアーという運動に応じて作用し・作用を被る.
    4. ファンタシアーという運動は真でも偽でもある.
  • その理由.
    1. 運動は連鎖しうる.
    2. ファンタシアーは何らかの運動である.〔∴ ファンタシアーは運動の連鎖の一部でありうる.〕
    3. ファンタシアーは感覚なしには生じない [= 1].
    4. さらに言えば: 感覚対象がファンタシアーの対象となる.
    5. 感覚の現実活動態は運動を生じうる〔i.e. 感覚から始まる運動の連鎖がある〕.
    6. その運動は感覚と似たものである.
  • [428b17] 感覚に発する運動が偽でありうる理由.感覚の種類によって異なる:
    • 固有の感覚は (ほぼ) 全て真.
    • 付帯的感覚は欺かれうる.
      • x が白い」という感覚は (x の内容に関して) 可謬的.
    • 共通感覚は欺かれる確率が一番高い.
  • [428b30] 上記の特徴を満たすのはファンタシアーのみ.したがって,ファンタシアーは感覚によって生じた運動であるだろう.
  • [429a2] 追加的説明.
    • ファンタシアーと 'φάος' には語形上のつながりがある.このことも感覚とのつながりを示唆する.
    • ファンタシアーは (i) 持続的で (ii) 感覚と類似する.
      • ゆえに,知性を持たない動物や,知性が遮られている状況の動物は,ファンタシアーにもとづいて行為する.

先行研究

  • "This qualification regarding exclusive objects [that its perception 'is subject to falsity in smallest degree']" is a significant divergence from the uncompromising line taken in II 6" (Shields). だが我々の解釈からすれば,少なくとも II.6 に関してはそれほど問題がない.