『魂について』III.5 能動的な知性

DA III.5 (430a10-25).


[430a10] 全ての自然において,一方のものは各々の類にとっての質料であり (これはかのものども全てが可能的にあるものである),他のものは原因であり作用しうるものであって,ちょうど技術が質料に対して被っているように,全てに作用するという点で,魂のうちにこれらの種差が属していることは必然である.

[430a14] そして一方のこのような知性は全てになるという点で,他方の知性は全てにするという点で,何らかの性向として,ちょうど光のように,あるのである.というのも,或る仕方では光も可能的に色であるものを現実活動的な色にするからである.そしてこの知性は離在可能であり非受動であり混合しないのであって,本質的に現実活動態である.というのも,作用するものは作用を受けるものより,また原理は質料よりつねにより尊いから.

[430a19] [現実活動態における知識は事物と同一である.現実活動態における知識は,一つのものにおいては可能的に時間的に先行するが,全体としては時間的には先行しないのであり,]

[430a22] 或るときは知性認識し,或るときは知性認識しない,というわけではない.分離されると〈まさにある〉これのみがあり,これのみが不死であり永遠である.だが我々は記憶していない,なぜならこれは非受動である一方で,受動しうる知性は可滅的だから.そしてこれなしには何ものも知性認識しないのである.

訳注

  • Shields は 430a19-21 を III.7 からの竄入とみなす.これに従う.
  • 'ἄνευ τούτου' (a25) は受動知性を指すと解する (ゆえに Ross の括弧に従わない).

要約

以下の要約 (というか敷衍) はやや人間解釈寄り.Shields の注解もかなり参考にしている.

  • [a10] 自然の各々の類において〈能動 (原因) − 受動 (質料)〉があり,魂にも適用可能.
  • [a14] 能動的な知性は (or 能動的である限りの知性は) あらゆる抽象活動や概念形成,推論を行う.要するに νοητά にする (光のように).
    • 能動知性は (i) 離在可能,(ii) 非受動,(iii) 非混合,(vi) 本質的に現実活動態.
  • [a22] 能動知性はつねに働く.
  • 能動知性のみが離在し,不死・永遠である.
    • だが,我々は〔能動知性を〕記憶していない.
      • ∵ 受動知性は可滅的であるが,受動知性なしには何ものも知性認識しない.

先行研究

  • S.: 解釈はおおむね Divine Interpretation (DI) と Human Interpretation (HI) に二分される.Miller (2012) はこれと異なるものの似た仕方で internal / external interpretation を区別する.
    • DI: アレクサンドロスに代表される.その他イブン・シーナー,イブン・ルシュド, 近年では Barnes, Clark, Rist, Frede, Caston, Burnyeat.
      • 神性.純粋な現実態.GA 736b27 で言及される知性と同一.
      • II.1 の議論とも結びつく: 魂全体は離在しないが,能動知性は離在する (人間の魂でも,その部分でもない).
      • 光との類比も,人間の外にあり非個人的であることを示している.
    • HI: テオフラストス,テミスティオス,フィロポノス,シンプリキオス,アクィナス,Ross, Rodier, Robinson, Sisko, Gerson.
      • フィロポノス (De intell. 57.70-4),アクィナス (In de an. 742-3): DI のように解釈すると,外的要因の作用に人間の知性が依存することになる.これは EN X.6-8 に致命的に抵触する.
      • DA III.4 や III.6 はずっと人間を話題にしており,術語も III.5 と共有している.
      • 魂に固有の属性がある場合,魂は離在可能とされていた (cf. DA I.1 #3).III.4 では前件が肯定されている.
  • S.: これに応じて,各箇所の読み方も変わってくる.
    • 430a10-14:
      • (DI) ἐν τῇ ψυχῇ は「魂が係る場合に」.これより強い帰結は質料形相論からは出てこないはず.
      • (HI) ἐν τῇ ψυχῇ は「(人間の) 魂のうちに」.外的な知性の作用を仮定すると,人間側の能動性を認めない限り,皆がつねに同時に同じことを考えるという奇妙な帰結が生じる.
    • 430a14-15:
      • (DI) 「全てを作る」知性は当然神的である.
      • (HI) 「全て」の領域は暗黙のうちに制限されている.
    • 430a15-17:
      • (DI) 光のように能動知性は conceptual space を照らす.
      • (HI) 類比は光源ではなく光があることに対するもの.
    • 430a17-19:
      • (DI) 「本質的に現実活動態」であるものは神である.
      • (HI) 'insofar as it is active' にそうだというだけ.
    • 430a22: 概ね a17-19 と同様に分かれる.
    • 430a22-25:
      • (DI) ここで HI を採る必然性はない.受動知性の可滅性/能動知性の不滅性は,両者の数的非同一性を示す.
      • (HI) 'χωρισθεὶς' は離在しない場合がありうることを示唆する.'μνημονεύομεν' も能動知性が「我々」に帰属することを示唆する.可滅/不滅も数的同一性を妨げない (一部が不滅なら,知性は不滅であると言える).