『魂について』II.5 #2 感覚と知性認識は狭義の性質変化ではない

DA II.5 417b2-418a6.

前回 'ἁπλῶς' を「端的な仕方で」(↔ κατὰ συμβεβηκός) と訳したけど,今回の語法に鑑みるに,単に「ただ一通りに」という意味だったかもしれない.


[417b2] 〈作用を受けること〉も一通りではなく,一つは反対のものによる何らかの消滅であり,一つは完成態的にあり (可能態が完成態に対するような仕方で)〔可能的にあるものに〕似ているものによる,可能的にあるものの保存である.知識をもつものは観照するときに生成するのであり,それは性質変化することではないか (というのも,それ自身への,すなわち現実活動態への前進だから),あるいは性質変化の異なる類だろう.それゆえ,思慮するものが思慮するとき,それが性質変化していると述べるのは立派ではない.ちょうど建築家が建設するときに〔そう言うこと〕も〔立派ではないように〕.それゆえ,知性認識しているものや思慮しているものに関しては,可能的にあるものから現実活動態へと導くものは,教授ではなく,むしろ他の呼称をもつのが正当である.完成態的にあり教授しうるものによって,可能的にあるものから学習し知識を会得するものも,作用を受けると主張すべきではないか,あるいは性質変化に二つの方式があると主張すべきである.すなわち,欠如的な状態への変化と,性向すなわち本性への変化とである.感覚能力には一方で生み出す者による第一の変化が生じ,生み出されると,直ちに知識と同様に感覚することをもつ.そして現実活動態にもとづく〔感覚すること〕は観照することと同様に語られる.異なるのは,前者の場合には現実活動態を作り出すものは外側にある−−すなわち見られうるものや聞かれうるもの,またそれと同様に感覚されうるものの残りのものである−−,ということである.その原因は,現実活動態にもとづく感覚は個別的な事柄の感覚であるが,知識は普遍的な事柄の知識である,ということだ.これらは或る仕方では魂そのもののうちにある.それゆえ,いつであれ望むときに魂の意のままに知性認識するのに対し,魂の意のままに感覚しはしない.というのも,感覚されうるものが成立することが必要だからである.同様にして,感覚されうるものどもの諸知識についてもこのことが成り立ち,同一の原因のゆえに−−すなわち,感覚されうるものが個別的な事柄や外的な事柄に属するゆえに−−成り立つ.

[417b29] だが,以上の事柄について明らかにする機会は,再び生じるかもしれない.今は次のことだけが規定されたものとしよう.すなわち,可能的にあるものは一通りであると語られはせず,むしろ一つは子供が統率することが可能であると述べるような場合のように,一つは成年の人が〔統率することが可能であると述べる〕場合のように,感覚しうるものはあるのだ.両者の違いには名称がないので,これらについて,それらが異なるということ,またいかなる仕方で異なるかということは規定されたが,「作用すること」や「性質変化すること」を本来の名前のように用いる必要がある.上述の通り,感覚されうるものが直ちに完成態的にあるように,感覚能力は可能的にある.それゆえ,似ているものではないのに作用を受けるが,作用を受けてしまうと似たものになってしまい,感覚されうるもののようなものになるのだ.

要約

〔前回区別された二つの現実態を (スコラ的に) 第一現実態/第二現実態と呼ぶことにする.アリストテレスはここではむしろ「可能的にある」の区別として語っている.〕

  • 〈作用を受けること〉も二義的: (i) 反対のものによる,或る属性  \phi の消滅,(ii) 完成態的にある似たものによる,可能的にあるもの  \phi の保存.
    • 感覚の場合,第一現実態から第二現実態への移行は (ii) にあたる.
      • アナロジー: 学習し知識を得ることは (i),建築家が建設すること,知性認識する・思慮することは (ii) にあたる.
    • (i) は「欠如的な状態への変化」,(ii) は「性向すなわち本性への変化」.(i) がふつうの意味での性質変化 (であり「作用を受けること」).
    • ただし,感覚 (や感覚対象の知識) と知性認識は,前者の成立が個別的な外的事象に依存する点で異なる.
  • まとめ:「可能的にある」は二義的で,これに応じて「感覚しうるもの」も二通りある.日常言語にこれを区別する語彙はない.

訳注

  • Ross に従い "εἰς αὐτὸ" CUe (417b6) ではなく "εἰς αὑτὸ" Shorey を読む (cf. "εἰς ἑαυτὸ" XΣ).

メモ

  • Shields のこの箇所の注解 (esp. pp.217-219) が読めなかった (何を問題にしているのかよく分からない).他の文献 (就中 Burnyeat 2002) を読んでから見直したい.