『魂について』II.5 #1 可能態 / 現実活動態による感覚 (能力) の特徴付け

DA II.5, 416b32-417b2.


[416b32] 以上が規定されたので,すべての感覚に共通する仕方で論じよう.先述の通り,感覚は動かされることや作用を受けることにおいて起きる.というのも,何らかの性質変化であると思われるからである.或る人々は,似たものが似たものによって作用を受けると主張する.このことがいかなる仕方で可能であり,あるいは不可能であるか,ということは,作用することと作用を受けることに関する一般的な論考において,我々は既に述べた.何ゆえ感覚そのものの感覚が生じないのか,および,〔感覚器官には〕火や土やその他の諸基本要素が内在しており,感覚はそれ自体としてそれらの感覚である,ないしはそれらの付帯性であるのに,何ゆえ外部のものなしには感覚を生み出さないのか,ということには,アポリアーがある.

[417a6] さて,感覚能力が現実活動的にではなく可能的にのみあることは明らかである.それゆえ〔感覚能力のありようは〕,可燃物が燃やしうるものなしにはそれ自体として自ら燃やされるということがないのと同様である.というのも,〔かりに自ら燃やされるということがあれば,〕自らを燃やすことになり,完成態的な火があるとしても,全く必要としないことになるから.感覚することは二通りに語られるので (というのも,可能態において聞くものや見るものを,眠っているときでも見るとか聞くと我々は述べ,すでに活動しているものも〔そう述べるから〕),感覚も二通りに語られうるのであり,一方では可能態にあるものとして,他方では現実活動態にあるものとして,である.感覚することも同様であり,一方では可能態においてあるものとして,他方では現実活動態においてあるものとして語りうる.

[417a14] そこで最初に,作用を受けることと動かされることと現実活動することは同一であるものとして,我々は論じよう.というのも,運動は何らかの現実態であり,しかし,他の論考で述べられたように,未完了なものだから.能動的であり現実活動的にあるものによって,万物は作用を受け,動かされる.それゆえに,我々が既に述べた通り,或る仕方では似たものによって作用を受け,或る仕方では似ていないものによって作用を受けるのである.というのも,似ていないものが作用を受けるのだが,作用を受けてしまうと似たものであるのだ.

[417a21] 可能態と現実活動態についても区別しなければならない.というのも,これらについて現在われわれは端的な仕方で語っているから.というのも,何かが知識あるものであるのは,一方で,人が知識ある人たち,すなわち学知を持っている人々に属するために,その人を我々が知識ある人であると言いうるという仕方によってであり,他方で,文字の知識をもつ人を直ちに知識ある人であると我々が語るという仕方によってである.両者の各々は同じ方式で〈可能である〉わけではなく,一方の人はかくかくの類および素材のゆえに,他方は,その人が望むなら,外的な事柄のうちの何かが妨げなければ,観照することが可能であるということのゆえに〔可能であるのだ〕.後者の人は,完成態的にあって優れてこの A を認識しているとき,直ちに知識ある人である.それゆえ両者は第一に可能態に即して知識ある人だが,前者の人は学習によって性質変化し,しばしば反対の性向から変化する者であり,後者の人は感覚または文字の知識をもってはいるが現実活動させていない状況から,別の方式で現実活動させる状況に〔変化する〕者である.

要約

  • 感覚は作用を受けることにおいて起きる.
    • アポリア1: 感覚そのものの感覚はなぜないのか?
    • アポリア2: (a) 感覚は感覚器官に内在する諸基本要素の感覚である/付帯性であるのに,(b) 感覚するには外部のものが必要である.なぜか?
  • 感覚能力は可能的にあり,現実活動的にはない (アナロジー: 可燃物).
    • 感覚/感覚することは,可能的にも,現実活動的にもある.
  • 想定: 作用を受けること = 動かされること = 現実活動すること.
  • 可能態/現実態も二義的 (ここまでは「端的に」(ii) の意味で用いていた).
    • 「知識ある人」には (i) 知識ある人のコミュニティに属している人,(ii) 知識をもっている人,の二通りある.
      • (i) は「類および素材のゆえに」,(ii) は (外的状況が許せば) 望むだけで現実活動させうるために,そう呼ばれる.
      • (i) は学習によって性質変化する.(ii) は知識を既に有している.

訳注

  • 今度は Rodier 1900 をテキストに使ってみる (P. Gregoric の推奨1に従う).
  • δυνατόν: 可能である.

先行研究

  • S.: アリストテレスは議論の詳細をしばしば PN 就中 De Sensu 3-5 (DA II.7-11 に対応), およびその他の生物学的論考に委ねる.DA は相対的に抽象的で素材の mechanics に立ち入ることが少ない.
  • S.:「何らかの性質変化」−− alienans tis (cf. Burnyeat 2002).
  • S.: アポリアーとその後の行論が対応しない."Aristotle's language in setting the puzzle suggests that it is one he himself finds at least initially puzzling ... This suggests, then, that the initial puzzle is more than it seemed. One possibility is that the assumption made in the original explication is false, namely that the question pertains to why the senses do not perceive the 'sense organs themselves'".

  1. Pavel Gregoric (2014) “Aristotle’s Philosophy of Mind”.