DA II.2 413b11ff.
[413b11] 現在は,これだけのことが述べられたものとしよう.すなわち,魂は以上述べられたものどもの原理であり,以上のものどもによって−−すなわち栄養摂取能力,感覚能力,思考能力,運動によって−−規定されている.
[413b13] これらの各々が魂であるのか,それとも魂の部分であるのか,またもし部分であるなら,説明規定の点でのみ離在する仕方であるのか,それとも場所の点でも離在するのか,ということは,これらの幾つかについては見て取ることは難しくないが,幾つかにはアポリアーがある.というのも,植物の場合に,幾つかの生き物は切断され互いから分離されても明らかに生きており−−それらの生き物のうちの魂は,現実活動態的には各々の植物において一つであるが,可能的には数多くあるというように−−,ちょうどそれと同様に,魂の他の種差に関しても,有節動物の場合に,切断されたものどもにおいて起きているのを,我々は見て取るから.というのも,諸部分の各々も感覚と場所的な運動をもつのであり,感覚をもつなら,表象と欲求をもつから.というのも,感覚があるところには,苦痛と快楽もあり,苦痛と快楽のあるところには,必然的に欲求もあるから.知性すなわち観照的能力については未だなにも明らかではないが,魂の別の類であるように見え,この能力だけが離在してよい.ちょうど,不滅のものが可滅のものから〔離在する〕ように.魂の残る諸部分は,或る人々が述べるようには離在しないということは,以上から明らかである.説明規定の点で異なることは明らかである.というのも,感覚能力にとっての〈あること〉と判断能力にとっての〈あること〉は異なるから−−感覚することも判断することと異なる以上は.上述の〔諸能力の〕各々も同様である.
[413b32] さらに,生き物のうち若干のものどもにはこれら〔の諸能力〕全てが属し,或るものどもにはこれらの幾つかが属し,他のものどもには一つだけが属する (このことが生き物の種差を作り出すのだろう).いかなる原因ゆえに〔そうなっているの〕かということは,後ほど考察しなければならない.感覚についても,〔事情は〕これと似ていることになる.というのも,或る動物は全ての感覚をもち,或る動物は幾つかを,或る動物は単一のもっとも必要な感覚,すなわち触覚をもつからだ.
[414a5] 〈我々がそれによって生き,感覚するもの〉は,〈我々がそれによって理解するもの〉と同様,二通りに語られるのであり (我々は一方で知識がそうであると言い,他方で魂がそうであると言う.というのも,これらの各々によって理解するのだと我々は主張するから),それと同様にして,〈それによって我々が健康になるところのもの〉は,一方では健康,他方では身体の或る部分ないしは全体である.これらのうち一方で理解や健康は形状であり何らかの形相であり説明規定であり,いわば受容するものの現実活動態である−−すなわち理解は理解しうるものの現実活動態であり,健康は健康になりうるものの現実活動態である (というのも,作用を受けるもの,すなわち或る状態に置かれるもののうちに,作用しうるものの現実活動態が属すると思われるから).魂は第一義的に〈我々がそれによって生き,感覚し,思考するところのもの〉である.したがって,何らかの説明規定ないし形相であり,質料や基礎に置かれるものではないだろう.というのも,我々が既に述べたように,実体は三通りに語られ,その一つは形相,一つは質料,一つは両者からなるものであって,これらのうち質料は可能態,形相は完成態であり,両者からなるものは魂をもつものであって,身体は魂の完成態ではなく,魂が何らかの身体の完成態である.
[414a19] そしてそれゆえに,「身体なしには魂はなく,また魂は何らかの身体ではない」と思っている人々は,見事な仕方で想定しているのである.というのも,〔魂は〕身体ではないが,身体に属するなにかであり,それゆえ身体のうちに,そしてかくかくのごとき身体のうちに成立しているからだ.そしてこれは,先人たちが−−任意のものが任意のものを受容するとは思われないにも拘らず−−,何のうちに,どのようなもののうちに〔魂が成立するの〕かを付加的に規定することなしに,魂を身体へと適合させていたのとは,同様ではないのである.このようにして,理に適うようになる.というのも,各々の完成態は本性上,可能態において成立しているもののうちに,すなわち固有の素材のうちに生じるからである.それゆえ,そうしたものに属しうる能力をもつものの,何らかの完成態であり説明規定であることは,以上より明らかである.
要約
- [413b11] 魂は栄養摂取能力・感覚能力・思考能力・運動〔能力〕である/からなる.
- [413b13] 問い: (1) 個々の能力 = 魂か,それとも能力は魂の部分か.(2) 能力が魂の部分なら,(説明規定の点でのみならず) 場所の点でも離在するか否か〔i.e. 或る場所に能力
が位置し,別の場所に能力
が位置するか〕.
- 〔以下 (2) に関する議論.〕栄養摂取,感覚,表象能力は,場所的に離在しない.
- ∵ 或る種の有節動物の個体を切断したとき,断片の各々がこれらの能力をそのまま保持する〔i.e. 或る断片が
だけをもち,別の断片が
だけをもつ,ということがない〕.
- ∵ 或る種の有節動物の個体を切断したとき,断片の各々がこれらの能力をそのまま保持する〔i.e. 或る断片が
- だが,知性だけは〔場所的に〕離在するかもしれない.
- (説明規定の点で離在することの説明: 活動の〈あること〉が異なるので,対応する能力の〈あること〉も異なる.)
- 〔以下 (2) に関する議論.〕栄養摂取,感覚,表象能力は,場所的に離在しない.
- [413b32] 再掲: 生き物によって各々の能力をもつ/もたない場合がある.この事実が生き物を種別化する.
- [414a5]〈我々は
によって (dat.)
する〉は二通りに語られる: (I)
が形相=〔第一〕現実活動態である場合,(II)
が或る形相を受容するもの=質料=可能態である場合.
- 例1:
: 健康になる,
: (I) 健康 (という形相) / (II) 健康な身体.
- 例2:
: 理解する,
: (I) 理解 (という形相) / (II) 理解する者.
- (I) が第一義的.
- 例1:
- [414a19] まとめ: (a) 魂 ≠ 身体,(b) 魂は或る身体に属する,i.e. (b') 特定のありようをした身体 (「固有の素材」) のうちに成立する.
訳注
- τὰ ἔντομα: 有節動物 (新全集訳に従う).Cf. 'insects' (Shields), 'insects or annelida' (Hicks). まあ造語したほうがよいと思う.
- (τὸ) -τικόν: 〜能力,〜しうるもの.
- "παραπλήσιον ... συμβέβηκεν": 〔事情は〕これと似ていることになる (cf. LSJ 'συμβαίνω' III.2: "joined with Adverbs or Adjectives, turn out in a certain way").
- 'ἐπεὶ δὲ ᾧ ζῶμεν ...' に対応する主節が存在しない.
- 最後の一文 ("ὅτι μὲν οὖν ἐντελέχειά τίς ἐστι καὶ λόγος τοῦ δύναμιν ἔχοντος εἶναι τοιούτου, φανερὸν ἐκ τούτων") の構文が取れない.δύναμιν ἔχειν + inf. ≒ δύνασθαι + inf. みたいに取れないかと思ってそう訳しているが (かつそう取ると先行諸訳と一致するが),現状何の裏付けもない (普通は δύναμις τοῦ + inf.).
先行研究
Shields の注解はなかなか良い気がする.
- S.: アリストテレスは文脈によっては魂が部分をもたないと述べる (413a5); 用法に広狭両義ある.Cf. Koslicki 2006, Shields 2010 (Pl. の用法に関して).
- S.: "Elsewhere Aristotle denies that all animals have imagination (415a6-11, 428a9-11), which seems to contradict the chain of inference here. The probable solution turns on the two forms of imagination distinguished at 433b31-434a10, perceptual and deliberative, coupled with Aristotle's suggestion that determinateness of image may be scalar" (187).