『魂について』II.1 #2 魂と身体の関係についての補論

DA II.1 412b10ff.


[412b9] さて,魂とは何であるかが一般的に述べられた.というのも,〔上記の事柄は〕説明規定に即した本質存在であるから.この本質存在とはかくかくのごとき物体にとっての〈それであるとは何であったか〉である−−かりに道具のうちの何かが,例えば戦斧が,自然的物体であったとしても,それと同様である.というのも,戦斧にとっての〈あること〉はその本質存在であり,魂がそれだということになるから.この魂が分離すれば,同名異義的にでなければ,もはや斧ではないということになる.しかし実際には斧である.というのも,魂はそのような物体の〈それであるとは何であったか〉すなわち説明規定ではなく,むしろ運動と精子の原理をそれ自身のうちに持つような自然的物体の〈それであるとは何であったか〉すなわち説明規定であるから.

[412b17] 上述の事柄を諸部分に関しても考察しなければならない.というのも,かりに眼が生物であるとすれば,眼の魂は視覚であることになる.というのも,視覚は説明規定に即した眼の本質存在だから.眼は視覚の素材であり,視覚が不在であるときは,石製の眼や描かれた眼と同様に,同名異義的にでなければ,もはや眼ではないから.

[412b23] さて,感覚についての事柄を,生きている身体全体について把握しなければならない.というのも,部分が部分に対してあるのと類比的に,感覚全体は,感覚しうる−−そうしたものである限りでの−−物体全体についてあるから.魂を失ったものは,生きることの可能態にあるものではなく,むしろ魂をもつものが,そうなのである.種子や果実は可能態においてそのような物体である.したがって,切断や目視と同じように覚醒は完成態であり,視覚や道具の機能のように魂はある.身体は可能態にあるものである.しかし瞳孔と視覚が眼であるのと同様に,魂と身体が生物なのである.

[412a3] 魂,あるいは−−もし本性上可分的であるなら−−魂の何らかの諸部分,が身体から離在しないということは,ごく明白である.というのも,若干の諸部分にはそのものに完成態があるから.しかしながら,少なくとも若干の諸部分は,いかなる物体の現実態にも属さないということのゆえに,〔離在することを〕何も妨げない.さらに,船員が船に属するのと同様に,魂が身体の完成態であるのかどうかも,明らかではない.魂については,概略的に,このように規定され,粗描されたものとしよう.

要約

「魂 := 道具的な自然的物体の第一の完成態」という直前の定義から,幾つかの帰結を導く.

  • X が道具的な自然的物体であるなら,魂 = X の本質をなすもの (魂がなければ (同名異義的にしか) X ではない).
    • 架空の例1 (人工物): 斧が道具的な自然的物体なら,斧は魂なしには斧ではない.
    • 架空の例2 (身体の部分): 眼が道具的な自然的物体 (= 生物) なら,眼の魂は視覚である.
      • 視覚は眼の本質存在,眼は視覚の素材.
  • 視覚−眼 (瞳) と同様に: 魂は身体の本質存在,身体は魂の素材.魂+身体 = 生物.
  • 魂全体や,魂の幾つかの部分は,身体から離在しない.
    • だが,他の部分が離在するかどうかはわからない.
    • 魂が身体に,船員が船に乗るのと同様の関係に立つかどうかは,不明である.

訳注

  • 中畑訳に従い ὕλη を「素材」と訳してみる.

先行研究

  • P.: 船員-船の関係がどう関係するのか不明.”The sailor image may fit the unique human soul since vision of the eye and capacity for cutting of the ax seem too humble, because only some sort of homunculus suffices for mind.”

メモ

  • 'τὸ ἀποβεβληκὸς τὴν ψυχὴν' (a25-26) の substantive participle + object という語順がどれくらい普通なのかやや気になった.