『魂について』I.1 #2 魂に関する問題の列挙.方法論的指針

DA I.1 402a23-403a2.


[402a23] おそらく第一に,〔魂が〕諸類のうちの何に属しているのか,つまり何であるのか,を画定することが必要である.私が言わんとするのは,〈或るこれ〉すなわち本質存在であるか,性質であるか,量であるか,画定された諸カテゴリーのうちの他の何かなのか,ということである.さらに,可能態にあるものどもに属するのか,それともむしろ何らかの現実態であるのか.というのも,違いは何か小さなことではないからだ.以下のことも探究しなければならない––〔魂が〕分割可能なものであるか,それとも部分のないものか,また全ての魂が種を同じくするか,そうではないか.種を同じくしないなら,種の点で異なっているのか,それとも類の点で異なっているのか.というのも現在,魂について論じ探究する人々は,人間の魂についてのみ考究しているように見えるからだ.しかし,魂に単一の説明規定があるのか (動物のように),それとも各々の魂に別々の説明規定があり (たとえば馬,犬,人間,神の魂があるというように),動物は普遍的なものだが,しかし後者〔の魂〕には何ら〔普遍的なものが〕ないのか.何か他の共通のものが述定されるとしても同様である.さらに,もし魂が多数あるわけではなく,むしろ〔魂の〕諸部分が多数あるのなら,魂全体を先に探究すべきなのか,それとも諸部分を先に探究すべきなのか.また,次のことを規定することも難しい−−すなわち,これら諸部分のうちいかなるものが互いと本性上異なっているのか,諸部分とそれらの活動のいずれを先に探求する必要があるのか.例えば,知性認識することと知性,感覚することと感覚能力,のいずれを先に探求すべきなのか.他の諸部分についても同様である.諸活動をより先に探究すべきであるとすれば,今度は,対立するものどもをこれらより先に探究すべきかどうか−−例えば,感覚されうるものを感覚能力より,知性認識されうるものを知性より先に探究すべきかどうか−−ということを,ひとはアポリアーとするかもしれない.

[402b14] 〈何であるか〉を認識することは,本質ウーシアーに付帯する事柄の原因を認識することに対して有益であるが−−ちょうど数学において,〈直〉や〈曲〉とは何であるか,線や平面とは何であるか〔を認識すること〕が,三角形の角がどれだけの数の直角に等しいかに気づくことに対して有用であるように−−,それだけではなくまた,それと反対に,付帯的な事柄は,〈何であるか〉を知ることに対して大いに寄与する.というのも,我々が付帯する事柄について,その全部にであれ大部分にであれ,現象ファンタシアーに即して説明を与えうるとすれば,そのとき我々は,本質についても,何か極めて立派なことを語ることができるだろうから.というのも,あらゆる論証の原理は〈何であるか〉であり,したがって,定義のうち,付帯的な事柄を認識することにならず,むしろそれら付帯的な事柄について推測することも簡単ではないものどもに基づくかぎりで,あらゆる事柄は弁証術的に,かつ空虚に述べられているということは明らかである.

要約

直前の議論においては探究の方法論に関する問いが列挙された.ここでは,魂そのものについての問いが列挙され,消極的な方法論的指針が与えられる.

  • 魂に関する問いの列挙.
    • 属する類 =〈何であるか〉: いかなるカテゴリーに属するのか.
    • 可能態/現実態のどちらであるか.
    • 部分をもつかどうか.
    • あらゆる魂の種は同一であるか否か.
      • 異なるなら,種に関して異なるのか〔e.g. 馬と犬〕,類に関して異なるのか〔e.g. 動物とそれ以外〕.
      • 魂が単一で,部分が多数あるのなら,魂全体と魂の諸部分のどちらを先に探究すべきか.
    • 諸部分のうちどれが本性上相互に異なるのか.
    • 諸部分とその活動のどちらを先に探究すべきか.
      • 活動がより先なら,活動と活動の対象のどちらを先に探究すべきか.
  • 付帯性の認識に資さない定義はよくない (弁証術的で空虚である).
    • 本質の認識と付帯性の認識は相互に寄与するから〔後者に寄与しない定義は本質を言い当てていない〕.

先行研究

  • Polansky: 最初の二つの問いは魂の定義に関わる (類と種差).
  • P.: 部分と全体の優先順位に関する問題の 'the logic of situation' はこうである: 魂の定義は直接的にはその諸部分に訴えてはおらず,「生」という一般的概念に訴えている.しかし生は魂の部分とその活動を通じてしか理解できない.さらに,この活動には身体も関わっている.