『生成消滅論』I.8 #5 原子論者論駁.通り道の措定は意味がない

GC I.8 326a24ff.


[326a24] さらに,小さいものどもが不可分であり,大きいものどもはそうではない,ということも奇妙である.というのも,事実,大きいものどもはいっそう小さいものどもへと砕かれるということは理にかなっており,それというのも一方のもの,すなわち大きいものどもは容易に分解されるからである.というのも,多くのものに衝突するから.一方しかし,総じて〈不可分〉は総じて何ゆえ,大きいものどもよりいっそう小さいものどもに属するのか?

[326a29] さらに,かの諸立体の全てに単一の本性があるのだろうか,それとも,ちょうど,或るものは火的であり,或るものは塊という点で土的であるというように,互いが互いと異なっているのだろうか? というのも,もし全てのものに単一の本性があるなら,分離するものは何であるのか? あるいは,何ゆえ接触するときに,ちょうど水が水と触れたときのように,一つにならないのか? というのも,後者〔水〕は前者〔その他の立体〕と何ら異ならないから.もし異なるなら,それらはどのようであるのか? また,形状よりもこれらを,諸原理,すなわち諸帰結の原因として措定しなければならないことは明らかである.

[326b3] さらに,運動させるものは何であるのか? というのも,もし別のものなら,〔運動するものどもは〕受動的であるから.もし各々のもの自身がそれ自体を〔運動させるなら〕,分割可能であり,或るものに応じて運動させ,或るものに応じて運動するのであるか,あるいはそれ自体として反対者たちが帰属するだろうし,また質料が,数の点で一つであるのみならず,可能態の点でも一つになるだろう.

[326b7] さて,通り道を通じた運動を通じて諸受動状態が帰結すると主張する限りの人々については,もし通り道が充満していても〔そうなのだとすれば〕,通り道は余分である.というのも,そのようにして万物が何らかの作用を受けるなら,通り道を有さず,むしろそれ自身連続であるときも,同じ仕方で〔作用を受けるだろうから〕.

[326b10] さらに,何かを通して見ることについては,彼らが述べるようなことが,いかにして帰結してよいのだろうか? というのも,もし各々が充満しているなら,接触に即してであっても,通り道を通じてであっても,透明なものどもを通り抜けることはあってはならないから.というのも,通り道を持たないこととどう異なるだろうか? というのも,全てのものが一様に充満しているのだから.しかし実際,これらが空虚であるなら,それら自身のうちに物体を持つとしても,再び同じことが帰結するだろう.大きさがいかなる物体も受容しないほどであるなら,「小さい空虚はあり,大きい空虚は,どれほどの大きさであれありはしない」と考えるのはばかげたことであり,あるいは「空虚は物体の場所−−それゆえ全ての物体に嵩の点でそれと等しい空虚があるだろうことは明らかである−−以外のなにかである」〔と考えるのもばかげたことである〕.

[326b21] 総じて通り道をつくりなすことは余分である.というのも,もし何ものも接触に応じて作用しないなら,通り道を通過しても作用しないだろう.接触することによって作用するなら,通り道がありはしなくとも,一方のものどもは作用を受け,他方のものどもは作用するだろう−−互いにこうした仕方で自然本性をもつものどものうちでは.

[326b24] それゆえ,或る人々が想定する仕方で通り道を語ることが,虚偽であるか,空疎であるということは,以上より明らかである.諸物体はあらゆる点で可分的であるのだから,通り道をつくりなすことはばかげている.というのも,可分的である限りで,分離可能であるから.

要約

  • 小さいものだけが不可分と言う理由もない (日常的に大きいものが砕けやすいのは単に衝突確率に基づく).
  • (Q1) 全ての基本要素に単一の本性があるのか?
    • (T) 全ての基本要素に単一の本性があるなら,分離・一体化の説明ができない.
    • (AT) 本性・性質が様々であれば,形状よりそれらの方が重要な原理となる.
  • (Q2) 何が基本要素を運動させるのか?
    • (T) 他のものが運動させるのならば,基本要素は受動的である (ことになり,不条理).
    • (AT) 自分自身が運動させるのならば,(1) 運動させる部分と運動する部分があるか,(2) 反対者の両方がそれ自体に帰属することになる.(いずれも不条理.)
  • 通り道の措定は余分である.
    • 通り道が充満しているのならば,通り道なしでも物体は同様に作用を受ける.
    • 通り道が空虚である場合は,(i) そのうちに物体が入るなら,充満しているのと同じことである.(ii) 物体が入らないほどの小さな空虚を措定するのはばかげている.
  • むしろ,諸物体はあらゆる点で可分的であり,それゆえ通り道の措定は無意味である.

訳注

  • ὅσοι (b6) は観点の対格の先行詞が省略されていると読む.